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2014年4月23日

樹の木霊にこころ傾けて

 最初のタイトルは「ダム湖に沈んだ樹霊たちの木霊」というものでした。今回の第三訂と比べると、明らかに主題あるいは焦点が推移しています。それはとりもなおさず、私の表現意識の推移に伴うものですね。

 初稿はエコロジカルな課題を、自分との係わりに焦点を当てて書いたものです。比喩的な言い方をすれば、「一羽の小鳥でさえ/暗黒の巣にかえってゆくためには/われわれのにがい心を通らねばならない」という、
 田村隆一の詩の一節(『四千の日と夜』Ⅰ「幻を見る人」)の感じだね。

 ただし私は、60年代詩人たちと同様に、「われわれ」という鮎川信夫的メタファーの根拠を失ったところから出発をしており、「わたし」という孤立の主体をも反省以前的なコギトとして否定して、吉増剛造的なリゾーム表現をこの詩において試みている、ということになるでしょう。各連ごとに主体がメタモルフォーゼして、複数の主体がその主体に係わるという複数のパースペクテイヴがご理解いただけでしょう。

 この形式によって、地球ガイア圏から地域生態系の極微の世界まで、自由に行き来できる眼差しを得ることができるように思う。

                  『 樹の木霊にこころ傾けて

 この詩の背景は、神奈川県相模川から山梨県道志川への釣り遡行と、屋久島一奏白川(いっそう しらこ)の水量豊かな沢での潜水体験であり、直接的な素材は津久井湖の濁りと宮ヶ瀬ダムの竣工です。

 大雨の降った相模川は黄土色の濁りが入って、10日前後は釣りにならなくなる。コロガシで鮎を掛けてみると、体色が白く痩せこけていて、エサである青ノロを摂食することができないでいることが分かる。

 それで鮎釣りをあきらめ、上流の道志川水系に行く途中で津久井湖が黄濁しているのを見て、何日も下流域が澄まない理由が理解できた。けれども、原因は津久井湖の城山ダムにあるのではなく、その上流の桂川・道志川水系であることは推し量れよう。

kaminogawa.JPG けれども、道志川本流には黄濁するようなところは見られない。たぶん、支流のどこかなのだろうと想像していた。

 そして道志川の枝沢をいくつか遡行する歳月があり、ある日神之川(かんのがわ、かみのかわ)という、かつては大イワナが釣れたという沢を訪れた。

 林道の途中から入渓し、遡上をしていったが、水量は細く全く魚がいる雰囲気はない。森林伐採の後遺症であることは、容易に理解された。

 そうこうするうちに聳える砂防ダムに行く手を阻まれてしまった。しかたなく、いったん下流に戻り谷をよじ登って林道に出て、ダムを高巻きして上流に降り立った。

 けれども、再び聳える砂防ダム。荒れ沢だということだったが、砂防ダムの連打に呆然とするばかり。ダムの銘板を見ると、建設省とか神奈川県企業局とか、それぞれ建設主体が異なっている。

 何という光景なのだろう......。ダム13連発、ゴルゴ13!、治山治水とはいえ、壮大な愚行なのでは...。

 お疲れ様としか言えないね。釣り人もボーズで、お疲れしたのだった。

 詩では「神」に掛けて、神無月、神奈川とともに3段がけで、こちらもしつこいかな。(神奈川を削除した)

ちなみに、「身狭上川」は相模川の古名だね。

第一ページの「虹の吊り橋」とは、現在の宮ヶ瀬ダム「やまびこ大橋」がモデル。水のない頃の宮ヶ瀬湖の風景と、黄濁する津久井湖に加え、上高地の大正池の印象をオーバーラップしています。

 そして、屋久島では屋久杉の土埋木の印象と、白川の流れに潜ってゴクラクハゼを捕まえた経験から、想像力を飛翔させました。

 この詩では、漢字の語句で、意図的に辞書的な言葉ではなく、別な意味をもつ語に差し替えて、意味を脱臼させる方法を多用してみました。漢字の使いすぎを逆手にとってみたわけです。

 もう一つは、文字のコンポジションを久しぶりにやっています。全体的に固い印象があるため、遊びをいれました。

 例によって、ことば遊びもありますが、脚韻的な用法とか、古語も自由に使うとか、古典的なレトリックも自由に使っていますね。

 【追記】

 ずいぶん以前のことなので失念していましたが、私の水問題との係わりは20代のころからでした。過去に書いていたブログで記事を書いていたので、それを踏まえていましたが、その記事は私の記憶にしか残っていません。

 一つは、初めてエコロジーの視点から調査報告をした栃木県の鬼怒川流域下水道の問題。これは、管理する側の立場から、問題点を記したものです。

 二つ目は民主党政権発足の時に話題となった八ッ場ダム問題です。こちらは、ナチュラリズムの立場から、書いたものです。30年以上昔に問題となっており、現地を調査したことが思い出されます。

 三つ目は「スッタフリダーヤ」にも書いたように、多摩川の河口から源流までをオフロードバイクで踏査したレポートを、雑誌に掲載したものです。

 原点は、大学の教養課程でエコロジーを選択したことにあり、そのエコロジーを選択した理由が、ブッダの「スッタ・ニパータ」を読んでいたことですから、けっこう年季が入ったバックボーンになっているようです。

 そのせいか、どうしてもこの領域にかかわる表現はまじめになりすぎて、意味の詩になってしまうのかもしれない。この部分を解体していかねば、今日的な表現とはなり得ないと、また書き直したくなりました。

 ここで勘違いをしてほしくないことは、私がエコロジーという「大きな物語」の視点から何かを訴えているわけではないということですね。
 私が係わった詩の会には、反原発や機械文明批判の詩を書く方が数名おられました。けれども自分自身が無辜であるという暗黙の立ち位置でイノセントな詩を書くことを、私は厳しく否定せざるを得ないと、いくつかの批評を過去記事で述べています。

 ただし、このことを直接ご老人たちに申し上げることはしませんでした。言えば、自らの資質としての言語能力を信じて詩を書いているご当人たちは詩を書けなくなるでしょう。なぜならば、そのような批評意識あるいは思想を切り開いていく膂力や、より繊細な感受性を持つことを期待できないからですね。そういうものを秘めている人は、はなからイノセントな詩など書きはしないからです。

 この問題については「ポストモダンとその終焉」というテーマで、トップページのほうで取り上げておきます。

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この記事について

このページは、小林由典が2014年4月23日 14:14に書いた記事です。

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