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2013年6月 3日

臨詩 「織リシス、石切山の神」

 吉増剛造「オシリスー石の神」の創造的パロディー(=臨詩)です。

    「  織リシス-石切山の神

 

 

 前回の「祖師谷」の終わりに、「「下らない」とは言えない「臨詩」をアップする」と豪語したパロディー詩なのだ。

 

  【 語注 】

 <>(sattva)とは、「有ること」を意味する。中村元先生は「有性」と訳している。この言葉は、輪廻思想のカルマ(karman)と結びついて、sattvakarman などと使われる。
 ウパニシャッド哲学の宇宙的概念だ。漢語ではこれを「有情」と訳した。

 わたしの解釈では、日本語の<情>は人間的すぎる意味があり、むしろ「盲目の意志のような働きをするもの」という意味あいで「有意」とでも言いかえたい気がする。

 ・中有...輪廻転生する生命のサイクルにおいて、その存在状態を四つに分けたのを四有という。
     生有(しょうう)...生まれる瞬間。
     本有(ほんぬ)......生まれてから死ぬまで
     死有(しう)? ......死の瞬間=臨終
     中有(ちゅうう)......死んでから次の生を受けるまで=死霊の状態


 ここでは、転じるのが難しい病気といっているので、反転すると<有中>ということになる。
 有とは「アル」ということだね。とても、依存症などという生やさしいものではなくなる病気だ。

 
 ・2Sさんとは鈴木志郎康さんのことです。
 ・極私的現代史=『極私的現代詩入門』

 

 なに、それでもやはり、下らないって?

 そんなことはない、だろ。もう一度、よく読めば、「下る」という状況描写ばかりで、「上る」という言葉はひとつも使っていない、......ことに、気づかないか?

 この臨詩は「下る」詩であり、「下らない」という批評と解釈は的外れだね。

 要するに、「織リ詩ス」という漢語調の原題は、解説では「織リシス」とパロディー的に改題され、コノテーション的には「下り詞する」というメタ・タグとなっている。

 「吉増剛造」風味に「荒川洋治」的ひねりを加え
 意味が分かれば瀬尾育生のいう「コロスの声あるいは背後の笑い」が...
 ......聞こえてくるだろうさ......。

 

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このページは、小林由典が2013年6月 3日 00:28に書いた記事です。

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