前回の記事はなにやらまとまりがつきませんでしたが、じつはまとまりがつかないこと、それがリゾームの本来の姿ですね。「わが出雲・わが鎮魂」の「まがいもの」という言葉について、わたしの考察を【追記】しておきました。(リゾームの諸相と現代詩表現(1)を参照下さい)
現在的な現代詩の世界に入るに際して、現代思想について俯瞰する時間をとりました。
そしてここでも、もう少し早く現代思想を読んでおけばよかったと...。
ともかく、現代詩のバックボーンにあるものの様子がかなり見通せるようになりました。
ゲニウス・ロキ(genius loci) というのは、ローマ人の神話世界における土地の守護精霊、つまり我が国でいう氏神に近い概念だといってよいだろう。
入沢康夫の「わが出雲・わが鎮魂」(1968)について、吉田文憲が「さみなしにあはれ」の構造、として論じているが、...
時々、そうする必要を感じて啓蒙的なことを書いたりするのだけれど、そのようなものを書くときはできる限りバランスをとるようにしている。記事自体のバランスということもあるけれど、ある種の風潮の横行に対しては、徹底的に批判することでパラダイムの中におけるバランスをとるということもある。デイベート的な立場であって本意でない場合もあるけれど、それが啓蒙ということだから。
このタイトルは、詩集『古典力学』の「広場を横切る三人の影」からとったものだ。
「蒼ざめた馬」は前回取り上げたロープシンの著作からきていることはすでにお分かりだろう。
では「デラシネの旗」は?こちらは、五木寛之の小説だね。大隈講堂で野坂昭如と五木の講演があり、そのような契機がなければ買わなかった本だった。
前回は、詩を書く「モチベーション」というものをキーワードにして、表現者の意識の有り様を検討してみたが、今回は社会的無関心あるいは問題意識の希薄さの構造を考えてみたい。
これは、ただ単に勉強不足だとか知性の問題だとかたづけられない、根深いものがあるようだ。
批評の過程で、何かしら重い課題にぶつかった気がする
地方文化詩と勝手に名付けた詩群に一様にみられる社会的視点の曖昧さ、あるいは思想性の希薄さ、あるいは内面的世界の薄弱さという特長である。
戦後詩を「荒地」派だけ取り上げて終わるのは、私の都合であって、これを読んでこられたかたには不親切かなと思う。やはり土俵は三役そろい踏みでないとバランスがとれない...。ということで他のグループも紹介しておくことにする。
もっぱら引用ばかりになりますが、今書いているようなことは私自身40年前に通過してきたことであり、何をいまさらの感は否めない。けれど、こういう事が自明でない人たちに混ざって詩を書いていると、共通認識をしておかねば話がかみ合わないのだね。その度に、いちいち語れば長くなるので、文章にまとめ参照してもらおうと...。
社会が高度に発展するほど、大衆意識の中に潜んでいる自然的感性は疎外されてゆく。
「癒し」を求めたがる人々の気持ちの根底には、現実逃避と表裏一体の自然回帰願望が潜むのだろう。
中原中也、立原道造、三好達治ら四季派の詩は、そのような大衆に受け入れられる要素を持っている。
それは単に大衆性というだけでなく、「不易」とみえる詩的要素を含むからだ。
伝統的で日本的な感性からみると、「四季」派の詩は最も「詩」らしい芸術性の高い詩であり、今日でも女性を中心に大衆的な人気をもっているのだろう。ある意味では、伝統的正当派なのだけれど、...
前回の年表はきわめて不完全なものだが、我が国のモダニズムが最盛期だった時期は、西洋ではどのような状況であったのかを確かめる目安にしようとしたものだ。堀口大学や上田敏らによって少しずつ紹介されてきた西洋詩は、昭和初期のモダニズムによって一気に多様な展開をみせた事が分かる。
現代詩といっても、戦前の現代詩から、現在書かれている現代詩まで幅が広い。いわゆる「現代詩」というのは、口語自由詩の総称であり、私の分類では歴史的現代詩(昭和詩)であり、現在書かれている詩は現在の現代詩(現在の詩)と区別したい。
それで、戦後詩というのは文字通り戦後に起こった詩精神であり、1970年代から80年代にかけて、終焉を告げられた詩群である、と。
構造主義的「知の脱中心化・反全体化」の一つとしてあげた歴史主義に対する非連続的構造(空間的認識)について、省略してきましたが、これについて吉本隆明が分かりやすい説明をしているなと思うので、取り上げておきましょう。誰でも知っておかねばいけない問題がそこにはあるからです。
構造主義についての書物は多数出版されているが、初期のものはその全貌を正当に捉えているものは少なく、またオリジナルのフランス語書籍は、翻訳が十分こなれていないものが多く、読んでも理解しにくいものが多い。ここでは、『知の変貌』(中村雄二郎/昭和53年)を底本にして、簡単にまとめておこう。
構造主義の特徴である「知の脱中心化・反全体化」という性格は、意識による認識論の枠組みと反照的な様態で提示される。簡単に列挙してみると...
デカルト哲学よりもはるか昔、紀元前4~5世紀の仏陀は今日の仏教思想の基となる悟りを開いた。
仏教もまた、コギト哲学の系譜いや先達だといってよいのだけれど、
なぜ仏陀は独我論の罠に陥らなかったのか?
内的な領域でいえば、形而上学的思惟を排して実践思想に価値と意味を見いだしたからであり、
外的な領域でいえば、「世界」というものが今日ほど複雑ではなくローカルで把握可能であった、
...からだといえよう。
今回読ませて頂いた「ユタ」の詩ですが、皆さんシリアスな感じが強く、やはり東日本大震災後の社会的雰囲気がどこかしら反映しているのかな、と思う。先日訪れた絵画展でも、同じムードを感じました。
どのような社会的雰囲気なのか?ひとことで言えば、「日本的大政翼賛自粛ムード」の浸透とでも。
陽気でお馬鹿な詩など書けない雰囲気だね。
暗黙知とは未知の発見をする場合の認知のあり方(方法)として追求されている。
前回の記事で誤解して頂きたくないのだが、ひらめきを得る方法のひとつとして「情報の大量インプット」とは単なる記憶のためのインプットではない、ということです。
前回取り上げなかったポランニー(ポラニー)の認知論の第一項について、読み解いていきたい。
ポラニーの出発点は、「我々は語ることができるより多くのことを知ることができる」という事実である。
多分に西洋的なこの命題に私は多少なりとも違和感を感じますが、まずその辺から取り上げていきましょう。
日本文化は重層的で、けっして単一の日本的なものや単一民族などというものは想定できない、という話を聞く。
けれども、世界中どこを探しても、重層的でない文化や民族、そして言葉などあり得ないのではないかと思う。
詩の立場から個と普遍の問題に触れてきましたが、言葉である以上どのように意味性を破壊したとしても日本語としての意味があると、いう事からは離れられない。
けれども、絵画などは色や形という表面を表現する芸術ですので、深い意味など考える必要がないという前提に立てば基本的に普遍性の芸術そのものだといって良いのではないかと思う。
縦糸横糸の項で、「表現自体が一人歩きする」という話に私は異議をとなえましたが、谷川俊太郎がこの問題を論じています。 「日本語共同体」という読者像...
対談の中で、伊藤画伯は普遍というもののひとつの例として、世界宗教であるキリスト教とその文化をあげました。
わたしは日本で生まれ育っていますから、西洋世界の宗教であるキリスト教とその文化については、最後は自分の理解の向こうにある、ということを言いました。
詩でも絵画でも、強いモチベーションを感じるもの、感じないものというのがあります。
モチベーションが薄れて、ほとんど惰性でかいているのではないかと思えるものが少なくない。
要するに絵を描き続けるモチベーションがどこから来るかということがまず出発点ですね。
スッタという言葉群は意味的なつながりであると同時に、時間的な推移を表象するものとなっている。
原初の言葉を継承しつつ、時代と共に多くの横糸が織り込まれていった。
この縦糸があるからこそ、横糸を理解する共通認識が成り立つのだと解れば、あらゆる表現行為にそれが適用できることもまた、了解できると思う。
人生は、布を織ることに似ている...
晩年のガンディーが、日々糸を紡ぐ映像を見て、そう思わずにはいられなかった。
北インドのバラナシ、ガンディー・アシュラムで手にした綿布は手紡ぎの不揃いな糸によってざっくりとした風合いを醸しだし、時間という縦糸に人の営為が横糸として編み込まれた人生そのものなのだと感じた。