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    <title>言葉の綾織り</title>
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    <title>ざこ（3） ことばの振る舞い</title>
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    <published>2010-08-13T09:15:41Z</published>
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    <summary>　同音異義語が多い日本語では、ひらがなのことばは複数のことばのどれなのか、作者にしか分からないものがある。　それらのことば群も、語源を辿っていくと、元はひとつだったりする。　たとえ漢字で記してあっても...</summary>
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        <name>小林由典</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mediaxross.net/">
        <![CDATA[　同音異義語が多い日本語では、ひらがなのことばは複数のことばのどれなのか、作者にしか分からないものがある。<br />　それらのことば群も、語源を辿っていくと、元はひとつだったりする。<br />　たとえ漢字で記してあっても、音韻の連想から別のことばの意味を表象することも少なくない。<br />　<br /> ]]>
        <![CDATA[　以前紹介した※シリーズにある「<a href="http://mediaxross.net/2010/08/komesirosimesu01.html">ノンしゃらん</a>」にある...<br />　　　　　　<span style="color: rgb(0, 128, 0);">生沼に<br />　　　　　　秋のきぬ晒し</span><br /><br />　これは、「老いぬ間に　飽きの来ぬ」という意味を掛けている、伝統的な懸詞の例ですね。<br /><br />　<br />　ことばには辞書的な意味を持つ表の意味（コノテーション）と、<br />　それから派生しているウラの意味（デノテーション）とがあります。<br />　ウラの意味は、極めて個人的な経験に基づくものから、伝統的短歌の世界で多用されている懸詞や類語・縁語といった文化に根ざしたものまで、多用にあります。<br /><br />　このようなことばの性質から、本人が意図しないあるいは意識していないことばのコノテーションが一人歩きする、という事も起きてきます。ソシュール言語学でいう「シニフィアンの自走」というのも、同じような意味なのでしょう。<br /><br /><br /><br /><span style="color: rgb(0, 128, 0);"><font style="font-size: 1.25em;">ざこキャラ３</font><br /><br />ことばは<br />薄衣の魅惑をもたらしもする<br />厚化粧でひび割れすることもある<br /><br />形式（シナリオ）を学び　教育を忘れ<br />用語を知り　業界バカになる教育熱中症<br /><br />〈 ざこ・キャラ 〉と<br /><br />十人十色を<br />百人百様を<br />千差万別、千変万化を<br />...<br />十把一絡げに<br /><br />ラベル一枚のキャッチコピーで<br />括って　おしまい<br /><br />ことばの　こより<br />よりどり　みどり<br /><br />ひとりひとりの顔が<br />うっすらひとしなみに　煤けていく<br /><br />終息のない　無邪気な終身刑<br />思い浮かべることもないのだろう<br /><br />無辜な囚人たちは　夜ごと<br />それぞれのすり傷に　水絆創膏を貼りつけて眠るのだ<br /><br />どんな魚にきみは　似ているだろうか？<br />苦酔い気分でジャコをつまみながら<br />魚類図鑑をめくってみる<br /><br />水面ちかくをおよぐ魚より<br />深海にいくほど　魚も<br />人間に似てくるらしい<br /><br />...・チョウチン・アンコウかな　...<br />と<br /><br />意識の下で<br />未だ音声にならない発語のすさみに<br />ハッとする<br /><br />イオニアの海底で<br />アンコウはチョウチンを消して　鮮やかに<br />昼寝をしている<br /><br />けれど<br />ことばの水面（みなも）では<br />チョウチン持ちの　狡猾なアンコウがどん欲に<br />〈 ざこ 〉を　まる呑みにしている<br /><br />ことばの振る舞いに<br />ひとりの魂が震え<br />世界が震える<br /><br /><br />イオニアの渚に夕日はしずみ<br />いのち豊かなポリフォニーは<br />モノトーンの潮騒に沈み<br /><br />やがて<br />カラ明るい農村の<br />ほの暗いあぜ道<br /><br />アテナイの提灯をかかげ歩く<br />ネンブツダイと木っ葉メジナ<br /><br />キャッチ＆リリース...<br /><br />なにを<br />どのように？</span><br /><br /><br /><br /><br />　これが最後のパートです。<br /><br />　最初は、<br /><span style="color: rgb(0, 128, 0);">十人十色を　</span><span style="color: rgb(0, 128, 0);">十把一絡げに</span><br /><span style="color: rgb(0, 128, 0);">百人百様を　</span><span style="color: rgb(0, 128, 0);">十把一絡げに</span><br /><span style="color: rgb(0, 128, 0);">千差万別、千変万化を　</span><span style="color: rgb(0, 128, 0);">十把一絡げに</span><br /><span style="color: rgb(0, 128, 0);">...<br /><br />くくって　おしまい<br />キャラ立ちコピー狂時代<br /></span><br />　<br /><br />　としたのですが、どうもくどくなる。<br />　怒りを表しているから、くどくなってしまう。<br /><br />　けれども、この教師を怒っても、ほとんど無意味でしょうね。<br />　なので、　<span style="color: rgb(0, 128, 0);">よりどり　みどり</span>　と相対化してみる。<br /><br />　こよりといっても、今の若い子には意味が通じない死語になっているのかもしれない。<br /><br />　（今風に言えば、テープ（バインディング・テープ）だろうか。<br />　けれども、テープだけではセロテープとか、紙テープとか、色々あり、シニフィエ（意味されるもの）がぼんやりしてしまうだろう。<br /><br />　水絆創膏などというのも、絆創膏だけであれば死語なのだとおもう。<br />　バンドとかいう商品名になっており、現在の薬局などでは水絆創膏という商品にだけ、絆創膏の表記が見られる。）<br /><br />　<span style="color: rgb(0, 128, 0);">ことばの　こより<br />　よりどり　みどり</span><br /><br />　このような表層言語は個人の問題というより、資本主義社会のシステムが不可避的にもたらしているマーケティングの過当競争が世界を席巻している、その現れのひとつなのだといってよい。<br />　<br />　「紫の牛を売れ」という目立ちの論理。<br />　「エスキモーに氷を売れ」という購買心理刺戟論理。<br />　キャッチという手法を最優先にしたことばの大量流通が、教育の世界をも席巻しているわけです。<br /><br />　このような表層言語、フローのことばに対して、私たちはいかに対応していくか?<br />　たとえばインターネットでは、ほとんどがこのようなフロー言語が流通しており、その象徴がツイッターなのだろう。<br /><br />　短いことばで、かつ他者に読まれることを重視すれば、いきおいハイプ（ハイパーの略、大げさな）なキャッチコピーになっていかざるを得ない。<br /><br /><br />　ほとんど目まいのような...無力感に襲われるだろう。<br /><br />　けれども、詩人は無用の存在である、と達観して、虫メガネで襖の下張りを観察するが如き詩を書いていることに甘んじるわけにはいかない。<br /><br />　詩のサークルや合評会などでは、今は私詩の時代なのだと、自意識の円環に浸りきったような詩を書いている人がほとんどのようだ。<br /><br />　この苛立ち感は、なぜか1970年頃に詩を書いていた時代を思い起こさせるが、ここでは問わないことにする。<br /><br /><br />　ざっくんは学校の工作（陶芸）の時間に、アンコウを制作した。その歪み方がシュールで、廊下に飾っておいたせいか、類似感を覚えたのかと思う。<br /><br />　けれども焼き物のアンコウが、「アンコウ」ということばに変わってしまうと、そこにコノテーションの一人歩きが立ち現れてくるのだった。<br />　自分もまた、浅薄なことばを口にして日常生活をおくっているのかもしれない、と心する必要がある。<br />　<br /><br />　それにしても、洪水のように押し寄せてくる表層語のかずかず。<br />　われ関せずと自意識の円環の中で、詩的レトリックに終始している詩人たち。<br /><br />　詩の世界に、身を置いているのだろうか？と、考え始めると、たいへん心許ない。<br />]]>
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    <title>「ざこ」の生態</title>
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    <published>2010-08-13T00:22:08Z</published>
    <updated>2010-08-13T00:34:51Z</updated>

    <summary>　世の中、「ざこ」と呼ぶほかない人間は、どうしてもいますからね、と合評会で評されました。　大人の世界の話ではありません。　ざこということばの意味も知らない子供たちをざこキャラと分類し、学園祭のシナリオ...</summary>
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        <name>小林由典</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mediaxross.net/">
        <![CDATA[　世の中、「ざこ」と呼ぶほかない人間は、どうしてもいますからね、と合評会で評されました。<br />　大人の世界の話ではありません。<br />　ざこということばの意味も知らない子供たちをざこキャラと分類し、学園祭のシナリオに印刷することは、まったく意味が違うと思う。<br /><br /> ]]>
        <![CDATA[　<span style="color: rgb(0, 128, 0);"><font style="font-size: 1.25em;">ざこキャラ２</font><br /><br /><br />〈 ざこ 〉ってなに？<br />...と<br />きみが訊ねる<br /><br />ジャコ　ならば<br />テーブルの上に　ある<br /><br />晩酌の時に　話しかけてくる<br />鰯類などの　こどもたち<br />の、ひもの<br /><br />生きたざこ釣りに<br />二人は近くの海に行ってみる<br /><br />いろみずみずしい！　木っ葉メジナ...<br />　湧き上がる　落ち葉の舞い　<br />　メジナっ子たち　グレずに元気だ<br />　生きている瑠璃色の変化に見入るばかり<br />　どんな色の名も　この階調を表し得ない<br /><br />おもながながく！　鉛筆サヨリ...<br />　腹もくびれもなく細く　とんがっている<br />　大人になると　サンマ・サヨリと<br />　けれど少しも似ていない　笑えるほど不思議な受け口　<br />　どんなことばの網も　この小魚を掬いきれない<br /><br />にん気きらきら！　チンチン、</span><span style="color: rgb(0, 128, 0);">チヌの子</span><span style="color: rgb(0, 128, 0);">...<br />　小さくても磯の勇者　黒鯛なのさ<br />　カニでもスイカでも貝でもイソメでも　食いつく<br />　きかん坊な顔してるぞ<br />　どんな占い師も　この子の性格を当てられない<br /><br />あかあかと潮を染め！　ぶつぶつネンブツダイ...<br />　本当は恋のつぶやきらしい<br />　大きな口の中で卵を孵化させる偉いお父さん<br />　子どものような三頭身で<br />　どんな賞賛も　彼らにはカラ念仏だね<br /><br />夕食の時　ジャコの袋から<br />小女子　おさなハギ　イカっ子　豆ガニ　藻エビ<br />などなど声をかけ　皿に盛る<br /><br />〈 ざこ 〉っていうのは　きっと<br />いろんな名前と<br />いろんな顔つきの<br />小さなあそびともだち<br /><br />...という意味さ</span><br /><br /><br /><br />　今回は第２連を見ていきます。<br />　この詩は何を言いたいのかといえば、十把一絡げのざこといってもいろいろで、それぞれに個性的な生態を示している、ということですね。<br /><br />　たとえば、前々回に取り上げました殿岡秀秋さんの詩ですけれど、詩集一冊を読むと、当たり前のことですが「人それぞれ、実にさまざまな、いろいろな経験を積んでここに居るのだな」という感慨にうたれます。<br /><br />　会社務めなどをしていても、ふとしたきっかけでそういう隠された面をかいま見ることは少なくなく、知れば親しみを持つことができる。<br /><br />　けれども、ほとんどの場合そういうこともなく、表面的な理解で他者を色眼鏡で見てしまう。<br />　私たちは、じつに「象をなでる群盲」なのだ。<br /><br />　だからこそ、あらゆる先入見を排して、ものを見ることが大切になってくる。<br />　そういう痛切な反省があれば、クラスの生徒を十把一絡げにして〈 ざこ 〉などとは、間違ってもいえないはず。<br /><br />　そういう思いやりのない粗雑な感覚で〈ざこキャラ  〉におとしめられた以上、浅薄な表層言語を根底から解体していかねばならないかと思います。<br />　これは、けっして一頃はやった「言葉狩り」のような言い換えによるカモフラージュではありません。<br /><br /><br />　ざこ、といってもそれを思い浮かべる人のイメージは様々だと思う。<br />　それを解体していくには、個別的に取り上げてそのきらきらした個性を指し示すのがよいのだと思う。<br /><br />　ただし、数が多いので、私が釣りや磯遊びでよく知っている４種に限定しました。<br />　各魚の初めに修飾語を置き、「いおにあ」となるように、こじつけてみる。遊んでいるわけですね。<br /><br />　私はこれらの魚を何度も釣っていますので、生きている魚の生命の躍動にほんとうに感動します。<br />　そういうものが、少しでもつたわればいいなと思います。<br /><br />　想像力の貧しさ、汝自身を知ることもやらない無智、教育者が生徒を類で十把一絡げにする傲慢などなど、恥ずかしくなるのではないかな。<br /><br />　この第２連は、おとしめられた〈 ざこ 〉のイメジを再構築する、という意味があります。<br />　<br />]]>
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    <title>「ざこキャラ」とは...役がらではない</title>
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    <published>2010-08-12T01:36:17Z</published>
    <updated>2010-08-12T03:11:31Z</updated>

    <summary>　ことばは存在を措定する。　措定することにより、物象化への過程をたどる。　浅薄な決めつけを旨とするレッテル主義を、私はラベルとかキルケ語と言っているが、これもそういう類のものなのだろう。 ...</summary>
    <author>
        <name>小林由典</name>
        
    </author>
    
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        <![CDATA[　ことばは存在を措定する。<br />　措定することにより、物象化への過程をたどる。<br />　浅薄な決めつけを旨とするレッテル主義を、私はラベルとかキルケ語と言っているが、これもそういう類のものなのだろう。<br /> ]]>
        <![CDATA[　私の詩のカテゴリーは大きく分けて、日本語の問題、東洋思想の流れ、西洋思想の流れという３本の流れの中に位置づけられます。<br /><br />　今回は西洋思想の流れから、「イオニア」シリーズの連詩を３編。<br />　もともとは、一連の少し長い詩でしたが、合評会で少しも理解されなかったので、重層的な表現を改めて、テーマで分割しました。<br /><br />　　<span class="mt-enclosure mt-enclosure-file" style="display: inline;"><a href="http://mediaxross.net/pdfs/zako.pdf">zako.pdf</a></span><br /><div><br />　全体を読むには、上のPDFファイルをご参照ください。脚注もついております。<br /><br /><br />　<span style="color: rgb(0, 128, 0);">〈 イオニアの渚から 〉<br /><br /><font style="font-size: 1.25em;">　ざこキャラ</font><br /><br /><br />読みかけのまま　うち捨てられ<br />すでに色あせているのか？<br />学校文化祭　演目のシナリオ<br /><br />学習机の端に見つけ<br />きみの　名前を　さがしてみる<br /><br />配役を目で追い<br />すもう番付ならば〈 虫メガネ 〉と<br />いわれるあたり<br /><br />　通行人Ａでなく<br />　見物客Ｂでなく<br />　村人Ｃでもなく<br /><br />〈 ざこキャラ 〉と　<br /><br />役がらではなく　貝がら<br />類という属性で　くくられ<br />劇に関わりのない　舞台袖の外<br />九十九里の砂に埋もれた　不条理のプラナリアなのか？<br /><br />道はたの石であれば　うずくまればよい<br />野の花であれば　空を見上げられるだろう<br /><br />ざっくん...<br /><br />どのように振る舞うひとなの？　かな<br />役がらのない<br />〈 ざこ 〉<br /><br />その他大勢のコロスであれば<br />神々が生まれるエーゲ海の<br />輝く波頭のひとつとなるだろう<br /><br />けれども〈 その他大勢 〉から<br />キャラ立ちのない〈 ざこ 〉へ<br /><br />値下げラベルの上貼りは<br />打ち消し数字ばかりが目立つ...<br /><br />記号となってデフォルメされるさだめのキャラ<br />子どもたちに植え付けられたイメージは<br />お笑いの対象を再生産し　再定義しつづけ<br /><br />ざっくんたちのこころに<br />淡い影を落としつづける</span></div><br /><br />　これが第一連です。<br /><br />　ここのテーマは、雑草という草がないのと同様に、ざこという魚はいない、ということについてです。<br /><br />　けれども、人を揶揄して〈 ざこ 〉という場合は、パレートの法則でいう上位２割以外の、落ちこぼれそう（落ちこぼれ層とはあえて記さない、こぼれそうな人たちなのだ）という蔑視の意味あいを含んでいるだろう。<br /><br />　これは集合論でいう類的分類のことばであって、劇の役割としてのことばではないという違和感を禁じ得ない。<br />　概念語だと言うだけでは説明にならないだろう。<br />　たとえば「龍」というのは想像上の生きものだけれども、〈 龍キャラ 〉といえば、水神さまとして、天に昇るどこか恐そうなイメージが湧く。<br /><br />　キャラということばと組み合わせて、ちょっとプロの脚本家みたいに洒落てみたのかもしれない。<br />　あるいは、お笑い芸人ふうに少しおどけて、印象を和らげようとしたのかもしれない。<br /><br />　どちらにしても、以前の「その他大勢」の方が、まだマシなのだ。<br />　その他大勢、というのは劇の役割を担っている。<br />　ギリシャ悲劇のように、コロスであれば、重層的な空観を生み出す構成要素となりうる。<br /><br />　舞唱隊コロスは、ある種の共同性を演出し、ヒーローを生みだしていく基層を形成する。<br />　それと同時に、観察者的要素をもち、観客と舞台との橋渡しの役割をも担っている。<br /><br /><br />　けれども、〈 ざこキャラ 〉は、といった場合、劇の要素でもないし、役がらとしての関係性もない。<br />　脚本作者の乏しい想像力には納めきれず、とりあえず名前をつけただけなのだ、と。<br />　とりあえず名前をつけただけで、その実体はない。ことばはあっても、実体はない、存在ですね。<br />　<br />　この先生はシナリオライティングを学んだのでしょうか、本格的な形式を備えています。<br />　けれども、教育的な配慮というものは、すっかり忘れ去られているようです。<br /><br /><br />　〈 ざこキャラ 〉ということばは、それを知らなかった子どもたちの間に〈 ざこキャラ 〉と呼ばれる生徒を出現させた、といってよい。意識の上に、明示させたわけです。<br /><br />　キャラと呼ばれるキャラクターはデフォルメされることによって、キャラ立ちをしていくものだ。<br />　子どもたちの間で〈 ざこ 〉と何度も呼ばれるようになり、その子たちは〈 ざこキャラ 〉にさせられる。<br /><br />　そして、いつまでも「お笑い」にさせられ続けるのです。<br />　ことばは、やがて物象化への過程をたどる。<br />　　〈 ざこキャラ 〉という悪しきことばは同時性を持って広まり、次世代にも受け継がれ、ノーテンキにカラ明るい田舎の学校の学校文化になっていくだろう。<br /><br />　人権感覚が非常に希薄な田舎の学校の、空しく明るい人間疎外の一端を思い知らされるのだ。<br />　怒ったところで、鈍感な人間には本当のところは切実につたわらない。<br /><br />　学校の三者面談で、頭が偏った子ですけれど、それを個性として伸ばすことを考えている、と話をしました。<br /><br />　ウンウンと頷いていた先生は、そのあとで、<br />　「英語が得意で、やればできる子なんだから、苦手な算数もがんばろうね！」って、さ。<br /><br />　好きなこと、得意なことは少しの努力でも飛躍できるけれど、苦手なことは１０倍がんばっても１０文の１ほどの結果も出せない。<br /><br />　平均点教育のバカの壁に頭をぶつけて、言語中枢を破壊された方がいいのだろう。<br /><br /><br />　<br />]]>
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    <title>「わからないまま」　殿岡秀秋詩集より</title>
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    <published>2010-08-10T07:39:50Z</published>
    <updated>2010-08-11T04:20:40Z</updated>

    <summary>　殿岡秀秋さんは、私がお世話になっている某出版社で、先月まで編集長を務めておられました。　文学とは畑違いでしたから、詩を書いていることはまったくご存じ上げていなかった。　退職されてから、現代詩の大先輩...</summary>
    <author>
        <name>小林由典</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mediaxross.net/">
        <![CDATA[　殿岡秀秋さんは、私がお世話になっている某出版社で、先月まで編集長を務めておられました。<br />　文学とは畑違いでしたから、詩を書いていることはまったくご存じ上げていなかった。<br />　退職されてから、現代詩の大先輩であることを知りました。本当に、人は分からない。<br />]]>
        <![CDATA[　このたび、第九詩集『記憶の樹』を読ませていただき、色々共感する所などありますので、その中からひとつご紹介してみます。<br /><br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="wakaranaimama.gif" src="http://mediaxross.net/gazou01/wakaranaimama.gif" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0pt auto 20px;" width="408" height="1334" /></span><br /><div><br />　男の子と母親との（ひいては自分と女性との）、心理的な距離感が淡々と描かれています。<br /><br />　母親にとってはどうってことないことでも、子供にとっては大問題。<br />　「胸の床で足踏みする」思いが、大人になっても変わらない。<br /><br />　殿岡さんのひとがらそのまま、少しもひねくれたりせずに大人の今まで続いている、というのがすごいところです。他の詩でも、その特質は変わりません。<br /><br />　ちょっと「どらえもん」の主人公のような少年時代を描いていますが、肩肘張ったり隠したりせず、ありのままに描写しているところが、精神的に成熟した大人だなと逆に感心しますね。<br />　もちろん詩の表現ですから、自分を十分対象化していて、抒情の方に流れすぎず、柔らかな眼差しだけを堅持しているようです。<br /><br /><br />　一般に右利きの人では、自分の左側はパーソナルな領域であり、右側はソーシャルな面を見せるのだと言いますね。<br />　人は左右対称に見えますが決してそうではなく、利き目・利き首・利き腕・利き足があり、利く方がソーシャルなあるいは対人関係に向けられます。あっち向いてホイは、その人によって右に向きやすい人と、左に向きやすい人に分かれるようです。<br /><br />　他者と対面する場合、向かって右側（つまり、相手の左側）に座って話しかけると親密感を得られやすく、その逆の場合は打ち解けにくい（拒否的な）面を見せられる傾向があるそうです。<br /><br />　詩の中では、二度目に座った位置関係が分かりませんので、なんとも言えませんが、両側から肩にもたれかかられるとうっとうしくなる、ということかもしれません。<br />　利き腕の方にもたれかかられると、体の自由を奪われるような本能的な防御意識が発動するのでしょうか。小さな子供で、脇の下に抱えているなら、腕が自由ですから両脇に抱えることに不自由感を与えない。<br /><br />　子育て中の母親はとくに、動物的な本能に促されたような無意識行動をとることがあります。<br />　乳児を抱えている母親は危険に遭遇すると、日本人の場合は子供を抱えて相手（危険）に背中を向ける。欧米人の場合は、子を後ろに抱え、利き腕で防御しようとするようです。<br />　それでは、子供をおんぶしていた場合はどうなのか？<br /><br />　霊長類の観察などがありますが、人間の場合文化や教育知識などの要素が入ってきますので、動物の研究をそのまま当てはめるわけにはいきません。<br />　けれども、利き腕をフリーにして、木の枝を伝って逃げる猿のように、基本的な本能の部分は洋の東西を問わないでしょう。<br /><br /><br />　それにしても、意識的にかくべつ意味があるわけでもないことでも、子供心には大きな影を落とす、ということです。<br /><br />　そういう子どもの頃の体験がある種のトラウマのように尾を引いて、女の人が苦手な大人になっている。精神的な緊張感が相手にも伝わるのでしょうね、すぐにことばが途切れてしまう。<br /><br />　幼児は母親を通じて基本的な言語体験を獲得していきます。<br />　他者との関わり方も初めに母親から学ぶ。<br />　母親は男の子にとっては最初の異性でもあるわけです。<br /><br />　母親の影響力は大きいものですね。<br />　これは女の子の方がさらに大きく、生涯にわたって葛藤するものがあるようです。<br /><br />　男の子の場合は、成長するに従って母親から自立していく。<br />　その自立を促す存在として、父親との対峙があるわけです。<br /><br />　こういう世界を丁寧に描くことは、殺伐とした今の世では大切なことだなと思います。<br />　いまの若い人たちの様々な問題行動も、アメリカナイズされてきた家庭にその萌芽があるのでしょう。<br /><br />　けれども、どういう所が問題なのか、一概に言えない。<br />　このような詩を読むと、外からはうかがい知れない子供の心が理解できますね。<br /><br />　次回取り上げる私の「ざこキャラ」の詩もおなじ問題を扱っていますけれど、このようなみずみずしい感情を失った大人たちは「何をつまらんことを...」という感じで、軽視してしまいがちです。<br /><br />　このような感受性を失った人間は詩人だなどという資格もないと思いますが、そういう人が三〇年一日のごとく古ぼけて死んでいるような詩を書いているのが、大方の現状なのかと思います。<br /><br /><br />　ともあれ、お子様である私にはとてもこのような詩を書けないし、無理に書いても全然こころがこもらないでしょうね。<br /><br />　私の母は炎のような女性で、人生の修羅場を何度もくぐり抜けてきたせいか、現実主義的で、厳しい人でした。<br />　父親も、元帝国陸軍の軍人くずれで、満州鉄道に入って、ソ連軍に追われて中国大陸を横切って上海まで逃げてきた無頼派インテリ。容赦なく厳しい恐怖のオヤジでした。<br /><br />　田舎の親戚まで４－５キロの道を歩くとき、小学生の兄をおんぶして、保育園児の私はずっと歩き。<br />　保育園から帰ると、兄の教科書を使って読み書きや算数をやらされて、間違うごとに拳骨をくらいました。<br /><br />　反抗すると、翌朝出勤前に後ろ手に針金で手首をしばられ、リンゴ箱に乗せられ天井の梁から吊されました。<br />　つま先立ちしていないと針金が手首に食い込み、暴れてリンゴ箱を転がらせでもしたら、ほんとの宙づりになっていたでしょう。<br />　その状態で、出勤してしまい、私はひとり夕方まで取り残されるわけです。<br /><br />　空腹と疲れでぐったりでもなったら針金が食い込み、手先に血が通わなくなり、夕方には手首がちぎれ落ちていたかもしれない、という罰を何度か受けました。<br /><br />　いろり端で説教とか食らうと、焼けた火箸で半ズボンからむき出しになっている内ももをいきなりバシッと打ちすえるのです。よけると、灰皿などを投げつけられる。<br /><br />　私の場合は、なぜこうも親に怒られるのかが分からなかった。<br />　何か間違いをしでかすのだろうけれど、それが分からない。<br />　問答無用、いきなりバシッと来るわけですから。<br /><br />　それで、子供心に間違いをしでかさないようにするには、事の善悪を的確に判断しなければいけないと、生き延びるために考え始めました。<br />　そして、すでに小学生の頃から、人の判断を正しいと保証するものは何かという、言ってみれば認識論的な命題にとりつかれるようになっていました。<br /><br />　このオヤジと口論して勝つために、仏教の本を読んだり、デモステネスの雄弁術を学んだり、日本文学は言うに及ばず、シェイクスピアとか偉人の伝記とか読みあさる日々。<br />　そうなると、もう誰とも意見が合わなくなり、あまのじゃくだと姉兄・友人からいわれるようになる。<br /><br />　体も次第に大きくなり、六年生の頃にはオヤジよりも背が高く、兄・姉たちそして母ととっくみあいの喧嘩をして倒していき、父親とも対決する。<br /><br />　そんな風に育ってきましたから、とても詩にはなりませんね。<br />　淡々とこのように凄惨なことを書いていたら狂気だとした思われない。<br /><br />　保育園から大学まで、教師たちと争い、社会人になっても仲間と争い、組織と争い、地域共同体と争い、警察と争い、子供の学校と争い、今では社会制度を無視して生きている。<br /><br />　家庭とくに妻との生活となると、島尾敏雄の『死の棘』が男女反転したような感じかと思う。<br /><br />　私の表現の根底にあるのは、自分と世界が接触する場で感じる違和ですね。<br />　NOという物言いが動機になっていることが少なくない。<br />　いってみれば、金子光晴的なモチベーションが大きいかな、と。<br /><br />　ですから、私には殿岡さんや池井昌樹さんのような詩は、書きたくとも書けない。<br /><br />　次は、私自身の未完成の詩をご紹介して、みたい。<br /><br />　<br /></div>]]>
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    <title>生きている絵文字を使ってみた</title>
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    <published>2010-08-08T02:20:43Z</published>
    <updated>2010-08-13T09:32:06Z</updated>

    <summary>　中国雲南省のトンパでは、納西(なし)族がトンパ文字を今でも祭祀などで使っています。　漢字系ではなく、東ビルマ言語系らしいですが、きちんと文法もあるし、読みもある。　不倫についての詩を書きたかったので...</summary>
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        <name>小林由典</name>
        
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    <category term="トンパ文字" label="トンパ文字" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[　中国雲南省のトンパでは、<span><ruby style=""><span>納西</span><rp>(</rp><rt style="font-family: ＭＳ; font-size: 5pt;">なし</rt><rp>)</rp></ruby></span><span style="font-size: 10.5pt; font-family: 'ＭＳ 明朝';">族がトンパ文字</span>を今でも祭祀などで使っています。<br />　漢字系ではなく、東ビルマ言語系らしいですが、きちんと文法もあるし、読みもある。<br />　不倫についての詩を書きたかったのですが、夫婦喧嘩はありますが不倫という表現はないようです。<br />　ということは、現代はいざしらず、昔は不倫という概念も、その実態もなかったということでしょうか。<br />　言語学者に尋ねてみたいものです。<br /> ]]>
        <![CDATA[　そこで、不倫未満の詩をひとつ。<br /><br /><br />　　　　　<font style="font-size: 1.25em;">ターゲティング（二）</font><br /><br /><br />　　　　　あれ<br />　　　　　いつのまに...<br /><br />　　　　　湧惑の魔女に<br />　　　　　売られてしまった<br />　　　　　わたし！<br /><br /><br />　　　　　　艶絵文字<br />　　　　　　深読みなせそ<br />　　　　　　デコメール<br /><br />　　　　　たくさんのハートが<br />　　　　　封筒から飛び出し<br /><br />　　　　　笑顔とハート<br />　　　　　水鉢に二匹の金魚<br /><br />　　　　　赤い金魚は　黒キンギョに連れ添い...<br />　　　　　熱帯夜に一陣のそよぎ<br /><br />　　　　　金魚の尻フリにつられ<br />　　　　　孤独な好奇心にかられ<br /><br />　　　　　予約の！場所へ<br />　　　　　約束の？世界へ<br /><br />　　　　　けれども<br />　　　　　赤い金魚は赤い金魚どうし...<br /><br />　　　　　尻のフンはフンどうし...<br /><br />　　　　　ふんどし仲間の薦める<br />　　　　　ダイエット・サプリ！<br /><br />　　　　　苦虫フンコロガシは<br />　　　　　艶絵文字の謎解きにふける<br /><br />　　　　　　深読みなせそ<br />　　　　　　情趣の彩り<br /><br />　　　　　絵文字入り虫食い文<br />　　　　　ちりばめられたハートは？<br /><br />　　　　　「愛情」とも<br />　　　　　「自愛」とも<br /><br />　　　　　異なる主語を持つ<br /><br />　　　　　行き場のない<br />　　　　　話しようのない<br />　　　　　思い過ごしの<br />　　　　　齟齬すごすご<br /><br />　　　　　売らてしまった...<br />　　　　　波立つ苦笑い<br />　　　　　......<br />　　　　　黒キンギョ　ならぬ<br />　　　　　フンコロガシ<br /><br />　　　　　ターゲティング<br />　　　　　夏の虫<br />　　　　　どこに飛び込んだの？<br /><br /><br />　　　　　（<b>返信の歌一首</b>）<br /><br />　　　　　デコメの魔法使い様<br /><br />　　　　　今に生きる納西<span><ruby style=""><span></span><rp>(</rp><rt style="font-family: ＭＳ; font-size: 5pt;">なし</rt><rp>)</rp></ruby></span><span style="font-size: 10.5pt; font-family: 'ＭＳ 明朝';"></span>族のトンパ文字<br />　　　　　文法がある<br />　　　　　読みも　意味も　ある<br /><br />　　　　　<span style="color: rgb(0, 180, 0);">ルビ</span>は振らないでおくよ<br /><br /><br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="utukusii_doku.jpg" src="http://mediaxross.net/gazou01/utukusii_doku.jpg" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0pt 20px 20px 0pt;" width="280" height="180" /></span><br /><div><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="愛.jpg" src="http://mediaxross.net/gazou01/%E6%84%9B.jpg" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0pt auto 20px;" width="263" height="262" /></span><br />　　　　　　※<span style="color: rgb(0, 180, 0);">（愛）</span>！<br />　　　　　　かしらと　誤読もするさ<br /><br />　　　　　　※<span style="color: rgb(0, 180, 0);">（美しき）</span><br />　　　　　　※<span style="color: rgb(0, 180, 0);">（毒）</span>！<br /><br /><br />　　　　　　　　　　　　　　　　これもまた、ひとつの「愛」の形なのだ。</div>]]>
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    <title>『ユネンティダ』　（飽浦　敏）の価値について(4) </title>
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    <published>2010-08-07T15:11:20Z</published>
    <updated>2010-08-07T16:57:32Z</updated>

    <summary>　いろいろな要素が錯綜していることが次第に見えてきましたね。　この詩は『おもろさうし』に視られるオボツカグラの垂直な形成過程をひっくり返して成立している。　では、按司時代に末分化であったニライカナイの...</summary>
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        <name>小林由典</name>
        
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        <category term="01詩論・評論" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mediaxross.net/">
        <![CDATA[　いろいろな要素が錯綜していることが次第に見えてきましたね。<br />　この詩は『おもろさうし』に視られるオボツカグラの垂直な形成過程をひっくり返して成立している。<br />　では、按司時代に末分化であったニライカナイの水平的形成に対しては、どうなのか？<br /> ]]>
        <![CDATA[　それを検証するために地図を掲載したわけです。<br /><br />　なぜ真栄里村という実名なのか、といえば、<br />　ひとつにはふるさとへの郷愁、というものがモチベーションのひとつとしてあるからなのでしょう。<br /><br />　そしてもう一つが、リアリズムの意識なのでしょうか。記述と地図がピッタリ一致する。<br /><br />　<span style="color: rgb(0, 128, 0);">「おもろさうし」で詠われる太陽はほとんどが東天の太陽（東方＝あがるい）の大主であり、<br />　 中天で照りつける太陽ではない」</span><br />　<br />　そうなので、真昼時の陽炎の過酷な労働の風景を描写し、それを<span style="color: rgb(255, 33, 102);">「戦い」</span>と表現した。<br /><br />　そして、<span style="color: rgb(0, 128, 0);">「日は茜に空を染め野を染めて」...「解放されたかのように」</span>と続く。<br /><br /><br />　皆さんはこの夕焼けの光景をどのように想像されるでしょうか？<br /><br />　夕日に向かって歩いている、という印象を受けるかと思います。<br />　私は以前に、夕焼けの風景を書いたことがあり、夕日に向かえば建物や山波はシルエットになってしまうということをイメジしました。<br /><br />　ですから、地図を参照したわけですが、この帰り道は南西から北東に向かって歩くことになります。<br />　つまり、左後ろ45度くらいの角度から夕日が差して、北東に向かって歩いて行くわけです。<br /><br />　それを大きな地図で見れば、まっすぐ本土あるいは東京方面に向かっているわけですね。<br />　ニライカナイというのは太陽が昇ってくる方角を漠然と指し示しているそうなので、ニライカナイの彼方にはヤマトがあるという図式になってしまいます。<br /><br />　『出発は訪れず』のミホは、島尾隊長をヤマトの荒ぶる神として受け入れる。<br />　...この構図とイメジが重なってしまうのですね。<br /><br />　『ユネンティダ』の対照関係の諸々が、最終連で一本の道に収斂していく。その道がニライカナイを暗示し、さらにはヤマトの荒ぶる神の国をも表象してしまう。<br /><br />　少しばかり不都合な真実ではないのだろうか、と。<br />　吉本隆明は戦後詩とは何かで、「戦後詩とは戦争を通過しうる（思想と倫理性をもった）詩を意味する」と、独特の言い方をしています。<br /><br />　そういう基準から見ると、この詩のリアリズムは不都合な真実を内包しているな、と余計な心配をしてしまうわけです。<br /><br />　真栄里村ではなく、ただの村とすれば、このような不都合は起こらないはずですが、真栄里村と記述する作者の意識が、どれほどこういう不都合を見据えて確執しているかといえば、多分そう言うことは想定外のことなのかもしれない。<br /><br />　先に述べたクバ笠も、オボツカグラに対するアンチテーゼとして意図的に表現されておらず、風俗として表現されているのかな、という気もしないではない。<br /><br /><br />　まあ、そこまで深読みする人はほとんどいないでしょうから、単なる私の杞憂でしかないのでしょう。<br /><br /><br />　この詩の表現的な面だけを見ていくと、<br /><br />　　　<span style="color: rgb(0, 128, 0);">私の側すり抜け先へ行く　蹄の音が<br />　　　俯きがちな背を　こつこつと叩く。<br />　　　ふと背筋を伸ばす　目の前に<br />　　　茜に染る道が　一筋<br />　　　すーっと延びていた。</span><br /><br />　...というあたりが、動的なリズムと像的な展開が調和していて印象的だな、と感じます。<br /><br />　けれども、表現としてさほど高度なものはどこにも見られません。<br />　にもかかわらず、この詩を取り上げた理由は、伝統的価値観あるいは神権から王権へという道筋を切り開いた『おもろさうし』に対峙して、現代詩として再構築した作者の世界の総体的な重みがあるからです。<br /><br /><br />　たとえば、引用されているトゥバラーマの一節...<br /><br />　<span style="color: rgb(0, 128, 0);">歓世の訪れは何時のこと？<br />　世の波風荒いなか<br />　お達しはきびしくなるばかり</span><br /><br />　これを戦争初期の情景だと受け取る方もおられるかもしれない。<br />　実際、この詩全体が戦争の影を表象し、庶民のしなやかでしたたかな生命力を表現しているという見方も成り立つと思う。<br /><br />　元の琉歌の意味は、「次第に按司様の統制がきつくなるが、何時になったら離島苦から逃れられるやら」ということになる。<br /><br />　島人と按司と琉球王権との関係は、古代になるほど緩く、按司と王権の関係は相補的なものであったようだ。<br />　それが、琉球王権が確立していく過程で、そのオボツカグラの縦の従属関係に再編されていくわけです。<br /><br />　島ちゃび＝離島苦というのは、ただ単に気候風土的厳しさだけでなく、かのナチスドイツのヒットラーの暴政にも比すべき過酷な人頭税の取り立てと人減らし地獄がある。<br /><br />　そして、琉球王権はさらにヤマトの島津藩による圧政によって、さらに人頭税の取り立てを厳しくすることを余儀なくされるという二重圧政構造となっていた。庶民は二重三重に搾り取られる存在であった。<br /><br />　その構造は、現在でも変わりはないわけです。<br /><br />　南方的で素朴な風景を描いているようですが、その背景は大変重い歴史的現在を内包している。<br />　一篇の詩だけでは評価しきれない、大変良い仕事をしていると思う。<br /><br />]]>
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    <title>『ユネンティダ』　（飽浦　敏）の価値について（3） </title>
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    <published>2010-08-07T13:06:14Z</published>
    <updated>2010-08-07T15:10:51Z</updated>

    <summary>　引用した「おもろさうし」は岩波書店、日本思想体系（外間守善　西郷信綱）ですが、編集方針として元々はほとんどかな文であったものを、漢字仮名交じりに変え、もとの仮名をルビとして振っています。　したがって...</summary>
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        <name>小林由典</name>
        
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    <category term="対句表現" label="対句表現" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mediaxross.net/">
        <![CDATA[　引用した「おもろさうし」は岩波書店、日本思想体系（外間守善　西郷信綱）ですが、編集方針として元々はほとんどかな文であったものを、漢字仮名交じりに変え、もとの仮名をルビとして振っています。<br />　したがって、ティダはウチナーぐちの発音表記であり、『おもろ』では「てだ」と書いて、発音は「ティダ」ということになります。<br /> ]]>
        <![CDATA[　『ユネンティダ』という題は、それだけでも作者の言語意識が表れているようです。<br />　その意図はおいおい解明して参ります。<br /><br />　この詩を最初に読んだとき、ひと言で言えば我が国で失われた「農村の原風景」のようなものであり、この詩はたとえば東南アジアとか中国、あるいは南米とか、さらにはヨーロッパに当てはめても通用する世界性あるいは普遍性をもった詩だな、と。<br /><br />　過剰なな抒情性を廃して、淡々とことばが紡がれており、円熟味を感じる。<br />　単なる望郷の歌にしては、重い内容をかいま見させてくれる。いいじゃないか！<br /><br />　という印象でした。<br /><br />　それで、再度読んだときは、ニーチェの『ツァラトストラはかく語りき』のことば、<br />　「神は死んだ」（死ぬべきだ）<br />　「あなたが死ぬときにも、なおあなたがたの精神と、あなたがたの美徳が、大地をめぐる夕映えのように、輝かねばならない。さもなければ、あなたがたの死は失敗なのだ」<br /><br />　...ということばそのものの世界だな、という印象を受けました。<br /><br />　なぜかと言えば、神歌である『おもろさうし』を換骨奪胎して、<br />　「てだ」をオボツカグラにつながる神権→王権への意味をひっくり返し、<br />　元々の意味である自然の太陽に戻し、近代的庶民の世界を構築し直している、<br /><br />　...ように思えるからです。<br /><br /><br />　<span style="color: rgb(0, 180, 0);">真栄里村の西を　一筋の鄙びた道が<br />　街の方へと延びていた。<br />　その道を通って私は村へと家路を急いでいた。<br />　こつこつと後から近づいてくる音に<br />　ふとふり向く　と<br />　驢馬に似た島馬の背に身を預けた男が<br />　土にまみれた作業着のまま　白髪頭にクバ笠姿で<br />　ゆらりゆらり　ゆられていた。</span><br /><br />　このクバ笠のクバとはビロウ樹のことで、屋久島の故・山尾三省さんの詩集に『ビロウ葉帽子の下で』というのがあります。<br />　実は、このビロウ樹は我が国でも、伝統的に最高に神聖な植物に属しているのですね。<br />　桜や松などよりも神聖な樹、それがビロウ樹なのです。<br /><br />　ビロウ樹は、御世代わり（天皇が交代する）時に、天皇が斎戒沐浴する御簾の壁材として使われるもので、それを使ったクバ笠を頭に頂き、踊りを奉納する分にはよいのですが、労働のための日よけ笠にするというのは、意味があるように思えます。<br /><br />　昨今の風俗として単に描いたのか、あるいはクバ笠を労働用の帽子として、あえて表現しようとしているのか？<br />　ここでは、あえて問うまい。<br /><br /><br />　さて、<span style="color: rgb(0, 180, 0);">真栄里村</span>ですが、詩ではマエザトムラとルビが振ってあります。<br />　これは申し上げるまでもなく、日本国政府が定めた行政単位の表記ということですね。<br />　地元の人たちの呼び方ではない。<br /><br />　ウチナーぐちの「ユネンティダ」のすぐ後に、マエザトムラというヤマトンチュの表記があり、その対比が際立っています。<br /><br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://mediaxross.net/assets_c/2010/08/maezatomura-38.html" onclick="window.open('http://mediaxross.net/assets_c/2010/08/maezatomura-38.html','popup','width=733,height=603,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://mediaxross.net/assets_c/2010/08/maezatomura-thumb-560x460-38.gif" alt="maezatomura.gif" class="mt-image-none" style="" width="560" height="460" /></a></span><br /><br /><div>　これが石垣市真栄里村です。村は北に向かって細長く続きますが、村の西を道が通っているところは主としてこの地域になるかと思います。<br /><br />　作者は昔、石垣市役所に官吏として通っていたようですので、歩いて行ける距離としてはこの地図の範囲と考えて良いでしょう。<br /><br />　ふつう、こんな地図で場所を見るなどと言うことは無意味なことなのですが、なぜ真栄里村という固有名詞を出しているのか、という疑問があったからです。<br />　この点については、次回に取り上げます。<br /><br /><br />　全体を一読して、対照的な表現がイメジを鮮明にする手法が目立つことに気づきました<br /><br />　・「ウチナーぐち」と「大和言葉」<br />　・『おもろさうし』の表記とこの詩の「ウチナーぐち」<br />　・街と村<br />　・農民と官吏（非農業者）<br />　・男（＝馬車のリズム）と私の歩行リズム　（島馬＝しまんまvs大和の馬も暗に対照されている）<br />　・真昼の太陽と夕空の日<br />　・労働と安息<br />　・トゥバラーマ（恋歌）と島ちゃびの歌詞内容　（島ちゃび＝離島苦）<br />　・歓世（＝甘世）と苦世<br />　・ユネンティダ（＝外界）とトゥバラーマ（＝内面世界）<br />　・ユネンティダ（＝夕日）と東方（＝あがるい）の日も暗に対照されている<br /><br />　多くの対照関係を示しており、それらが「一筋の茜の道」に収斂していくのである。<br /><br />　実は、この構成は本来が『おもろさうし』から受け継いでいるもの、といってよいだろう。再掲しておきます。<br /><br />　<span style="color: rgb(0, 128, 0);">クェーナ形式＝対語･対句を繰り返しながら事柄を確かめつつ、次第に全体の事柄を進めていく<br />　　　　　　　　　　古い歌形。<br />　オモロ形式＝対語によるくり返しを持たないまま事柄を進め、短く事柄や断片が構造化される。</span><br /><br />　この『ユネンティダ』もまた、前半はクェｰナ形式の現代詩的表現であり、<br />　後半はオモロ形式のそれである、という見方ができよう。<br /><br />　本歌を参照してみると、<br /><br />　　　　　<span style="color: rgb(0, 128, 0);">苦世甘世なすてだ　　(不作を豊作に変える天道様)<br /><br />　　　　　真人　輝（きゃが）しよわれ</span><br /><br />　...ということになる。<br />　<br />　後半の<span style="color: rgb(0, 128, 0);">真人</span>というのは、今日的に言えば庶民のことですね。<br /><br />　『おもろさうし』にこの歌を見いだしましたので、<br />　ニーチェの『ツァラトストラ』の影響ではないようだ、と思えます。<br /><br />　ではこの換骨奪胎ぶりはどこから来るのか、ということになる。それで、地図を見たわけです。<br />　どうも、単なるリアリズムではなく、多分に社会主義リアリズムの影響を感じますね。<br /><br />　神権から王権へという形のものを大衆（社会主義リアリズムでは民衆）主体に転倒させている意識はマルキシズムのそれなのではないかと。<br /><br />　沖縄には新聞が二紙ありますが、どちらも同じ左翼系新聞社から発行されているとか。<br />　まあ、そういう問題は、ここでは重要ではありませんが、神歌である『おもろさうし』を材料に、今日的感覚で再構築している詩業ではないかな、と思えます。<br /><br />　続く<br /></div>]]>
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    <title>『ユネンティダ』　（飽浦　敏）の価値について(2) </title>
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    <published>2010-08-07T04:26:38Z</published>
    <updated>2010-08-07T05:15:23Z</updated>

    <summary>　今回は首里王府の編纂した神歌集『おもろさうし』をもう少し解説しておきます。　なぜ『おもろさうし』なのかといえば、飽浦さんの詩が『おもろさうし』を基底において、詩的営為が為されている、と推察されるから...</summary>
    <author>
        <name>小林由典</name>
        
    </author>
    
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    <category term="おもろさうし" label="おもろさうし" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mediaxross.net/">
        <![CDATA[　今回は<span style="font-size: 10.5pt; font-family: 'Century';">首里王府の編纂した神歌集『おもろさうし』</span><span style="font-size: 10.5pt; font-family: 'Century';"><o:p></o:p></span>をもう少し解説しておきます。<br />　なぜ<span style="font-size: 10.5pt; font-family: 'Century';">『おもろさうし』</span><span style="font-size: 10.5pt; font-family: 'Century';"><o:p>なのかといえば、飽浦さんの詩が</o:p></span><span style="font-size: 10.5pt; font-family: 'Century';">『おもろさうし』</span><span style="font-size: 10.5pt; font-family: 'Century';"><o:p>を基底において、詩的営為が為されている、と推察されるからです。<br /><br />　あわせて、私の興味のひとつである日本語の重層性の基底にある南方言語とその文化を追求する、という意味あいもあります。<br /></o:p></span> ]]>
        <![CDATA[&nbsp;『おもろさうし』（おもろそうし）とは、尚清王代の嘉靖十年（１５３１ 年）から尚豊王代の天啓三 年（１６２３ 年）にかけて首里王府によって編纂された歌集。<br /><br />　沖縄の古い歌謡である「おもろ」を集録したものである。<br />　漢字表記すれば「おもろ草紙」となり、大和の「草紙」に倣って命名されたものと考えられる。<br /><br />　そのルーツは祭祀における祝詞だったと考えられている。全２２巻。１２４８句<br />　主にひらがなで書かれ、わずかだが漢字も混じる。<br />　短いものは２行から、長いものは４０行に及ぶ韻文。<br /><br />　部落時代（５、６世紀－12世紀）：神、太陽、天体の礼賛、祭礼<br />　按司時代（12世紀－15世紀）：築城、造船、貢租、交易、按司礼賛<br />　王朝時代（15世紀－17世紀）：王の礼賛、建寺、植樹、貢租、航海などの非農村的なもの<br />　　　　　　　　　　　　　　　　　　　神歌／労働歌の「ゑとおもろ」<br /><br />　クェーナ形式＝対語･対句を繰り返しながら事柄を確かめつつ、次第に全体の事柄を進めていく<br />　　　　　　　　　　古い歌形。<br />　オモロ形式＝対語によるくり返しを持たないまま事柄を進め、短く事柄や断片が構造化される。<br /><br />＊テダ...テラ（ティラ）からの音韻変化説と天道からの変化説がある。<br /><br />　「おもろさうし」で詠われる太陽はほとんどが東天の太陽（東方＝あがるい）の大主であり、中天で照りつける太陽ではない。<br />　この太陽は穴から出でて、穴に入るという思想があり、穴とは母胎の意味を持つ。この発想はエジプトの太陽神ラーと同様で、世界各地にあるようです。<br /><br />　＊おもろにおける太陽は水平線の印象と結びついており、オボツカグラとニライカナイが末分化にあることを示している。<br /><br />　＊オボツカグラ...オボツの意味は確かでない。カグラは神座であり、神の住処の意。国家的王権の成立に係わってくる。<br /><br />　＊ニライカナイ...南東（辰巳の方角）の海の底、または海の彼方にあるとされる異境（豊穣や生命の源）であり、神界あるいは異界でもある、複合的な観念を持った楽土。<br /><br />　オナリ神信仰...兄が政治を担う一方で、妹が宗教を担い、守り神として司祭を務める仕組み。<br /><br />　神女の階級　　キミ（聞得大君＝きこえおおぎみ）： ノロ ：カミ（根神）<br />　人々の階級　　王　　　　　　　　　　　　　　　　　　&nbsp; ：按司：根人<br /><br /><br />　以上かなり荒っぽい概略ですけれど、この詩の背景を理解する上で最低限の前書きとしておきます。<br />　次に引用するのは、『ユネンティダ』が参照していると思われる、「おもろ」の歌謡です。<br /><br /><br />　『おもろさうし』<br /><br />　第十九　<br /><br />　１３２７<br /><br />　　　　　玻名城たゞな子（し）す　　　　<br />　　　　　かてく按司（あぢ）に　思われゝ　<br />　　　　　下の世の主す<br />　　　　　真人　輝（きゃが）しよわれ<br /><br /><br /><br />　１３３０番　「たづなが節」<br /><br />　　　一　玻名城おわる　&nbsp; 　 　(玻名城におわまします)　　　　はなぐすく<br />　　　　　御愛しのてだの　　 　(敬愛するお天道様＝按司様が)　みかなし<br />　　　　　苦世甘世為すてだ　　(凶年・悪世を豊年・善世に)　&nbsp; にがようあまゆなす<br />　　　又　国の根におわる　　　(国の中心玻名城におわしまします)<br />　　　又　人の浦の苦世　　　　(よその、他国の苦世)　　　　　にぎやゆ<br />　　　　　我が浦の甘世　　　　 (我が浦の甘世)<br />　　　　　苦世甘世なすてだ　　(不作を豊作に変えるお天道様)　<br /><br /><br /><br />　<span style="color: rgb(0, 128, 0);">（注）「てだ」を、お天道様という意味と、按司様という２様の意味で、私が読み下しております。</span><br /><br />]]>
    </content>
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    <title>『ユネンティダ』　（飽浦　敏）の価値について(1) </title>
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    <published>2010-08-07T02:14:23Z</published>
    <updated>2010-08-07T13:04:10Z</updated>

    <summary>　 『日本現代詩選』第34号　（日本詩人クラブ）から、飽浦（あくら）敏さんの「ユネンティダ」について、少し触れておきたく思う。　なんでも鑑定団の中島誠之助さんふうにいえば、いい仕事をしていますね、と。...</summary>
    <author>
        <name>小林由典</name>
        
    </author>
    
        <category term="01詩論・評論" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="島ことば" label="島ことば" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mediaxross.net/">
        <![CDATA[　 『日本現代詩選』第34号　（日本詩人クラブ）から、飽浦（あくら）敏さんの「ユネンティダ」について、少し触れておきたく思う。<br />　なんでも鑑定団の中島誠之助さんふうにいえば、いい仕事をしていますね、と。 ]]>
        <![CDATA[　この詩は、この詩だけを取り上げてその芸術性を云々するよりも、詩人論と不可分にある言葉の発生あるいは表現の出所に、同じ表現者として興味をひかれる。<br />
<br />
　そしてまた、この詩は単独での評価以上に、詩集単位あるいはこの詩人の全仕事で視ていくときに、県民栄誉賞のような価値を持つのであろう。<br /><br />　飽浦という名前が読めず、調べてみると備前国（岡山県）児島湾を臨む瀬戸内海側の少し内陸部にある飽浦というちいさな村落の出であるようです。<br /><br />　飽浦氏はもともと、南北朝時代に北朝方の武家である佐々木氏の流れをくみ、飽浦周辺を所領とした時期に飽浦姓を名乗っている。<br />　飽浦信胤　（あくらのぶたね／生没年不詳）は本名を佐々木信胤、佐々木三郎左衛門、佐々木三郎左衛門尉信胤とも。<br /><br />　信胤は、お才の局との私情から高師秋（こうのもろあき）と対立し南朝方に寝返り、児島地方の伝承では北朝方との戦にやぶれ討ち死にしたとされる。<br />　その際のお才の局との恋物語はよく知られており、地元の踊りや農村歌舞伎の演目として現在も伝えられている。<br /><br />　その後はまた、北朝方細川師氏の家臣となり小豆島肥土荘を領した。<br /><br /><span style="color: rgb(0, 128, 0);">（以下は単なる推測です）<br />　一族の一部は海路を九州南部方面に逃れ、トカラ列島を伝って交易のあった沖縄に移り、琉球王府の施策（外来者を強制的に石垣島に移住させた）により石垣島に移住したのではないか。<br /><br />　当時、石垣島はマラリアの多発地域で、定住者はほとんどいない島だった。</span><br /><br />　さて、以下の詩から分かるのは、飽浦敏さんは石垣市真栄里村の出身らしく、<br />・島言葉（ウチナー口）と島の文化で育ち、<br />・母語として内地の言葉（いわゆる標準語）を身につけ<br />・祖先の地である小豆島を圏内に持つ大阪に出て関西弁の世界で、標準語の詩を書き、<br />・故郷であるヤイマ（八重山）への望郷にあふれた世界を再構築している...<br /><br />　...ということになるでしょうか。<br /><br />　飽浦さんの詩の世界は、言語的文化的に様々な要素が混じり合っており、それらがきわどいバランスでうまくいっている、ということが特徴のように思います。<br /><br />　私は、この一篇しか読んでおりませんので、あまり敷衍したことまで言うべきではないのですが、この中には多くの要素が含まれており、それらの総体が醸し出す背景それ自体が、詩の意義を形成しているという気がします。<br /><br /><br /><span style="font-size: 10.5pt; font-family: 'ＭＳ 明朝';"></span>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="yunenteda.gif" src="http://mediaxross.net/gazou01/yunenteda.gif" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0pt auto 20px;" width="419" height="725" /></span><div><br /></div><br />　<span style="color: rgb(0, 128, 0);">（注）・ユネンティダ　...夕日<br />&nbsp;　　　 ・トゥバラーマ　...愛しい人におくるうた<br />&nbsp;　　　 ・クバ笠 　　　　...クバの葉で編んだ笠
<br />　　　　（以上、八重山地方方言）</span>
　
<br /><br />　ユネンティダは夕なるテダ（読みはティダ）ということで、八重山方言のウチナーぐちで書き表されています。<br /><br />&nbsp;　「スッタフリダーヤ」でも記してありますが、私は島尾敏雄のいうヤポネシアを放浪していた時期があります。<br /><br />&nbsp;　沖縄は那覇の国際通りから入った裏通りの飲み屋さんで、そこのママさんから、<br />&nbsp;　「お客さん、ヤイマでしょう」
<br />　と言われたことがあります。
<br /><br />　ヤイマとは八重山諸島のことで、本島の人間ではないということですね。<br />&nbsp;　「よく分かりますね。どこだと思います？」と、とぼけると、<br />&nbsp;　「石垣ね。分かるのよ」...と。<br /><br />　ヤイマと言っても、本島に近い宮古島と台湾に近い与那国では、かなり違います。<br />　与那国のことを地元の人は「どなん」と呼んでいるように、ネシア系南方語の色彩が強くなる。<br /><br />　ただ一つ、石垣島だけは長年島民が定住できず、島の伝承では本島系の２家族が根の人として最初に定住したとされます。<br /><br />　琉球では「根」の観念が極めて強く、村落の草分けの家を「根所」と呼び、その戸主が「根人」、根人の娘は聖なる「根神」役を世襲する。<br />　島そのものを「土根」（どに）と呼び、耕した水田の水面から出ている土塊も「どに」と見なす。<br /><br />　その後、琉球王府の施策により、内地から本島に流入した島外人を、この不毛の石垣島に強制移住させたという歴史的経緯があります。<br /><br />　ですから、石垣島では島民が亡くなるとほとんどが本土からの移住ですので、遺骨を本島に還すのだという。今日、DNAの鑑定が為されていますが、石垣島の住人の大半は九州南部を中心とした本土の人たちの系統であり、琉球人とは異なっているのだという。<br /><br />　私は東京生まれの宇都宮育ちで、父方の姓は磯といい、栃木県北部に本家がある。<br />　この大陸浪人にして英語・中国語をしゃべるインテリの父から読み書きを保育園児の頃から情け容赦なく躾けられたせいか、いわゆる栃木弁はまったくしゃべらなかったのですが、「い」と「え」の区別を曖昧に発音する栃木弁のクセは受け継いだようであった。<br /><br />　沖縄地方では、ごぞんじのように「あ　い　う　え　お」を「あ　い　うぃ　う」と発音します。<br />　「え」を「い」と発音するときは、短母音に変化する。あいまいな「い」です。この発音も、島によって特徴がありますが、アカデミックな言語学に深入りしてしまうので触れません。<br /><br />　那覇の飲み屋で、いっさいウチナーぐちは出なかったのに、石垣だと言われたのは、この辺の発音が誤解されたのかな？という気がします。<br />　眉が濃く、口ひげを蓄えていた縄文人系父親の風貌を受け継いでいたので、顔つきだけは沖縄のウチナンチュでしたね。<br /><br /><br />　トカラ列島の諏訪之瀬島に数週間滞在していたときに、島の老女と話をしていて「大変古風な日本語を使うな」ということに気づきました。<br /><br />　そして、島尾敏雄の『出発はついに訪れず』の舞台となった奄美大島の加計呂間島に滞在したときも、おばさんの言葉が古い日本語をしゃべることに気づきました。<br /><br />　加計呂間の島言葉は島尾ミホ夫人の昔話の語り口を聞いていましたけれど、島の人同士の会話はまったく聞き取れませんでした。母の田舎の津軽弁同様、全くの異言語の世界。<br />　加計呂間言葉は、奄美でも独特なのだという。<br /><br />　こうして、鹿児島から与那国まで放浪しながら、島ごとの言葉の違いということに気づかされたわけです。<br />　これを文献学的に少し詳しく調べようとして、出会ったのが琉球王府が編纂した『おもろざうし』です。<br />　「おもろ」は「うむる」と発音しますが、ウムルはウムイ（思い）のことで、なんかオモロい俗謡だなんて誤解の無いように。島人たちの様々な「思い」が詠われた、古い詩歌群を纏めた物です。<br /><br />　前口上だけで、「ユネンティダ」に触れることができませんでしたので、次回もつづけていきたいと思います。<br />
]]>
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    <title>※（コメしろしめす）　言葉の出初め式</title>
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    <published>2010-08-06T13:57:07Z</published>
    <updated>2010-08-06T14:31:19Z</updated>

    <summary>　30年前に書いた詩を、現在的に解体し終えて、ようやく新たなスタート時点に立てたかなという気がする。　といっても、35年の空白は埋めようもない。ゼロからのスタートを切ろうということで、言葉の発生から詩...</summary>
    <author>
        <name>小林由典</name>
        
    </author>
    
        <category term="02詩（未定稿）" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="※（コメしろしめす）" label="※（コメしろしめす）" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mediaxross.net/">
        <![CDATA[　30年前に書いた詩を、現在的に解体し終えて、ようやく新たなスタート時点に立てたかなという気がする。<br />　といっても、35年の空白は埋めようもない。ゼロからのスタートを切ろうということで、言葉の発生から詩をスタートさせていこう。もっとも古い、世界的にも最古の言葉のひとつである※印を取り上げて、私の詩的出発を表現してみたい。<br /> ]]>
        <![CDATA[　ジャック・デリダを読んでいて、こんなメモをとった。<br />　それが、そのまま、一篇の詩であるように若干補筆をしました。<br />　※印そのまま、言葉の流れが途中で交差して、再び合一して、新たな展開を見せる、という構成を意識しました。<br /><br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-file" style="display: inline;"><a href="http://mediaxross.net/pdfs/%E2%80%BB%E3%81%97%E3%82%8B%E3%81%9901.pdf">※しるす01.pdf</a></span><br /><p class="p0" style="margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;"><br /></p><p class="p0" style="margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">「<span style="font-size: 11pt; font-family: 'ＭＳ 明朝';">※</span>」<span style="font-size: 11pt; font-family: 'ＭＳ 明朝';">（コメしろしめす）</span>は自分の詩についての詩、というメタ詩になるのだろう。</p><p class="p0" style="margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">「スッタフリダーヤ」では縦糸と横糸という分類でやって来ましたが、※シリーズは発生学的な観点から、詩を書き続けて、詩集全体で自分の言語表現を成り立たせることができればいいな、と考えています。</p><p class="p0" style="margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;"><br /></p><p class="p0" style="margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">「※はださわり」は、メタ詩を受けて、その最初の実験詩ということになります。</p><p class="p0" style="margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">※印に、あなたならどんな言葉を埋め込むだろうか？</p><p class="p0" style="margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;"><br /></p><p class="p0" style="margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">　そういう意図をもって、詩を作りました。</p><p class="p0" style="margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">　どういう言葉がフィットして、どういう言葉が軋轢を生み、馴染まないか。</p><p class="p0" style="margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">　フィットすることが必ずしも表現として優れていないのではないか。軋轢を生む言葉こそ、メタファーの鮮烈さを生むかもしれない、とか。</p><p class="p0" style="margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;"><br /></p><p class="p0" style="margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">　実験的な詩ですから、いろいろいじり倒してみたいわけですね。</p><p class="p0" style="margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;"><br /></p><p class="p0" style="margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;"><br /></p><p class="p0" style="margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">「※ノンしゃらん」は、タイトルとは裏腹に、古今和歌集仮名序へのアンチとして、言葉を天から天皇そして貴族→庶民、という伝統的詩歌観の根源を撃つものです。</p><p class="p0" style="margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;"><br /></p><p class="p0" style="margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">　根底からひっくり返していかねば、日本語の自由はない、というつもりで「ミカド」という、本来敬して遠ざけるべき言葉を最初に提示しました。</p><p class="p0" style="margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;"><br /></p><p class="p0" style="margin-bottom: 0pt; margin-top: 0pt;">　<br /><span style="font-size: 11pt; font-family: 'ＭＳ 明朝';"><o:p></o:p></span></p><div><br /><br />　<br /></div>]]>
    </content>
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    <title>母語、日本文化、日本的美意識(1) </title>
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    <published>2010-07-29T00:46:47Z</published>
    <updated>2010-08-10T01:04:13Z</updated>

    <summary>　日本文化は重層的で、けっして単一の日本的なものや単一民族などというものは想定できない、という話を聞く。　けれども、世界中どこを探しても、重層的でない文化や民族、そして言葉などあり得ないのではないかと...</summary>
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        <name>小林由典</name>
        
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        <category term="01詩論・評論" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="日本文化" label="日本文化" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[　日本文化は重層的で、けっして単一の日本的なものや単一民族などというものは想定できない、という話を聞く。<br />　けれども、世界中どこを探しても、重層的でない文化や民族、そして言葉などあり得ないのではないかと思う。<br /> ]]>
        <![CDATA[　ただ、その重層性と分離性という程度の問題なのだ。<br /><br />　人類の歴史の始まり以来...<br /><br />　民族的な大移動・小移動は、<br />　地球環境の変化をはじめ、部族・民族勢力圏の盛衰、国家や王権の成立・変遷に伴い、<br />　人々は移動し、共同体を作ったり、混じり合ったり、征服あるいは被征服、滅亡や流亡を<br /><br />　...繰り返してきたのが実態だろう。<br /><br />　あらゆる生物は同系の交配を繰り返すと衰弱するために、<br />　雄が群を離れ他の群の雌と交わるような本能的な行動をとるらしい。<br /><br />　近親交配は類人猿やホモサピエンスでも禁忌であり、その主導権を握っているのは雌らしい。<br />　母系制社会とは、女性が近親交配のタブーを保持している社会、と考えて良いのだろうか。<br /><br /><br />　民族学的あるいは生物学的な興味はさておいて、<br />　汎神論的宗教を持つ民族というのは、どうも民族的親和力が優位になる傾向を帯びるのではないか。<br />　あるいは、順序が逆なのかもしれない。<br />　民族的親和力が強い人種は多神教というシステムをとることで、民族間の圧力を緩和しているのか。<br /><br /><br />　前提を疑問視していると本題に入る事もできませんが、課題として残しておき、日本文化の重層性について、詩の問題として概観をしておきたいと思う。<br /><br />　詩は<b>言葉</b>による<b>表現行為</b>である。<br />　何を表現するのかといえば...、<br />　自分の<b>感性</b>（内部世界）が<b>外界</b>と接触する場において<span style="color: rgb(255, 0, 0);">立ち現れてくるもの</span>を、だと。<br /><br />　言葉は原初的には話しことばとして、様々な音声的要素（発語）や身体的要素（身振り）を伴い、その表現の総体を表したけれども、文字の出現によって書き言葉の表現となっていった。<br /><br />　書き言葉は話ことばの持つ多面的な要素を捨象してしまうために、古代ギリシャのソクラテスは対話こそがもっとも真実を伝えうるものとして、第一義におき、書き言葉によるものを下位においた。<br /><br />　ソクラテスが重視したものはコミュニケーションにおける伝達性の十全さであり、弁証法的な対話を通じて、相手と自分との認識の違いを明らかにしていく。<br />　この弁証法の特徴のひとつが、「定義」の徹底ということですね。相手の言説の大前提となるアプリオリに定位されている認識をこそ明確化しなければ、話の本筋には入れない。<br /><br />　散文的な人だったのだろう。<br />　ロゴス（論理）の明晰さを重視して、その伝達性をこそ第一義とし、書き物としての著述は一切残さなかった。<br /><br /><br />　ソクラテスの弟子プラトンは、師の言葉を記録し記述しつつ、自分の解釈を加える。<br />　つまり、早くもパロール（話し言葉）から、エクリチュール（書き言葉）への変容が始まるのだ。<br />　書き言葉による記述は、話しことばがもっていた論理的伝達以外の表現機能を失ったわけで、それを補うために...<br />　・話しことばにはなかった新造語を増やし、それでも語彙の数には限りがあるために、<br />　・言葉と言葉の組み合わせによるレトリック（修辞学）を拡大する。<br /><br />　プラトンの弟子アリストテレスの最大の業績のひとつは、このレトリックの集大成であるといってよい。<br /><br />　<br />　この辺の事情は、東洋においても同じような過程を辿っている。<br />　たとえば仏教のもっとも古い教典とされる「スッタニパータ」は...<br /><br />　生前の仏陀の言説を側近として使えたアーナンダ（阿難）が口伝として継承した物を中心に、<br />　その他のサンガ（修行者）集団の人たちと突き合わせを行いながら、<br /><br />　...纏めた物とされる。<br /><br />　スッタとは縦糸を意味し、経典の経にあたる。（経緯とは縦と横の意）<br />　ニパータとは、よってきたるもの、つまりみんなで付き合わせて成立した事情を表している。<br /><br /><br />　ただし、仏陀はソクラテスのような散文的な人ではなく、譬えを多用して自分の思想を表現している。<br />　ソクラテスは弁証法的対話によって、相手の無智を明らかにしていったわけですが、仏陀は長い間の煩悶を通じて、ついに深い瞑想によって現実的自我を越えたアートマン（真我）の真理を直観する。<br /><br />　般若心経は次のように始まる。<br /><br />　<span style="color: rgb(0, 180, 0);">観自在菩薩　行深般若波羅蜜多時　照見五蘊皆空</span><br /><br />　何ものにもとらわれず自由自在に思惟する仏陀は...（現象学的還元）<br />　瞑想（禅定）のもっとも高次な段階である<span style="color: rgb(0, 180, 0);">深般若波羅蜜多</span>を業じている時...（超越論的直観）<br />　ひとの五感がもたらす想いというのは全て空である、と直観した...<br /><br />　20世紀初頭における、西洋思想最大の認識論哲学者フッサールが到達し得た超越論的直観とほぼ同じ事を、紀元前５世紀の仏陀は獲得していた、といってよいだろう。<br />　般若波羅蜜多を行ずる、というのは瞑想あるいは座禅のことであり、座禅や瞑想はいくつかのステージがある。もっとも深い瞑想状態を深般若波羅蜜多というわけです。<br /><br />　仏陀がピッパラー樹の下で瞑想をしているとき、傍らを轟々と音を立てて荷馬車隊列が通ったが、世尊はまったくそれに気づかなかった、という記述があります。<br /><br />　仏陀にとってはそれが結論でも何でもなく、（東洋的）思惟の前提であり、<span style="color: rgb(0, 180, 0);">五蘊皆空</span>という世界認識こそが、現実世界をこえた向こうの世界の実相をとらえた表現なのだ。<br />　いわゆる西洋哲学的本質論を越えている、といってよい。<br /><br />　もっとも般若心経はずっと後代の成立ではあるが、仏陀の説教に出てくる様々なたとえは五感が捉える現象は妄念であるということを的確に述べていると思う。<br />　たとえば、美しい女に惹かれても、薄皮一枚下は美女も醜女もない、腸の中には同じウンコが収まっている、みたいな身も蓋もないことも述べています。<br /><br />　大きな問題ですので話がどんどん枝葉を拡げていってしまいますが、ここは大鉈を振るう感がありますが、大筋だけを述べておきます。<br /><br />　東洋思想には『般若心経』以来、ナーガルージュナ（龍樹尊者）の中観思想を経て唯識へと発展する大乗仏教的空観の思想があります。<br /><br />　このような思想は、たとえば空海の言語論などに結晶して我が国の真言宗の根底に流れています。けれども、高遠にして難解な思想であるために、民衆レベルではまったく知られていない。<br />　けれども、日本文化には空海の、しいては大乗仏教の言語観が厳として存在しているわけです。<br /><br /><br />　一方、ギリシャ哲学以来のロゴス中心・パロール中心の思想は、中世のキリスト教文化をかいくぐって近代哲学に復活を果たし、デカルト哲学でひとつのピークに到達します。<br /><br />　このデカルトの認識論を「反省以前的なコギト」として覆したのがフッサールの現象学と、その後継者たちであるハイデッガーやサルトル、メルロポンティであり、ようやく仏陀の<span style="color: rgb(0, 180, 0);">深般若波羅蜜多</span>と肩を並べたと言ってよい。<br />　<br />　西洋哲学は分析哲学ですから、事細かに分析を加えていく営為の積み重ねであり、非情に厳密・緻密な印象を与えますが、言ってみればモード（流行）の変遷であり、モードの体系を視ないと迷路に入り込むことになりかねません。<br /><br />　フッサールの現象学は最終的には超越論的直観という、西洋分析哲学には馴染みにくい概念を提示するわけですが、当然のこととして合理主義の分析哲学者たちには馴染みにくい曖昧なものとして受け止められます。<br />　それにとって替わるようにして、ソシュール言語学を土台に据えた構造主義哲学が台頭してきます。<br />　<span style="color: rgb(255, 33, 102);">人間は言葉によって思考する。あらゆる認識は言葉を通じた認識である、という考えによって、フッサール的な超越的直観は排除されていきます。</span><br /><br />　ソシュールにおけるシーニュというのは、シニフィアン（意味するもの）とシニフィエ（意味されるもの）が表裏一体となっている概念です。<br /><br /><br />　これは、私の浅学な印象では仏教における「名と形」（nama-rupa）という認知形式と似通っているように思える。<span style="color: rgb(0, 128, 0);">名前とその名前によって喚起される「現れ」の形姿</span>、ですね。<br /><br />　西洋言語は表音文字ですから、シニフィアンには音韻的・感覚的側面が主要になってきますが、サンスクリット語にせよ漢字にせよ、文字そのものに象意があるとする点で、彼我の差は生じてきます。<br /><br />　この比較研究は今後の課題として、今日の問題に立ち帰れば、我が国の現代詩は1970年代に大きく変貌します。<br />　その大きな要素の一つが、ソシュール言語学を通過した60年代詩人によるポストモダンへの転換運動があります。<br /><br />　シーニュはそれ自体がシニフィアンとして新たなシニフィエを重合して新たなシーニュを形成する、というダイナミズムが、詩の表現のあり方と軌を一にすると考えられて、シニフィアンの自走と呼ばれるような詩が従来の喩とくにメタファー中心の詩を真っ向から否定するかのごとく溢れました。<br /><br /><br />　けれども、私の直感的な印象では、フッサールもソシュールも、西洋哲学の行き詰まりを東洋思想を取り入れることで突破しようとしたのではないかな、という気がします。<br /><br />　中観思想の根底にある本質論あるいは言語観が、西洋哲学によって換骨奪胎されて、逆輸入されただけではないのか？という疑念があります。<br /><br /><br />　いずれにせよ、ミクロネシア・ポリネシア・インドネシア方面から流入した南方系言語を最基底に持ち、他方でアイヌ語に視られる北方系言語や、漢字文化が渾然と入り交じって成立している日本語とその文化に、西洋文化が覆いかぶさっているような観を呈しています。<br /><br />　けれども、私の見立てでは、フッサール以降の西洋哲学もソシュール以降の思想も、我が国でははるか昔に成立している思想に、ようやく追いついたというところかなと思える。<br /><br />　日本語は英語やフランス語のような世界語ではないので、西洋世界に言語的な分野で影響を与えることが少ないだけなのだ。<br /><br />　国文学者は国文学というたいへん閉ざされた世界でのみ精緻な研究を積み重ね、詩人たちが提示する古典文学論など歯牙にもかけない。書庫の中に退蔵される仕事しかしていない。<br /><br />　東大を頂点とする外国文学・思想研究者は、いち早く欧米のモードを翻訳紹介するばかりで、ごく一部の本質的な問題意識をもった学者先生が東洋思想を世界的な視点から細々と研究している、というお寒い状況なのだ。<br /><br />　概論を述べるだけでも一冊の本を書かねばいけないように思えてくる。<br />　あまりにも概念的すぎて、ぴんと来ない方がほとんどかもしれません。<br /><br />　詩を書こうとすれば本を読む時間がとれなくなるし、この問題を追及し始めると「とば口」に立つだけで残りの人生を終えてしまうだろう。<br />　<br />]]>
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    <title>一番良い時期を逃した合歓の花</title>
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    <published>2010-07-05T12:21:01Z</published>
    <updated>2010-08-06T07:57:57Z</updated>

    <summary> 　昨日の大雨の後、今朝窓の外を見上げると、合歓の枝が垂れ下がって、花が見えました。　面倒がらずに写真を撮ろうと、早朝起き出して屋根に登り、数年越しの懸案事項を解消...　が、残念... ...</summary>
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        <name>小林由典</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mediaxross.net/">
        <![CDATA[ 　昨日の大雨の後、今朝窓の外を見上げると、合歓の枝が垂れ下がって、花が見えました。<br />　面倒がらずに写真を撮ろうと、早朝起き出して屋根に登り、数年越しの懸案事項を解消...<br />　が、残念...<br /> ]]>
        <![CDATA[　<a href="http://mediaxross.net/assets_c/2010/07/nemu03s-312.html" onclick="window.open('http://mediaxross.net/assets_c/2010/07/nemu03s-312.html','popup','width=808,height=550,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://mediaxross.net/assets_c/2010/07/nemu03s-thumb-500x340-312.jpg" alt="nemu03s.jpg" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0pt auto 20px;" width="500" height="340" /></a>　こんなふうに、昨日の雨でボロボロです。<br />　時期も、遅きに失したようですね。<br /><br />　下から見上げている分には、華麗に咲いているように見えましたけれど、接写に耐えられないので、スナップショットにしました。<br />　<br />]]>
    </content>
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    <title>合歓の花、の種だったのか...</title>
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    <published>2010-07-01T02:25:50Z</published>
    <updated>2010-08-06T07:55:14Z</updated>

    <summary> 　雨上がりの草むらで、淡い桃色の、糸房みたいな花を見つけました。　小さな花ではなく、拾い上げてみるとアレレと... ...</summary>
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        <name>小林由典</name>
        
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    <category term="合歓の花" label="合歓の花" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[ 　雨上がりの草むらで、淡い桃色の、糸房みたいな花を見つけました。<br />　小さな花ではなく、拾い上げてみるとアレレと...<br /> <br />]]>
        <![CDATA[　とりあえず写真に収めましたので、アップしましょう。<br /><br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="nemu01.jpg" src="http://mediaxross.net/gazou01/nemu01.jpg" width="552" height="509" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span><br /><div>　千々に乱れ、という感じですが、合歓（ねむ）の花です。<br /><br />　家の裏の崖の上に生えていて、枝が屋根の上に張りだしていますので、部屋から花を見ることはできません。<br />　雨降りの時などは枝が水を含んで垂れてきますので、窓から顔を出して見上げれば見ることができます。<br /><br />　きちんと写真をとるには屋根に登らないと、上から下の写角を得られません。<br />　下から見上げると、明るい空に溶け込んだようになってしまいます。<br /><br />　それで、見に行ってみると、もう花は終わっていて、こんな状態になっていました。<br />　毎年、写真を撮ろうと思いながら、ほとんど目につかなくて時期を逸している花。<br /><br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="nemu02s.jpg" src="http://mediaxross.net/gazou01/nemu02s.jpg" width="458" height="588" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span>　花のあでやかさからすると実に素っ気ない感じです。<br />　でも、花の印象からすると、こっちの方がピッタリするかと思いました。<br /><br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://mediaxross.net/assets_c/2010/08/watage02-32.html" onclick="window.open('http://mediaxross.net/assets_c/2010/08/watage02-32.html','popup','width=724,height=632,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://mediaxross.net/assets_c/2010/08/watage02-thumb-550x480-32.gif" width="550" height="480" alt="watage02.gif" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></a></span>　どうなのだろう？<br />　自然物には相似形の法則というのがあるようなので、ひとつ前の合歓の実が熟して種が落ちる頃に、こんなふうに変化するのではないか、という予測もあながち荒唐無稽とはいえないでしょう。<br /><br />　調べるよりも、観察を続ける方が、ミステリアスで面白い。<br />　ミッシングリンクが、数ヶ月後には見えてくるかも。<br />　って、本当は調べるのが大変なので...<br /><br /><br />　ついでに、花を見つけた遠因は、クロアゲハが飛んできたので、カメラを持ち出して庭に出たからです。<br />　これ。<br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="kuroageha.jpg" src="http://mediaxross.net/gazou01/kuroageha.jpg" width="524" height="658" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span><br /><br />　黒いドレスの女、という感じ。<br />　よくここまで接近できたと驚きます。<br />　写真を撮ったら、舞い上がっていきましたが、私の周りをしばらく飛び回っていました。<br /><br />　その夜、黒いドレスの妖艶な女性が訪れてきて、合歓の木の下、一つ屋根の下、合歓の一夜が...<br />　なんて、おとぎ話のような世界は現れてくれませんでした。<br /><br /></div>]]>
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    <title>空に墜ちる人</title>
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    <published>2010-06-09T04:33:17Z</published>
    <updated>2010-08-06T07:37:35Z</updated>

    <summary>　去年の秋、野の道を歩いていて、印象的な筋雲風景に遭遇しました。まさに「未知との遭遇」。　大気圏外あたりから、この地球を視ているような空の風景でした。　空を見上げ、後ろ向きに歩いたりして、平衡感覚が乱...</summary>
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        <name>小林由典</name>
        
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        <category term="02詩（未定稿）" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mediaxross.net/">
        <![CDATA[　去年の秋、野の道を歩いていて、印象的な筋雲風景に遭遇しました。まさに「未知との遭遇」。<br />　大気圏外あたりから、この地球を視ているような空の風景でした。<br />　空を見上げ、後ろ向きに歩いたりして、平衡感覚が乱れたせいか、宇宙遊泳から地表に落下するかのようなイメージにとらわれ、高いところから落ちる映像を見たときに感じる落下感を覚えたのです。<br />　例の、尾てい骨から背筋に突き上げてくるヒヤリ！感ですね。<br /> ]]>
        <![CDATA[　あいにく写真を撮っていませんでしたので、他の画像を組み合わせて、都会の風景にしてみました。
　ここから、「空に墜ちる人」のイメージを詩にしましたが、ちょっとシュールで、他者にわかりやすくしにくい。ずっと、未完のまま、あれこれ考えているばかりです。<br /><br />&nbsp;<a href="http://mediaxross.net/assets_c/2010/06/sujigumo01-294.html" onclick="window.open('http://mediaxross.net/assets_c/2010/06/sujigumo01-294.html','popup','width=578,height=324,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://mediaxross.net/assets_c/2010/06/sujigumo01-thumb-540x302-294.gif" alt="sujigumo01.gif" class="mt-image-none" style="" width="540" height="302" /></a><br /><br />　　前向いて歩いているだけではつまらない<br /><br />　　横歩き　蟹のようだと滑稽になる<br />　　クロスステップ　ダンサーのごとく<br /><br />　　後歩き　上を見ながら<br />　　三半規管の羅針盤　径踏み外さないように<br /><br />　　厚い筋雲は山脈<br />　　青い空地は大平原<br />　　白い雲地は大砂漠<br /><br />　　ベンガル湾上空からカンチェンジュンガを見ている<br /><br /><a href="http://mediaxross.net/assets_c/2010/06/sujigumo04-297.html" onclick="window.open('http://mediaxross.net/assets_c/2010/06/sujigumo04-297.html','popup','width=654,height=327,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://mediaxross.net/assets_c/2010/06/sujigumo04-thumb-540x270-297.gif" alt="sujigumo04.gif" class="mt-image-none" style="" width="540" height="270" /></a><br /><br />　　西の空には月の気配<br /><br />　　空の深みをのぞき込んではいけない<br />　　という<br /><br /><a href="http://mediaxross.net/assets_c/2010/06/sujigumo03-300.html" onclick="window.open('http://mediaxross.net/assets_c/2010/06/sujigumo03-300.html','popup','width=577,height=324,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://mediaxross.net/assets_c/2010/06/sujigumo03-thumb-540x303-300.gif" alt="sujigumo03.gif" class="mt-image-none" style="" width="540" height="303" /></a><br /><br />　　冷たい官能が尾てい骨から突き上げてくる<br />　　網膜が波立つ<br /><br /><a href="http://mediaxross.net/assets_c/2010/06/sujigumo02-303.html" onclick="window.open('http://mediaxross.net/assets_c/2010/06/sujigumo02-303.html','popup','width=579,height=322,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://mediaxross.net/assets_c/2010/06/sujigumo02-thumb-540x300-303.gif" alt="sujigumo02.gif" class="mt-image-none" style="" width="540" height="300" /></a><br /><br />　　空に墜ちる！<br />　　とつぜん戦慄するガイアの郷愁<br /><br /><a href="http://mediaxross.net/assets_c/2010/06/tihyou01-306.html" onclick="window.open('http://mediaxross.net/assets_c/2010/06/tihyou01-306.html','popup','width=623,height=317,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://mediaxross.net/assets_c/2010/06/tihyou01-thumb-540x274-306.gif" alt="tihyou01.gif" class="mt-image-none" style="" width="540" height="274" /></a><br /><br />　推敲していないものを載せるのはやめにして、イメージだけを記してみました。<br />　いずれ、ここに詩を追加するつもりです。<br /><br />　<br />]]>
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    <title>草刈り跡</title>
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    <published>2010-05-18T01:15:54Z</published>
    <updated>2010-08-06T07:14:04Z</updated>

    <summary> 　先日、家の表側だけ草を刈りましたが、横の方は途中でストップしたまま、かなりうっそうとしています。　というのも、草花に占拠されているからです。 ...</summary>
    <author>
        <name>小林由典</name>
        
    </author>
    
        <category term="00info 雑記" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
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        <![CDATA[ 　先日、家の表側だけ草を刈りましたが、横の方は途中でストップしたまま、かなりうっそうとしています。<br />　というのも、草花に占拠されているからです。<br /> ]]>
        <![CDATA[　草を刈った場合と刈らなかった場合、両方を同時に写真に撮し込んでみました。<br /><br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="kusakariato.gif" src="http://mediaxross.net/gazou01/kusakariato.gif" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0pt auto 20px;" width="521" height="640" /></span><br /><div>　紫がかった桃色の花と山吹色の花が咲き乱れていて、草刈り跡の味気ない地面と際だった対照を見せています。<br /><br />　草刈りをしなければ、このような光景も出現するのですね。<br /><br /><a href="http://mediaxross.net/assets_c/2010/05/yukinohana-288.html" onclick="window.open('http://mediaxross.net/assets_c/2010/05/yukinohana-288.html','popup','width=729,height=590,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://mediaxross.net/assets_c/2010/05/yukinohana-thumb-540x437-288.jpg" alt="yukinohana.jpg" class="mt-image-none" style="" width="540" height="437" /></a><br /></div><div><br />　かすみ草のように小さな花で、ぼんやりとしていますから、拡大写真をはめ込みました。<br />　明るい草原（って、庭なんですけど）と暗い杉の幹が、少しばかり幻想的な対比を醸し出しています。<br /><br />　トルストイは自分の家の庭をヤースナヤ・ポリヤーナ（明るい草原）と称していましたけれど、ほんの少しそんな気分を味わえる。<br /><br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="pink02.jpg" src="http://mediaxross.net/gazou01/pink02.jpg" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0pt auto 20px;" width="506" height="780" /></span><br /></div><div><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="rindou&amp;yellow.jpg" src="http://mediaxross.net/gazou01/rindou%26yellow.jpg" width="531" height="877" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></div><div>　リンドウもしっかりとしてきました。茎が硬く、葉も青虫にはやられないほど丈夫そうです。<br /><br />　隣近所からは連日のように草刈り機のエンジン音が聞こえます。<br />　きれいさっぱり、すっきりしたいということは、微少で繊細なものを殺すことになるのかもしれない。<br /><br /></div>]]>
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