堀川正美「秋」のパロディー顛末記...訂正と補注

 以前に取り上げた堀川正美「秋」についての記事で、新たな知見を得ましたので、若干の訂正と補注を加えておきます。

『金属箔のメタファーは、薄っぺらであくまでも無機質な文明の有り様を象徴して余すところがない。

 さらにいえば、放射性物質が空から降ってくるわけですが、
 セシウムやストロンチウム、プルトニウムなどは元素の周期律表で分かるとおり金属元素です。
 つまり、放射性の金属元素が空か降ってくる。それは目に見えないものですけれど、
 堀川正美は「降りしきる金属箔のひびき」とイメジ化してみせたのだろう。』

 この部分ですね。戦後生まれの私ですので、戦時中の実体験はありませんので、あくまでも私的な解釈の部分です。
 先日、吉増剛造「我が詩的自伝 素手で焔をつかみとれ!」(講談社新書)を読んでいて、次のような記述を発見しました。

「六歳のとき、疎開して行ってた和歌山の永穂で、恐らく何か電波を妨害するためなのでしょう、アメリカ軍が空中に銀のテープを大量に投下したんです。空から銀の紙が降ってくるの。
(中略)
 間違いなく戦争最後のときに、恐らく原爆投下の寸前ぐらいのときだよね。」

 銀紙あるいはアルミ箔のテープをある程度の長さで切断したもの、大量に上空から投下したということのようですね。
   これは多分、旧日本軍のレーダー探知機能の探査あるいは攪乱のための作戦だったかと思われる。

 吉増剛造はその光景を写真を撮影するかのような視覚感覚で記憶しているということなので、落下音については一言も言及していない。
 頭上から降ってきたのなら、その降りしきる音を聞いたことだろう、か?
 少し距離のあるところから、その光景を目にしたので音が聞こえなかったのだろう、か?

 この部分は現実の有様を表現したと受け止めるだけでは、やはり詩の解釈としては足りないだろう。
 「ひびきにみたされて」とすることによって、生命を育む羊水(にみたされていた)空と海が、
(世界の終りの おおきな翳)を象徴する無機質な金属箔に置換され、みたされることになるのだね。対比されているわけです。
 やはり、メタファーとして受け止めるべきかと思う。

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このページは、小林由典が2017年5月 3日 20:04に書いた記事です。

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