シルバーな日々(1) 職人仕事の労働疎外

一年近い沈黙の日々、文字通り形而上学的な問題追及と、没大衆的な生活。言葉にできないでいる経験を形にしていかねばならないと感じ始めている。「シルバーな日々」とは、......

 むつかしい問題は次回に回そう。もう少し整理が必要だと思える。

 今回は私の職人仕事の経験を通じて、丸山真男が指摘する日本的なるものの正体について少しばかり考えておきたい。

 シルバーという単語はどのようなイメージを私たちにもたらすのだろう?
 オリンピックに集約される比較級の「金」ではない、二番手以下の存在というマイナー・イメージ、
 あるいは逆に「いぶし銀」という積極的な価値観を付加したプラス・イメージなのか。

 実は今、こんな仕事をしている。(写真をクリックすると全体像を見ることができます)

sunroof022.gif

 これは都内にお住まいのある方の別荘に設置したウッドデッキとサンルーフ。
「木と鉄」という伝統的な素材の組み合わせを物作りのテーマとしている私が最近制作したのでR。

 鉄骨の柱は木製のものよりも細いので、全体を繊細にした。以前の2×4材を使ったウッディなデッキは、華奢な感じのこの家には似合わないと思ったから......。右に見える枕木の柱がその遺物のひとつだ。

 デッキは直線を強調し、サンルーフは曲線を多用して、対照的な組み合わせをしている。

 サンルーフは遊び心を入れてみた。当初は羽だけをつける構想だったけれど、羽を切り抜いた残材がくちばしに見えるので、即興で頭を造ってみた。

 というのも、私の頭の中にはルネ・マグリットの「大家族」のイマージュがあったのだけれど、毎日前の道を散歩で通る幼稚園児たちの保母さんが「天使の羽よ!」と言っているのを聞き、「いいえ」と、己の表現を明確にしたかったのだね。
 つまり、ここにも表現者の主体の問題と、解釈とのささいなせめぎ合いだけれども、あったのだ、と。

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午後3時過ぎの夕日に照らされると、蓮華座のような雰囲気が荘厳に現出する。

「目を描かないのですか」と通行人から訊ねられるのだけれど、リアリズムではないので......と言葉を濁すばかり。

デッキは大樹の幹を象徴する茶色、周囲は木の葉を象徴する緑色。

 田村隆一の「木」へのオマージュの意味もある。

 ところで、これは誰が造ったのだろうか......にわか大工というアルチザンの私が作者なのか、木工作家としての私なのか......

職人とは同じ物(厳密に言えば誤差があるけど)を、一定程度正確に大量に造る非人間的技術の修練を経た技術者のことをいうだろう。
 私はそういうルーティンワークを絶対に避けたいという対極にいる。
  表現は一回性なのだと思う。類型化や自己模倣など避けなければ、と。

 言葉の論理性に引っ張られて、最初に意図した話から遠ざかっていく。
 言葉の意味性を解体している詩の世界の人間として、「不整脈絡のフェノメナ」にワープしよう。

 表題のシルバーとは地元のシルバー人材センターのことで、昨年の4月から、ここの仕事を請け負っているのだけれど......。

 この仕事を通じて私は「地方性」というものの実際に触れ、図らずも丸山真男の「日本の思想」のなかに、その答えをみいだしたといってよい。そのキーワードがジャパナイゼーション(日本化)ということになる。

 私はこの言葉を日本語及び日本人の旺盛な吸収力という肯定的なイメジをもって理解していた。けれども!という話なのだね。

 この本題に入る前に、今回は地方性の一つの事象として、表題の労働疎外について、取り上げておきたい。

 シルバー人材センターというグレーなシステム 

 この社団法人組織は、会報やチラシなどを発行して、駐輪場の管理とか草刈りなどの簡易な労務を請け負い、他方で会員を募集してその仕事を請け負わせる、労務斡旋業を行っている。会員は二次請負ということになる。

 あくまでもセンターが元請けであり、オジさんたちは会費を払って二次請負の会員になるのだけれども、個々の仕事について請け負うか請け負わないかは作業員次第だという。請負ならば、社員と違って他に仕事をしていても問題はないので、気楽でいいか......と私は応募をしたのだけれど......。

 昔使ったカンナやノミが錆びていくのを見るのは忍びない!
 自分の技術が地域貢献に役立つのなら、平時のボランティアという社会的意義もあろうか、と。


 そしてやってみると、非常に楽しい。器用貧乏の極みという私には天職のように思える。ある一人暮らしのおばあちゃんの家で、風で吹き飛んでしまった雨戸を修理し、吹き飛ばないように工作し、沈下していたサッシの敷居と床の段差をスロープ状バリアフリーに改装した時のこと......。

 仕事を終えてひと休みしていると、近所のおばさんがやって来て、良かったね!良かったね!と喜び合っている姿に、私もうれしくなってしまった。
 大手建設会社の下請けとして建て売り住宅の仕事に関与していた時は建具という職能別の仕事に従事し、当然のことながらお客様と接することはなかった。自分の仕事が社会に役立っているなどという実感は、ほぼ無し!

 田舎には一人暮らしのおばあさんが非常に多い。
 おじさんよりも長生きだから、年老いて一人になるとこのような困りごとに対応出来ないケースが多々あるだろう。
 業者は煩雑だったり、面倒なわりにはお金にならない修理事はやりたがらないのだね。

 この人たちは、まぎれもなく社会的弱者であり、シルバー人材センターのような所は最後の頼み綱なのだ、と痛感した。
 私は自分の使命感を強く感じ、低賃金ということを気にせず、規定の料金より安くするために作業時間を少なく報告して有償ボランティアという意識で仕事をこなした。

 ところが、事務局の人たちは......
 「大変なら、断っていいよ」とか、
 「このお客さんは仕事以外の用事を頼んだりする人だから、そういうのはやらなくていいから」とか、
 事務局長は......
 安い仕事なのだから、高いところに登ったり怪我するようなことはやらなくていい」と言い、
 経理の女性は......
 「シルバーなのですから!」ということを口にするのだね。

 私は嫌な気持ちになると同時に反発を覚えるばかりだった。そういえば、説明会の時に、社会に貢献するなどという錦の御旗的な言葉はいっさいなくて、会員の親睦や生き甲斐みたいな内向きの姿勢が色濃いことに、少なからぬ違和感を感じていたことを思い出すばかり。

 シルバーという言葉は自己卑下的に使われているようだった。この認識そのものが時代遅れだという他ないだろう。わたし自身は「団塊の世代はアクティブ・シニアである」という意識をもっており、シルバーという言葉に将棋の銀のような働きをイメジしていたのだから。

 けれども事務局長や上の皆様方は昭和時代のニコヨン(二五四=日給254円)と称された失業対策事業のようなイメージを抱いているように思える。年寄りに冷や水、というようなことばかり聞かされるのでは、モチベーションが下がるばかり。

 そんなある日、事務局の受付カウンターに次のよう趣旨の御触書が大書され、貼られているのを見た。

 「最近、事務局を通さずに、お客様から仕事を受ける事例が見られますが、これはセンターの規則違反であり、退会を含む相応のペナルティーが科されますので、厳に慎むように。このような違反行為はすぐバレますので、くれぐれも規則遵守をお願いします。」

 チラとフォトリーディングしただけなので正確な文ではないかもしれない。このような規則違反が少なからずあって、張り出したのだろう。私は平然と無視して、気にも留めないそぶりをしていたのだけれど、ある種のいらだちと恥ずかしさを感じずにはいられなかった。

 私が恥ずかしいのではない。

 このようなものを大書して掲示する姑息さに、恥を知れ!という怒りに近い感情を感じた、ということだね。

 なぜこのような規則違反行為が発生するのかと言えば、この会社(組織)に貢献しようという気持ちが欠如しているからであり、その原因は与えられる仕事へのモチベーションが低いからなのだ、と。

 このモチベーションの低さは、先に述べた事務局員たちの自己卑下的言動による盛り下がり(←→盛り上がり)現象であろうし、根本的にはシルバー人材センターという「グレーなシステム」による労働疎外が生みだし続けるものだといってよい。

 シルバーな日々(2) に続く

 

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このページは、小林由典が2016年5月 7日 03:15に書いた記事です。

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