現在詩へのアプローチ(2-2) カネッティ「マラケシュの声」

意味の通じないモロッコの言語はマルチリンガルのカネッティに雑音として聞こえていたのであろうか。あたかも鳥や虫の声が雑音として聞こえる西洋人と同様に?彼らは言葉を右脳で聴くらしいが、左脳で聴く私は...

 言葉の意味は解らなくとも、話は通じ、不自由を感じたことはなかった。

 原典に当たらねば何とも判断ができないので、速攻でアマゾンに本を注文し、もう一つ取り上げられているボルヒェルトに関する本も取り寄せた。いささか横道にそれすぎるかもしれないのだけれど、瀬尾育生の論述がカネッティとボルヒェルトの作品から寓意をくみ上げて、自らの論旨に組み込んでいる以上、その寓意自体の妥当性と、現代詩への適用の妥当性とを検討しなければ、それこそ盲目的な批評に成り下がるほかないからだ。

 訳者あとがきによると、
 1954年(昭和29年)早春、カネッティは、マラケシュにおいて映画を制作中の友人の招きに応じて、同地に旅し、数週間滞在した。帰国後直ちに本書を執筆、その一部を数誌に発表している。

 上古ベルベル人の国であったモロッコは、七世紀後半アラブ人の北アフリカ侵入によってイスラム化され、現在もアラビア語が公用語であり、独自のアラビア語会話体、つまりモロッコ方言は中近東の言葉とはかなり異なり、アラビア人同士さえ互いに意思の疎通が困難なほどであり、文盲率七割、話される言葉の世界を今なお維持している(もっとも、ほとんどのモロッコ人はフランス語を解する)。

 一九世紀になって主に北アフリカ北西部に位置するアラブ諸国(マグレブ地域)はフランスによる植民地支配を受け、フランス語がアラビア語に代わる公用語となった。カネッティはフランス語も話すので、宗主国の言葉としてフランス語でこの地を旅したのだね。加えて、モロッコの言語事情については周知のことであったか、招待者から知識を得ていたか、いずれにせよこの地の言葉に相当な関心を持っていたことは想像に難くない。

 ちなみに、ベルベル人の有名人としてかの聖アウグスチヌスや大旅行家のイブン・バットゥータ、最近ではレアル・マドリードのジネディーヌ・ジダンなどがいる。民族興亡の歴史は複雑多岐にわたっている。

 以上の事情を考えてみると、<ある旅のあとの断想>という副題のこの著作は、二つの意図を以て書かれているように思える。
 一つは、映画の宣伝に与するであろう記事もいくつか書いて、雑誌に発表すること。
 もう一つは、映像メディァに対置すべき音声中心の記録を断章という形で出版することだ。

 いうまでもなく映画は映像も音声も収録する。しかし、
 言葉による描写は映像描写にしかずであるのに対し、
 言葉の意味性は音声の無意味性に意味を付与するだろう。(日本人以外では)

 カネッティは断想という形式について、次のように記している。(要約)

 言葉の分からない土地を旅すると、あまりにも多くのものが一時(いちどき)に襲ってきて、しかも鮮烈であるからそれを文字で表すことができない。これらが何を意味するのか、すぐに知ることはできない。理解しうる部分は、はるかに多くのものを含んでいるから、書き留める甲斐がない。
 断想は体験したことに依拠し体験されたことを再構築せず、体験されたことの特別な意味に固執する

 なるほど、カネッティは当初から「わけの分からない言葉を話す」(=ベルベル)土地を旅するに際して、それをそのまま音として認受するという方針をたて、自分の体験した特別な意味を探求した、と。

 決して何の方針もたてず、特定の目的ももたず、放浪したのではなく、
 「マラケシュの声」を収録しに行ったということだ。
 このことをまず、押さえておかねばこの風変わりな旅は十分には理解できないだろう。


 ここで最初の疑問に立ち戻ってみたい。カネッティの聴覚の有り様のことだ。

<...この静寂も長くはつづかなかった。最初蟋蟀(コオロギ)の声のように聞こえた、あるか細い、高音のざわめきが次第に強まり、しまいにはわたしは小屋があるのではないかと思った。(中略)

 じきに疑問は氷解した。耳をも聾する騒音がとある学校から聞こえてきた。>

 私の疑問も氷解してゆく。
 虫の音や鳥の声そして騒音と受け取った音は、
 小学生たちが朗読していたヘブライ語の「アレフ、ベット、ギメル」というアルファベットだったのだね。

 マラケシュの声はカネッティにとって、虫の音・鳥の鳴き声・騒音とつづく(雑)音そのものとして聞こえていたということになろう。
 音声ではなく、機械的な雑音として右脳が捉えていた、と。
 この点で、それらを言語脳である左脳で感受して、ある種の感情や意味性を感じ取る日本人である私のインド放浪とは決定的に異なるかと思う。
 私はインドの旧宗主国言語である英語でネパール、インドの多様な言語圏を旅したのだけれど、
 現地での言葉の意味そのものは分からないのに、意図はほとんど理解できたと思う。


 さて、周囲の音声を(機械的な)雑音・騒音と聞いているカネッティだが、
 「アッラー」という言葉だけは明瞭に「消え残った」のだという。

<わたしはこの言葉を自分の経験の、もっとも頻繁でもっとも印象的でもっとも持続的であった部分としての盲人から授けられていた。(中略)

 去年、一五年ぶりにヴィーンへ生き、途中ヴィーンにほど遠からぬブリンデンマルクト(原意「盲人の市場)を通ったが、こんなところがあろうとは昔は夢にも思わなかった。この地名は鞭のようにわたしを打ち、爾来脳裏に焼き付いて離れなかった。今年マラケシュにきたとき、わたしはおもいがけなく自分が盲人たちの中にいることに気づいた。盲人は何百人も、いや数えきれぬほどいたが、たいてい乞食で、ときには八人、ときには一〇人と集まって一列にぴったり身を寄せ合いながら市場に立っていた。かれらがしわがれ声で絶えまなく繰り返す『コーラン』の文句は遠くまで聞こえた。>

 blin・den markt の markt は market で問題ないが、blin・den は複義的な意味を持っているのではないだろうか?
 ドイツ語の blind には文字通り目の見えない(盲人)という意味の他に、「外からは見えない」とか「ニセの」「見せかけの」という意味がある。
 英語の blind ではさらに、「出口のない、見通しがきかない」とか「もぐりの、匿名の」という意味がある。
 オーストリアのウィーン近郊で、マラケシュの市場のように盲人が数多くいる市場があるとは想像がつかないのだが、公設のマーケットではない半ば黙認されたもぐりの市場とか、定価表示がなされておらず価格が分からないブラインド・マーケット(掛け売り)という意味を言外に含む(コノテーションの)地名ではないのかなと、わたしには思える。

<定価なるものが支配し、価格がモラルとされている国々では、ものを買い入れる術などそもそもあるはずがない。(中略)数字さえ読めれば、どんな愚か者でも口車に乗せられて買わされるようなことはありえない。
 これに反しスーク(市場)では、最初に告げられる価格は不可解な謎である。それは誰にも、当の商人にさえわからない。どんな場合にも多くの値段があるからである。>

 このような市場を、西洋人がウィーン近傍に開いたという歴史があって「blin・den markt 」という街の名前がオーストリア人によって冠せられたのだろう。

 けれどもカネッティは「盲人の市場」というストレートな意味解釈をしているようで、
 そのイメージをもってマラケシュの「(大勢の盲人たちによる)声のアラベスク」を受け止めた、と。
 マラケシュの市場の声もまた「特別な意味」性を帯びたといってよい。

 この断章は小説などのように物語的構築はなされていないのだろうけれども、かなり我田引水的な切り口、つまり現象学的な意味での先入見をもって脚色しているという点について、私はいささかの懸念をいだく。
 これをカネッティの断章として受け止める分には「新鮮な切り口」としてかまわない。
 しかしそこからくみ上げる寓意が日本語の、しかも詩の寓意として当てはめることは、いささか無理筋になるのではないか、と。


 私の頭に浮かんでいるのは、メルロ=ポンティがいうところの「生きられた世界」の報告=記述ということだ。

現在詩へのアプローチ(2-3)」につづく

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このページは、小林由典が2014年5月29日 06:15に書いた記事です。

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