そうだったのか、翻訳詩への違和感、スティーヴンズ

外国の詩人の翻訳詩にはどうもなじめないところがある。精神、文化の違いだけでなく、翻訳不可能な要素の捨象など、原文を読むにしかずだけれど、我慢して...

 わたしが初めて外国の詩を読んだのはゲーテの「ファウスト」だったことが、トラウマになったのかもしれない。現代の福音書と目され、400ページを超える韻文形式のこの書物に打ちのめされたといってよい。

 もっとも、ゲーテ以降のドイツの作家・詩人たちは、ゲーテ作品の偉大さに圧倒されて一世紀ものあいだ文学が停滞してしまったということですから、日本の小僧っ子が打ちのめされるのは当たり前、だね。

 なんとか読破したものの、14歳の私には全く無縁だった西洋キリスト教の精神世界は敬して遠ざかるにしかず、という生涯にわたる姿勢を深奥に植え付けることになった。

 翻訳は高橋義孝先生だったと思うが、漢和辞典と国語辞典をひきながらではあったが、読み難くはなかった記憶がある。

 けれども後年、学生時代に詩に親しむようになっても、どうにも翻訳詩になじめないようになってしまい、戦後詩から始まる現代詩の方にばかり目が行ってしまうことになる。

 しかし、詩を書く者として、マラルメもボードレールも、エリオットやオーデン、パウンド、ウイリアムズもろくに読んでいない、というのでは片手落ちの尊王攘夷論者とも受け取られかねないだろう。

 ということで、まったく読んでいないアメリカ詩から読んでみようと、イギリス詩・フランス詩とともにまとめ買いして、この夏の暑いさなかにウォーレス・スティーヴンズの詩集を、我慢に我慢を重ねて読み進めたのだけれど......良い選択だったとは言えないかもしれない。もっとも、その前にウイリアム・カーロス・ウイリアムズに目を通してはいたのだけれど。

 「場所のない描写」 この書名に惹かれて本を取り寄せたのだけれども、スティーヴンズはとにかく、読みにくいことが分かったのだった。読みにくいので、いろいろなところで違和感が増幅されるのを禁じ得ないところがある。

 たとえば、色の象徴表現......

の支配」とか黄色の午後」とか、白い幻想とかいうタイトル...、
  ...(失礼、「白い幻想」は、以前行った海の近くのレストランの名前でした (^^*) )

「私がにつつまれ、君のいう孤独の極みの空気の中」

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                                ...Tea at the Palaz of Hoon

朱色の虚無、我われがあまりにも遠くかけ離れて」

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    ...Less and Less Human, O Savage Spirit

 自然物の象徴表現......

 「ここには天候の他に何があろう、私には
    太陽からくる他に、何の精神があろう。」   ...Waving Adieu, Adieu, Adieu

 「太陽の経験よりも明白な、
  それを読むために人が生まれてくるべき

  一つのテクスト、和解の書、」         ...Description Without Place

 「の目は赤く、鉤爪は赤い。
   そしてそのときの別の状態では-光の屈折、
    形而上学、詩の形成に与る諸部分が、」   ...The Glass of Water

 「冬の布帛、織りなされた冬、風また風。
   織りなされるのは精神、響き渡る雷鳴と」  ...The Dwarf

  

 一読して、特徴的な要素が浮かび上がるだろう。
 20世紀前半の詩であるという時代を考慮しなければいけないが、
 <大>自然物の象徴表現、概念語を多用して、きわめて抽象的な作風であることがすぐ分かる。

 スティーヴンズは「究極の詩は抽象的だ」という題の詩を書いており、訳者によると...

「スティーヴンズにとって詩は、<現実を抽象する能力>としてのこの想像力が織りなす「信じがたいほど言葉のあやによって生みだされるもの」という一面を多分にもっていた。そしてそれが一見いかに小手先の<風変わりな修辞>に見えようとも、あやの織りなす言葉の秩序に詩の全重量を荷わせ、現実の類似物として提示されるとき、我われはその<風変わりな修辞>によって切り出された虚構=現実が、一転して眼の前に新たな意味を持って立ち現れてくるのに気づかずにはおられない。」のだ、という。

 それにしても、だ......

「太った猫、赤い舌、緑の精神、白いミルク、
 最も平和な月八月。
 
 東が西に押し寄せ、西がつるべ落としに落ちる
 どうでもよいことだ。草地は満ちている、......」 ...A Rabit as King of the Ghosts 

 どうでもよいけど、下線部は苦笑してしまったね。あえて抽象する意味があるのかねェ。

 「緑の思想」......田村隆一
 「緑の季節」 「緑の太陽」......山口いずみ
 ...というのがありますけれど、あくまでもタイトルなので良いでしょう。けれども、詩の中で使われる概念語や抽象語は、我が国の詩的風土では良くないとされるだろう。

 ためしに、これらの詩のどれかを選んで、自分の詩としてどこかの合評会で読んだとすれば、とくに女流詩人の方々からぼろくそに言われるはずだ。

 スティーヴンズは今やアメリカ現代詩の巨匠として評価されていることなどは、四畳半的詩情では理解されるはずもない。抽象的な事も、概念的なことも、深い象徴性も理解しないというか、その正反対なことが好きだからね。

 それはさておき、翻訳詩の問題だけをここでは取り上げよう。
 (スティーヴンズについては稿を改めて論じてみたい。)

 訳詞を読んでいて、まづ躓いてしまうのが難しい漢字の読みだね。例をあげておく。

 以下、つづく。

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このページは、小林由典が2014年4月 2日 19:15に書いた記事です。

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