現代絵画、視覚効果の面白く深い世界(3) 上野在森

机の引き出しを整理していたところ、上野在森 展(2010.5.31-6.5)の葉書が出てきました。会場の「ギャラリー檜B・C」は、行ったことがあるのですが......

stroke.gif

 なにやらジャコメッティーの彫刻のように細長い人物らしき影が二つ、向き合っているようです。

 下半分は、水面に映った逆さ影のような部分かもしれない。

 タイトルは「ストローク」......これは、ストローク・コミュニケーションという連想が即座に浮かんできました。暖色系の色使いは、暖かいコミュニケーションを表しているのかもしれません。

 けれども、和眼愛語、......というには周囲が騒々しいイメジであり、ややオーバーヒート気味の暖色が使われていますね。はっきりといえば、言い争いのような印象を受けます。

 私が連想するのは、夫婦の小さな諍(いさか)いですけれど、それぞれの背後には積み重ねてきた無数の感情のもつれみたいなものが堆積しているかのようです。

 私の詩でいえば「背中合わせのカリアティード」ですけれど、
  この絵の場合は「相まみゆる二つの影」という感じだね。

 それで思い出したのですけれど、この絵と対極的だと思われるのが、前回取り上げた絵です。

saint.jpg

 この絵は寒色系の色使いで、見ようによっては凍土のような場所に佇立している人、とも受け取れるでしょうか。

 そして、どうも私の心的傾向なのか、周囲は無数の人の顔に埋め尽くされていて人間関係の煩わしさの中で自分を保持している、というような印象を受けます。孤独な心象風景とでも......。

 今回は、「ストローク」と対比してみた場合の印象である点で、以前のイメジとは位相が異なった受け取り方をしていますね。

 こういう絵は、言ってみれば形象として見えないものを直接的に描こうという試みのように、わたしには思えます。
 たとえば、ダヴィンチが「モナリザの微笑み」で間接的に描こうとしたものを、直接的に描こう、と......。

 ともかく、さまざまな想像を喚起させるということは非具象絵画の特質なのだろうと考えれば、上野画伯の絵は見られることによって完成するという、わたしの見立てには意味があるかと思います。

 ジュガルバンディーをしてみたい気がする。

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コメント(2)


こんにちは 上野でございます。  いつも在森の作品を見て頂いてありがとうございます.7月に松山庭園美術館( 匝瑳市松山630 )で個展をします。案内状差し上げたいです。お差し支えなければご住所お知らせ頂けませんでしょうか。  一度実物を見て頂きたく思います。

お変わりございませんでしょうか。

上野

 久しぶりにログインして、コメントがあることに驚きました。そういえば、プロバイダを変えたのでメールアドレスも変わってしまい、音信不通の方がたくさん!
 今年は4月から新しい仕事に就き毎日毎日新しい経験の連続でしたので、時間に余裕がなくこのサイトも放置状態でした。ようやく物事を考える時間ができるようになり、たまったログ(アクセス記録)をスイープしようとして、いま発見した次第です。
 以前のサーバーを使っていたときにはコメントがあるとお知らせメールが届くような設定をしていたのですが、このサーバーでは設定しておりませんでした。
 半年も返信が遅れてしまい、大変失礼いたしました。せっかくのよい機会をお知らせいただいていたのに、うかつにも見逃してしまって残念です。
 
 

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このページは、小林由典が2014年3月24日 09:43に書いた記事です。

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