現象学的言語論の再定位(6) 言語モデルの試みⅡ

言語の「意味」とその「了解」を過不足なく理解するためには、辞書的意味しか取り扱えない記号学ではなく、<発語者の意味付加>と<受語者の了解確信成立>の構造を把握する必要がある。

 竹田青嗣が提出した言語モデルは、「確信成立の構造」を<信憑関係>として現象学的認識を言語の意味論に適用した、実際的でごく自然な(=無理のない)ものであると高く評価したい。

 ただし、竹田言語モデルは<受語主体の了解>を言語論のアポリアとして注目し、その前に発生している<発語主体の言表>の構造解明を十分に徹底していないきらいがあるので、私はこれに修正を加えて提示することにするものである。

言語モデル 色彩によって区別することで、「意味A」と「意味B」との違いを示してみた。

 旧来の言語理論では、発語主体の「意」が正しく受語主体に伝わるかどうか、が問題とされた。

 竹田の説明によると、ここには、二つの「主体-対象」関係が存在する、とされる。

 (1) A発語主体と、L言語表現との間には「認識表現関係」がある。

 (2) L言語表現と、B受語主体との間には「伝達了解」関係がある。

 ここで問題となるのは、「認識表現関係」および「伝達了解」の等号(=)に妥当性が基礎づけられるならば、それぞれ「客観的認識」あるいは「厳密な認識」の基礎づけを意味する、ということだ。

 けれども、これまで何度も触れてきたが、「主-客」の一致ということは、不可能であるというのが近代哲学以降の基本考えとなっているわけだね。詳しく検討したい方はウィトゲンシュタインの『哲学探究』が、様々な検証を行い論じ尽くされた観があるので、参照してみるとよい。

 ウィトゲンシュタインは「赤い花」という言葉を例に、発話者が思い描いている「赤色」と、受語者が思い浮かべる「赤」とが厳密な同一性をもつことはいかに証明できるだろうか、と問う。

 結論を言ってしまえば、それは不可能なことなのだ。科学が進歩して、発語者の頭に電極を当てて脳内イメージを厳密にディスプレーに表示して、RGB分析や色温度測定とかの色彩データを再現できればかなり厳密な理解ができるかもしれないけどね。

 現実の世界では、より複雑な観念や感情が入り交じった発話が普段に行き来しているものであり、とても分析検証することなど不可能だといってよい。

 言語図における「意味a」と「意味b」とは、それぞれ異なった言語環境(ローカル)を表している。

 このローカルには、地域共同社会というローカル性と、家族的ローカル性とが含まれており、それが個幻想のローカル性=個性を彩っているのだ。

 そして、発語者も受語者も、それぞれのローカル性に彩られた個性をもって、より大きなラングの世界での言語行為を行っている。簡単な例をあげておこう。

 先日TVのニュース番組で、福島県の某漁港の漁師さんがコオナゴ(小女子)を指して「何といっても春告げ魚だから...」と言うのを聞いて、関東の人間であるわたしは違和感を感じたのだね。

 小女子という名詞自体はイカナゴの数多い方言の一つであるけれど、それよりもアレッと感じたのは、「春告げ魚」とはわたしにとってメバルを意味するからだ。山陰地方では太刀魚が「春告げ魚」であるらしいと、釣り関係の魚の知識はあったのだけれど、小女子が「春告げ魚」というのは初めて知った次第で、所変われば品変わるということを改めて認識したのだった。
 これは地域性という例である。

 次に発語の個的なローカル性を取り上げてみたい。

 たとえば発生論的なローカル性として、赤ん坊は決して無垢な心を持って生まれてはいない、という事実を指摘しておく必要があるだろう。
 胎児は羊水世界(という家族ローカル性)において、母親を媒体にして外部世界を知覚しているのだ。家族の声を聞き分けるだけでなく、母親の精神的変動を生理的な変動として全身で感受しており、それが胎児の萌芽期にあるこころにゲシュタルト的な模様(=個性)を形成する。それは認識というほどのものではなく、感情的反応のレベルなのだけれど、実はこの情動的なゲシュタルトが、三つ子の魂百までも、という<こころの特異的反応>(=個性)の源になっている、と私は考えている。
 以上は、家族的ローカル性が個幻想を彩る例である。
 (ちなみに<心を彩るもの>とはインド哲学でいう「ラーガ」を、わたしはイメージしている)

 以上の各ローカル世界の彩りを基本にして、A発語者とB受語者は、両ローカル性よりも大きなラングの意味一般によって成立する言語表現を介して、意味のやりとりをするということになる。

 この場合どういう現象が発生しているかというと...

 (1) 「発語主体A」は<個別的な意味付与>を、意味一般を示す言葉(言語)に託すが、より十分に意味を明示するために、限定語で修飾することで、<言葉によって捨象される>ものを取り込もうと試みる。

 (2) 「受語主体B」は<辞書的な意味一般>を受け取って、自分自身の経験で得た<個別的意味に置換する>ことで、了解する。
 この場合の「置換」とは外国語の翻訳と同じような了解の仕方である。

 たとえば以前に「私は、いま、グラスに酒を注ぎ、」と書いて、「この<グラス>...皆さんが了解するイメジは、ブランディー・グラスだろうか、それとも、ワイングラスだろうか、ウイスキーグラスだろうか...」と尋ねたけれど、わたしの意味したものは「グラス一般」に捨象され、受け手によって「個別的なグラス」のイメージに置換されて了解される、ということになる。
 つまり、<捨象>と、<置換>による「個別的事物」への「想像的復元」がなされているのだね。

 はっきり言えば、<意味a>における「事象Φ」と、<意味b>における「事象Φ'」とは、実は同じ事象なのだけれど、「発語者A」と「受語者B」の感受様態は微妙に異なるものであるために、<意味a>と<意味b>とではすでに差異があり、これを「受語者B」が翻訳的に置換するのである。

 具体的な例をあげよう。安部公房『砂の女』で、皆さんは鳥取砂丘の<砂>とか、着想の元となった山形県酒田市に近い浜中集落付近の<砂>とかをイメジしたとしたら、すでに翻訳的置換をしているといってよい。日本の砂丘の砂では、脱出不能という状況は了解しがたいのだね。この物語の<砂>は、安部公房が少・青年期を過ごした満州の荒涼・茫漠として乾ききった粉のような<砂>なのだ。でなければ、脱出不能という状況はレアリテを持てないだろう。

 このような了解構造において、人は自分の経験知に限定された理解力でしか発語者の意を了解できないというきわめて現実的な問題も発生してくる。

 たとえば、「イオニアの海から」というわたしの習作で「メバルのように垂直に浮遊する」と言う表現をしたのだけれど、浮遊するというのは水平なイメージであり、垂直というのはおかしい」という批評をいただいたことがある。これなどは、メバルがどのようなスタイルで浮遊しているのかについて無知である(=置換不可能)ことからくるので、全く理解されないということになる。
 こういう簡単な例なら、海に潜って観察しろ、とひとこと言えばすむ話だけれど、谷川俊太郎「メランコリーの川下り」みたいな難しい問題に突き当たると、文字通り辞書的な意味でしか理解できない。つまり、発語者の<意味付与>という詩の根幹の部分を全く理解できないということになるのだね。
 「メランコリーの川下り」について、より深く作者の意を理解するためには、この詩を取り上げて以降に、わたしが書き続けてきた言語論的知識が最低限求められると思う。
 だから、詩と直接関わりのない言語論をここまで書き続けているわけだ。

 話をもどそう。

 発語主体と言語表現、言語表現と受話主体という二つの「主体-言語」関係は、(厳密ではなくとも)一致することはない。それが言語のもつ不完全性であり、それを前提として、人間の言語行為はある意味で誤解の連鎖としての語脈(文脈)を形成している、ということだ。

 ここで本当に意味のあることは、「客観的な認識」の可能性を追求することなどではなく、現実に私たちが誤解の連鎖において、いかにして<意味付与>と<了解成立>の確実性を高めていくのか、ということの条件を明らかにしていくことになろう。

 その現象学的方法論がフッサール言語論から竹田青嗣言語モデルで浮上してきた「確信成立の条件」という考え方である。
 わたしは悲観的な言語不可知論者ですから、「確信成立」とはいえないので、やや控えめに「了解成立」という言い方を採用している。

 竹田はこの不完全な「伝達=了解」について、現象学では「意」の正しい「伝達=了解」が成立したとは考えず、「受語者」のうちに、「発語者」の言葉の「意味」についての何らかの確信が成立した、と考え、そしてこの「確信成立の条件」を考察するのである、と説明している。

 いよいよ、ここから核心に入っていく。

     「現象学的言語論の再定位(7) 」言語モデルの試みⅢ、につづく。

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このページは、小林由典が2013年8月21日 23:55に書いた記事です。

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