現象学言語論再定位(3) パロールとエクリチュールⅠ

言語の意味性は言表者の意識に由来するものなのか、記号としての言語自体がはらまざるを得な差異の体系にあるのか。パロールとエクリチュールとの違いは本質的なものなのか、検討する。

 懐疑論の系譜であるデリダの方法は、相手の論理の根拠となっている根源的概念における例外事例を次々と提示して、その不可能性を明らかにするところにある。

 一方、フッサールの方法は、ある典型的な事例をあげて、根源概念の可能性を示し、それを確定した上で、現実における現れ方を観察していく。

 数学者として出発したフッサールは、「円周率はπである」という命題を、全世界どこでも同一の意味をもつ典型例として取り上げ、これを「意味のイデア的同一性」として、「厳密な言語」の可能性を確保しつつ、現実の言葉のやりとりでは話者と聞き手との間の「意味作用」という契機において授受が成立するとした。

 竹田青嗣は、この「意味のイデア的同一性」という考え方は現象学の考え方では不徹底な見解だとみなす。彼は、自然世界の存在は、本質的に生理的身体性(=類的身体性)との相関として捉えられるものであり、広範な同一性を想定できる、とした。(類的=人類に共通な)

 それに対し、人間の活動である哲学や文化的領域の対象については、それが「幻想的身体性」にとって現れる「意味と価値」の地平なので、普遍的な共通了解は成立しがたいのだ、という。この幻想的とは感情性・情緒性・無意識・感受性・美意識・価値等々を意味する。

 竹田の説明はフッサール現象学の継承者のひとりであるメルロ・ポンティの身体論を援用したものだと考えられる。
 メルロ・ポンティは世界を物質と精神という二元論で考える従来の世界観をとらずに、生命というものを両者の間に定位させる。

 彼は人間の心というのは五感という身体の感覚器官によって形成されるゲシュタルト的な構成世界であり、言語というものはそのゲシュタルト的な構成の外化作用である、と考えた。

 ゲシュタルトというのは心理学の用語で、
生体というものは刺戟の個々の要素的内容に対応しているのではなく、個々の要素的な刺戟がかたちづくる"形態的で全体的な特性"に対応しているという考え方だ。ゲシュタルト心理学では、この概念をもっぱら自然界に適用するのだけれど、メルロ・ポンティはこれを身体論の根底に置くことで、デカルト的な心身二元論を克服する道を見いだしたといえる。

 生命科学の世界で仕事をしていた私にはメルロ・ポンティの考えはごく自然に入ってくる。
 原生動物のような単純な生命体では、「刺激-反応」という旧来の要素還元説は一応意味が通るけれども、高等生物においては「快-不快」という単純な因果関係ではその反応的行動は説明がつかないのだね。ましてや人間を対象にすると、科学では解らないことだらけになる。

 たとえば、生命とは酵素の働きである、と要素還元していえば、間違いではないけれど、それで生命現象のすべてを言い尽くせるものではない。そういうものも全てひっくるめて、ゲシュタルト的な内面世界が形成されており、「私」という習慣的な世界内存在の有り様が決定されている、と。

 「これが『知覚の現象学』で説かれている「間身体性」だ」...と説明している人がいるのだが、そうだとすればやはり不徹底ではないだろうか。この言葉は、フッサール現象学でいう「間主観性」という術語をメルロ・ポンティ身体論的に転換したものだと、わたしは考えている。
 <間>とは、複数の人が同意する共通感覚というほどの意味であり、竹田青嗣のいう「類的身体性」つまり、身体の共通感覚性に該当する。

 とするならば、竹田が分類した「幻想的身体性」の部分がすっかり欠落してしまうことになる。

 メルロ・ポンティの身体論の根底にあるゲシュタルト的内面世界には、「類的身体性」と「幻想的身体性」とが末分化の状態で存在していることが読み取れるのだけれど、「間身体性」という(フッサール「間主観性」の)読み替えを当てはめたことによって、フッサール言語論に潜んでいた見落としをメルロ・ポンティも踏襲してしまった、という残念なことになったのではないだろうか。

 ここで言う「見落とし」とは、まさに先に取り上げた三木成夫『内蔵とこころ』から吉本隆明『母型論』に至る「ことばの発生過程」が、こころのゲシュタルト的有り様を成している、という認識が欠如している、ということだね。

 メルロ・ポンティは彼自身の言語哲学を構想して著作に着手していたけれども、道半ばで倒れて完成されなかったが、ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」理論に接ぎ木されるような解釈が出てくるのは、実はこの点の認識不足に原因があるのだろう。

 フッサール現象学的言語論の問題点であった「イデア的同一性」という考え方、つまり「意識」と「言語」の一致性は、ただ理念的なものに過ぎないというデリダの批判は正当なものだ。
 大なたを振るってしまうなら、フッサール現象学の基本的な動機である「確信成立の条件」を明らかにする上で、「イデア的同一性」という考え方はとらない方がよいのではないだろうか。ここには、数学者としてのドクサが紛れ込んでいるのだ、と。
 私はこの部分にメルロ・ポンティのゲシュタルト論を採用して、現象学的言語論の考察を進めていきたい。主観と客観、主体と客体という二分法を免れる方向性を見いだしてはいるのだけれど、西洋的な論理法を用いて分析的に考察していくかぎり、主客不二の<境地>には決して手が届かないのだ。

 

 パロールとエクリチュール

 確かにフッサールはパロールこそ言語活動の本来の形であり、エクリチュールは二次的なものであると考えていた。

 それに対して、デリダはパロールの痕跡としてエクリチュールがあるのではなく、パロール自体がエクリチュールの体系のうちにある、とする。

 デリダはフッサールが立てた「表現」と「指標」という区分を脱構築していく。これは、「言語の謎」といわれる多義性のアポリアについてフッサールが提示した術語である。

 ・「ブケファロスはだ」と、「この馬車馬はだ」という言い方では、同じ<>という語が異なる対象を示している、こと。

 ・「イエナの勝者」と、「ウォーターローの敗者」では、異なったシニフィアンが同じシニフィエを示している、こと。

 このアポリアを解決するために、フッサールは「表現」と「指標」という区分をしたわけであるが、そのことによって、デリダによる脱構築の手がかりを与えることになる。

 「表現」とは、「意味付与」と「意味充実」という<意味作用>のことであり、言語の多義性はこの部分で発生する、とした。(コノテーションに相当する)

 「指標」とは、言語記号それ自体がもつ対象指示の機能だが、「指標」では「ある直感の充実」が必ずしも不可欠ではない、とする。(デノテーションに相当する)

 

 デリダはフッサールの説明について、次のように脱構築してゆく。

 言語記号が<指標>として機能するということは、<起源>としての直感の充実(=意味付与)がなくとも、記号表現として機能する、ということである。
 むしろ、このことが<指標>と<表現>との分裂を必然的なものにしているのだ。
 フッサールは話者が言語に与える意味作用や、聞き手が理解する意味作用を「表現」の本質として重視する。
 しかし、言語表現においては、言語記号が<指標>として機能しているということこそ本質的なのである。
 つまり、言語表現が言語表現であることの本質は、むしろ言語記号が直感による意味作用から独立している、という点にあるはずだ。

 記号作用一般の構造をそれ自体において考えれば、直感の不在は記号作用一般の構造によって要求されているのである。
 いいかえれば、ある言表の主体およびその対象の<全面的不在>......作家の死、もしくは(および)彼の書き得た諸対象の消滅......は、<意識作用>のテクストを妨げない。逆にむしろ、この可能性が意義作用を意義作用として生じさせるのであり、意義作用を聞かせたり読ませたりするのである。

 書字(エクリチュール)......これが、主観の死による(また、死後の)主観の全面的不在にもかかわらず機能する記号の通常の名称である。

 

 こういう哲学者の論議を読んでいると、どこかピントがずれているような印象を持つのは、わたし一人にとどまらないのではないだろうか。そもそも、問題の立て方自体が誤謬を元にして成立しているのだから、不毛な論議にしかならないのだ。

「・「ブケファロスはだ」と、「この馬車馬はだ」という言い方では、同じ<>という語が異なる対象を示している、こと。」

 ......このアポリアともいえない珍陳述を、あなたならばどう理解するだろうか?

 自分なりのその回答を用意してから、この続きを読んでいただきたいと思う。

                                 ( 2013/08/11-17 )

     「現象学的言語論の再定位(4) 」につづく

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このページは、小林由典が2013年8月17日 22:25に書いた記事です。

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