「言葉からの触手」を現象学的に再読する

 吉本隆明「言葉からの触手」は16章からなる正味115ページの文庫本だけれど、1980年代後半の日本における精神・社会状況を言葉という切り口で、吉本思想のエッセンスを展開している。

 小冊子であるから、寝る前の睡眠導入本?として枕元におき、文字通り睡魔が訪れるまでの束の間、吉本隆明のモノローグを目で聴きながら寝入るというボンヤリ読書週間を過ごしたのだった。

 文章を目で追えば聞き覚えのある声が浮かぶという程度には、あれこれ読んでいるかと思う。

 だからというわけではないのだけれど、この小冊子はいまいち意味あるいは概念がはっきりと了解できず、「主体意識の変遷(3) 吉増剛造 part3」で触れている<ある種の理念>というものが何を指すのかについて、確たる了解を得られずに判断停止のまま、今日まできてしまったという経緯がある。

 今回、改めて本題として取り上げるのは、どうやら私の誤読というか、視点に欠落があったのではないかという気づきがあったので、竹田青嗣・現象学を基本において再検討してみたい。

 私はこの、いまひとつ意味不明瞭な言葉をめぐって、見開き一面で収まってしまう「あとがき」を何度か読み返してみた。バルトリハリ言語学を思い出していただきたい。

 「<文>(Vakya こそが単一不可分の最小の単位であり、言語の理解はVakya を基礎においてはじめて成立する」、と。文脈に沿って、理解せよということだ。

 こういうことは誰でも経験的に行う事だ。読書百遍意自ずから通ず、と昔からいう通りだね。

 けれども、大多数の読者はこの「あとがき」を再読しても、明識に至ることは難しい事だろう。

 私はグータラな「積ん読よりマシぼんやり読書」をやめて、離れの書斎の書架にこの本を鎮座させて、再読をした。

 そして、第1章「気づき 概念 生命」の終わりの方で、次のフレーズに気づいたのだ。

 「人間の生命の過程は、もし生物体ということにそっていえば、感受性と、その了解と、それから呼び起こされた行動から成り立っている。(中略)

 これが、生物体の内部で生命がじぶんをいつもあたらしく駆りたてる過程なのだ。(中略)

 だがよく気をつけてみると、生物体のなかでは、この生命の過程は「概念」を成り立たせる発生期の状態(ナッセント・ステート)なのだ。」 (nascent state)

 

 最初の行は、人間の生命活動は、「感受性と/その了解/その反応行動」から成り立っている、ということだけれど、これはハイデガーの『存在と時間』における意味論を受けているな、と気づいたわけだね。

 ハイデガーによれば、「意味」は事物的存在ではないし、概念とか数とかの理念的存在でもない。「意味」を<持つ>のは、「人間の存在のあり方」それ自体である。双方を対照させてみよう。

 人間の「実存」(=内存在)の本質契機は、<情状性><了解><語り>という三つである。

 内存在(=われわれ)は、ある気分に捉えられ、自分の状態を了解し、この了解が起点となり、自分の新しい「ありうる(事態)/(~したい)へ自分の行為や態度を促す(企投する)ことになる。

 ここにこそ、「実存」という現象の基本的な原型がある。

 情状性というのは、ある感覚的な感応がもたらす気分の有り様ということで、<感受性>といってもよい。微分(細分)化の度合いによって、使う言葉が違ってくるだけだ。
 同じように、<語り>は、<行動>という上位概念に包含されるものだと考えてよい。
『存在と時間』の脈絡においては<語り>、
「言葉からの触手」では<行動>という語彙が決定されているということになる。
 ここで私たちが読み取らねばならない重要なことは、「感受性と、その了解、その反応行動」とは「過去...現在...未来」という時間性のうちに人間存在を在らしめる契機である、という点だ。

 第二行は、ハイデガー実存論の基礎となっている現象学的表現で、くどくどしい言い回しになっている。吉本は実存哲学者ではないので、一般論的に簡略化しており、判りやすいだろう。

 第三行、これは人間が世界内存在として行為し生きていく原型なのだと言うこと。

 ハイデガーの<現存在>論を吉本は、第一行目に布石しておいた<生物体>という言い換えに則って、「概念発生のプロセス」(『母型論』)として発展させている。


 つまり、吉本は、ハイデガーの実存論的意味論を踏まえて、三木成夫の生命形態学へ橋渡しを行い、言語の発生期の有り様をここで述べているのだな、という了解が(ある確実性をもって)成立したのだ。そう、了解が信憑性をともなって成立した、と。

 三木成夫『内蔵とこころ』...心は原初的深層のところで内臓の働きや動きに起因するもので、さらに体壁系の感覚器官の働きや動きが相まって形成されている、と説く。

 吉本隆明 『母型論』は、心的現象の由来を言語以前の心の考察の過程から説き進めている。 これは言うまでもなく『心的現象論』の基礎付けとしてなされたものであり、三木成夫の生物論を援用することで、ミッシング・リンクに脈を通じたということになる。

 ここでいうミッシング・リンクとは、『言語にとって美とは何か』、『心的現象論』、『共同幻想論』を統一的なプラットフォームに相関的に立たせる通路を意味する。

 このプラットフォームとは『母型論』であるが、構想初期の段階では統一的な脈絡をどうつけるかについて、明確なビジョンを持ち得なかった、という経緯がある。

 なるほど、この本のわかりにくさは、吉本思想のエッセンスの部分を抽出して煩雑さを避け、各章の論旨を見通しよく記述したいという作りになっているからなのだね。吉本の思想的バックボーンをも視野に入れていないと、十分な理解に至ることは難しいという原理原則的なことなのだ。

 ここで、注意しなければならない語彙がある。それは<概念>という語彙である。

 一般的な意味での「概念」とは、言語によって思考された普遍的・抽象的な意味内容を指すけれど、吉本のこの記述の部分は言語発生(=獲得)以前の(精神)現象について述べている、という点だ。

 三木成夫は<こころ>と言ってしまっているけれど、発生的にみれば<こころ>の成立以前、「感受性と/その了解/その反応行動」の過程で(実存論的)<意味>が成立するのだ。
この<意味>の「連鎖的集合」がここでいう<概念>であり、この<概念>が<こころ>を形成し、その<こころ>を表出する契機を得たものが言葉になっていく、ということになる。一般的な「概念」というものは言葉以降のものなのだ。

 ここで、再確認の意味も含めて、ハイデガーの論点を参照してみよう。

 意味とは人間の世界および他者との関係全般の実存論的原理であるが、それは「気分」と、その「了解」という現事実性にその存在根拠を持つ。(気分=快・不快、安心・不安、充足・欲求など)

 「気分の了解」は「気遣い」という存在可能の中心点を作り出す。(対処し、意味の強化・解消を志向する)

 気遣いはまわりの世界の諸対象を「道具的存在」として開示する。(周囲の事物を、「~のために/~したい」という合目的性によって規定された「用具」的存在としての「意味をもつ」ものとして措定する)

 「意味」は、上記一連の実存的関連の「分節性」として生起し、あるいは消滅するものである。

 ハイデガーの実存哲学はフッサール現象学を基本方法としているが、「意味」とは何かという問題はまさしく現象学的なテーマであり、ハイデガーの現象学的理解(=本質観取)は優れた本質理解を示していると竹田青嗣は評価している。

 私の意識は言語そのものの現象学的理解のほうに移りつつあるが、この論考を終える前に、この『言葉からの触手』の大きな意義について、触れておかねばならないだろう。

 <ことば>は<こころ>の有り様を表出する手段であるが、その<こころ>の形成過程は、普通に想像するほど単純なものではなく、胎児の段階における重層的な母子交流を経て、誕生後の多様な世界感受という根源的経験の過程で形作られるものだ。(詳しくは『母型論』に譲る)

 その重層的かつ多様な<こころ>は言語に託されて表出される。

 この厳粛な実態を知るにつれ、言語における多義性と、多様な解釈可能性という現代言語学が直面している「言語の謎」論は、根本的なところで重大な踏み外しをしているという認識が強まってくるだろう。

 私のおおざっぱなつかみでは、吉本隆明『母型論』は唯物論的(発生学的)言語発生のプロセスを開示したが、これは現象学言語論の強力なバックボーンとしての地位を占めるものになる、と考えられる。

 はっきりいえば、ソシュール言語学から始まる現代西洋言語学、そしてその上に成立している現代(文学)思想(バタイユ、ブランショ、レヴィナス、ウィトゲンシュタインやジャック・デリダとその流れ)を非本質論として退けてしまうかもしれない根源的な思索だと考えられる。

 そういったバックボーンをもつ吉本隆明の思想のエッセンスが「言葉からの触手」なのだ、と。

 こういう詩的な表現で論理を記述したい、という願望を、私もひそかに抱いていたのだ。

 【 2013/07/24-26 】

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このページは、小林由典が2013年7月24日 17:18に書いた記事です。

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