「討議戦後詩」(2) 統覚について、部分と全体

吉岡実から始めることに意義のあるこの書で鮎川信夫を取り上げる意図は、「断片を統覚する全体」という考えの限界が70年代に出てきたという野村喜和夫の言に私が躓いたからだ。

 鮎川信夫は詩を書かなくなって後も「アメリカ」というものを大きな問題として考え続けていた。

 「アメリカ覚書」は長詩「アメリカ」に付された、鮎川詩論として充分に読めるものとなっている。


 <一篇の詩を書く場合においても、他から切り離された自己とか、純粋に独創的な言葉というものは殆どあり得ない。そんな場合、ロマンティックな詩人は、個性というものを潤色して考えるが、個性などというものは大した仕事をするものではない。言葉の抒情性に凭(もた)れたり、自然発生的な情緒とか感動とか実感を表現するための道具として言葉を使用する詩人には何らの発展もなければ飛躍もない。むしろ詩を書くというなまぬるい行為によって、自己の経験を卑しめ、実感に歯の浮くような非現実性のヴェールをかぶせている。個性的な新しさなどには、何らの未来性も認め得ない」


  「私は断片を集積する。私はそれらを最初は漂流物のように冷ややかに眺めているが、次第にそれらの断片によってわれわれの世界が支えられていることに気づく。私はそれらの断片に、総括的な全体との関聯に於いて、部分としての位置を与える。勿論一つの断片と雖も全体を変えるほどの影響力を持っているものであり、......


 上の文章は、たとえば田村隆一の言葉だと騙ったとしても、そのまま信用されるのではないか。いや、「荒地」派の他の詩人たちの話としても、充分納得できる基本的な共通認識だといえる。

 そして、私もまた、ほとんど違和感なく「そうだよね」と言ってしまいそうで、やばいなと思う。次に出てくる鮎川の言辞にしても、こんなにも鮎川信夫に私は似ていると思って、いささか狼狽する......。

 ふり返ってはならない。より若い世代の声に耳傾けようと思う。
 

瀬尾育生

「覚書」の最後で、「私はこの作品を放棄する。これは失敗であったから中断する」と書いている。

 なぜそう思ったかというと、断片を集積していくという作業自体は、この詩の中でやられているんだけれども、何が一番鮎川さんにとって失敗だったと感じられたかというと、つまり、それがまとまってしまったということ。

 「全体」を必ずつくらなくちゃいけないというところが鮎川さんの戦後の詩的な理念の勘所であった。

 ところが、「アメリカ」では、断片を集積するが、それらを全体性のなかに収束させようとすると、そのなかで断片は死んでしまう。

 感覚的には「アメリカ」を失敗だと感じているにもかかわらず、しかし理念としては、詩の中に全体を統覚する視点を必ず持とうとしていた。それがたとえば、シュルレアリスムの自動記述を否定することにもなる理由でもあった。

 鮎川さんは詩の言葉を意味に偏って理解しているからシュルレアリスムの像的な比喩を認めがたかったというのではなくて、

 自動記述が統覚を形成しないから、全体を形づくらないから認めがたかったのだと思う。


 「自動記述が統覚を形成しない」......確かに、そうだ。

 ただし、私は自動記述といえども、自分の手で書いている以上、どこかで書き手の無意識なものが介在しているのではないか、と考えているわけだね。というのも、私自身は「こっくりさん」とか、「フーチ」、「ダウジング」、「オーリングテスト」から、「チャクラの開発」とか、今日で言うインナー・トリップや超能力みたいなことにも興味をもって、実際に体験したことがあるから、なのだけれど...。

 オートマチズムを鮎川信夫のように否定するのも、私のように認めるのも、根は同じで、「統覚というもの」を一定程度信じているから、ということになる。ところが......
 

 野村喜和夫

「断片を統覚するものとしての全体という考えの限界も七〇年代ころに出てきて、そのときまた地盤のようにして浮かび上がってくるものがアメリカではないでしょうか。

 鮎川信夫の晩年におけるアメリカというのは、部分-全体という二項対立では処理しきれなくなったものを、なにか現実のアメリカが体現しているんではないかという、ある意味では詩の否定にまで至ってしまうような予感の場ということです。
 

 瀬尾育生

「無名にして共同なもの」という鮎川の言葉には、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』の中にナショナルなものの象徴として出てくる「無名戦士の墓」と似たところがあるし、

 「いつの日か、僕らの交わす眼差しや/なにげない挨拶のうちから生まれる未知の国民の......」という「アメリカ」の一節は、ある種の内面的ナショナリズムなのではないか、という読み方もありうる。

 それが七〇年代末から八〇年代になって、アメリカを取り上げたときには、それがどういうモデルというかイメージに変わったかいうと、「遠近法の混在」ということだと思う。
 アメリカという言論空間というか言説空間は、たとえば日本のように中央集権的な空間があってその中で多様であるということではなくて、パースペクティブ自体が全く多様に存在している空間である。そういう理念として、アメリカを出してきたという気がする。

詩の中に必ずひとつの統覚を要求するということは、なるほどひとつの倒錯ではあるけれども、それまで誰もやったことがなかったわけです。少なくとも日本の詩ではそういう表現のレベルはなかったわけだから、ここで詩がひとつの世界像を内包し得る可能性を持ったということは、鮎川的な詩の世界が獲得した地歩としてはとても大きなものです。

 けれど七〇年代から八〇年代にかけての鮎川さんのアメリカは、たぶんそういう方法が立ちゆかなくなったことと呼応している。長詩「アメリカ」のなかでいまだない共同性として語られたものを脱構築するような、「遠近法の混在」みたいな形で、アメリカが登場してきたのだとおもう。
 

 「詩の中に必ずひとつの統覚を要求するということは、なるほどひとつの倒錯ではある」というのは紛らわしい言い方かとおもう。

 作者が一篇の詩を書く場合、想像力の飛翔に言葉を任せようとも、シニフィアンの自走に言葉を任せようとも、作者の統覚は必ず保たれているではないか、と一瞬考えるはずだ。

 だが、よく読んでみると、瀬尾育生の言っている統覚とは、「詩作品の中に必ず」ひとつの統覚を設定する、というところにあることが了解されるだろう。コンテキストにおける<統覚>ということだ。

 だが、私だって、大体は野放図に想像力と連想とダジャレ的シニフィアンの自走に任せてキーボードを叩くことが少なくないけれど、最後に一言決め台詞を入れてケリをつけるという意識を持っているわけだね。

 だが、かといってテマテイズム論者ではないですから、最近の無説詩というものもありだろうと受けとめている。ただしそれは、締まりのない詩だなという印象を、往々にして感じるのだけれど......。
 

 それともうひとつ、瀬尾のいう統覚は、「必ず統覚を設定する」という限定要素が加えられている。「必ずしも設定しない」というのが一般的だとすれば、「必ず」そうすることは、頑固者の鮎川的固執ということになるのかもしれない。

 特に意識もせずに、統覚があるのは当たり前だと考えていた私の場合、あえて決め台詞を書かずに尻切れトンボ的に<断定しない>というスタイルを、現象学的エポケーの形式として使っているからねぇ。思考停止、始皇帝死......
 

 それで、野村喜和夫がいう「断片を統覚するものとしての全体という考えの限界も七〇年代ころに出てきて」というのは、ヘーゲル的あるいは体系的にまとめられた世界観というののが終焉して、レヴィ=ストロースが提示した多様な世界という考え方が広まってきた、ということなのだろうか。

 そして、その象徴的な世界として「アメリカ」なのだ、と。
 私ならばインドこそ遠近法の混在というよりも混沌そのものだ、と感じるけれどね。

 インドの歴史は時代の連続以上のものであり、民俗や、宗教や、社会制度や言語を重視するものであった。文化に眼を移してみると、ここでも同じ現象が姿を現す。教理や、神や、儀式や、宇宙論や、宗派の複数性のみならず、結集と並列が存在する。ヴィシュヌ神信仰の中に、シヴァ神崇拝者や、仏教徒や、そしてジャイナ教徒のエコーや追憶を見いだすことは困難ではない。

                             オクタビオ・パス『インドの薄明』
 

 私自身、鮎川信夫と同様、(アメリカではなく)インドで断片を集積することになったわけだけれど、「人間は矛盾の塊ですから」という言い訳をくり返さなければ、詩はおろか言葉もないという茫然自失状態にならざるを得ないと感じていただろう。カメラが盗難にあい、日本人旅行者からカメラを買い取ってはみたものの、無邪気な観光旅行者のようには写真を撮れない。

 写真も撮れないのだから、単一のパースペクティブで何かを語ることも出来ない、ということになる。
 

 けれども、アメリカの場合、アメリカ詩があって、鮎川にせよこの鼎談をしている野村・城戸・瀬尾たちはそこにアメリカニズムというものを発見したわけだね。
 

 鮎川信夫の「アメリカ覚書」は......、
 T.S.エリオットの"Tradition and Individual Talent"(1919 『The Egoist』)から来ている。
 (『THE WASTE LAND』の韻とリズムは、やはり日本語の翻訳ではそがれている、と感じる。)
 (鮎川信夫は、エリオットよりもオーデンの影響を強く受けていることは周知の通り)
 

 瀬尾

遠近法の混在としてのアメリカが登場したときに、ヨーロッパ的な教養によって支えられた<全体>も崩壊した。

 ......と書きながら、ウィリアム・カーロス・ウィリアムズと、エズラ・パウンドの詩集をAmazon に注文してしまった。また、しばらく続編が滞ることになるのでしょう。


      「討議戦後詩(3) 」につづく

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このページは、小林由典が2013年5月 8日 23:31に書いた記事です。

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