「言語態の問い」(1) 言語の世紀へ

言語学的転回について、問題の存在とその転換という社会現象だけを前回記述しましたが、いまひとつ了解が不十分かもしれないので歴史的な経緯をここで概観しておきたい。

 再び、『言語態の問い』から、要約してみましょう。

 「構造主義は、社会や文化の問題を、「二次的な言語活動」あるいは「第二次的モデル化システム」としてモデル化することによって、言語の「構造」の研究と、社会や文化を対象とした「構造モデル」による研究とが結びつけられた。

 他方、そのような考えが確立するためには、実際の文化や社会における言語・記号実践の側でも「文化や社会を言語や記号として問う動き」が起こらなければならなかったのは言うまでもない。

 「モスクワ言語サークル」や「オポヤーズ(詩的言語研究会)」の「ロシア・フォルマリズム」は、
 フレブニコフやマヤコフスキーに代表される1910-20年代「ロシア・アヴァンギャルド」の芸術運動と一体の知覚革命であった。

 「プラハ構造主義」もまた20世紀前半ヨーロッパのモダニズム運動(「ダダ」、「シュルレアリスム」、「表現主義」、「未来派」など)と不可分な運動であった。

  「記号学の問い」の成立には、「言語の問題」を言語プロパーから、映像、建築、文学、音楽、演劇、フォークロアにまで拡大する、「前衛運動による文化の革命」が対応した。

  フランス構造主義にも、同じ関係を、ヌーヴォー・ロマンやテル・ケルなどの前衛運動との結びつきに見てとることが出来る。


 こうして整理してみると、我々の世代が反大学・自主講座という思想の世界に向かっていたとき、大学で開講されていたロシア・フォルマリズムやヌーヴォー・ロマン、あるいはソシュールやロマン・ヤコブソン、そして時枝誠記(ときえだ・もとき)の言語学などの講座は、それなりに意味のあるものだったのだな、という感慨がある。

 現代詩のターニングポイントは、このような言語学的転回を背景に、詩の表現スタイルが変化したということだね。

 天沢退二郎や鈴木志郎康、吉増剛造らの60年代の詩人はもちろん、その上の年代の入沢康夫も谷川俊太郎も、こういったエピステーメーの変化にそれぞれの仕方で敏感に対応していることが見てとれる。

 さて、「討議戦後詩」では、それ以降の言語態についても視野に収めていますので、もう少しだけ言語的転回を追っておきたい。


 「チョムスキー革命」

 ソシュールによる記号学の提唱から構造主義へといたる時代の流れは、社会や文化の問題も言語の問題として捉える<連続性>の時代であった。

 この連続性に<切断>をもたらしたのはN.チョムスキーであった。

 チョムスキーは、ソシュール言語学がすでに導入していた認識論的切断......

ラング=脳内に措定された潜在的な「記号の体系」であり、心的現象である。→「内的言語学」
パロール=生理的・物理的事象、あるいは社会的事象としての記号の現働化→「外的言語学」

......を、さらに拡大させた。

 内的言語学は脳科学などと同様、自然科学の一部門として分化(理論言語学)してゆき、
 外的言語学は人間科学や社会科学が対象とする文化や社会における実際の言語活動を研究する言語態研究(社会言語学)へと分離発展することになる。

 自然科学的な方法は、
・反復可能な実験の場において、
・被験者テストにより再現可能な言語のメカニズムを捉えようとする。

 当然そのような自然科学的客観性を実現していくには、偶然的要素を捨象していく必要がある。
 すると、科学的抽象化それ自体がはらむコミュニケーション図式の社会性・歴史性が問われる。

 生成文法が扱うのは、
 ・単位を小さくし<文>を上限として、
 ・よりミクロな<句>構造規則の<必然性>あるいは<法則性>の問題である。

 社会言語学が扱うのは、
 ・よりマクロな<文>以上の言語単位としてディスクール(言説)であり、
 ・社会的・文化的・歴史的な<拘束と自由の問題>

 ...ということになる。

 

 生成文法と人間科学・社会科学諸理論との結びつきは、構造主義のそれよりも間接的である。

 ハーバーマス
 ヴィトゲンシュタインの「言語ゲーム」論を下敷きに、チョムスキーの「文法的能力」と、J.R.サール以降の語用論から得られる「コミュニケーション能力」とを区別した上で分節化し、「社会のコミュニケーション理論」の構想を1970年代に進めていく。

 フランス構造主義
 チョムスキー流の「デカルト派言語学」の理論-意味主義的合理性を越えた視点から、記号や言語に迫ろう理論が生まれる。

 J.クリステヴァ
「フェノ・テクスト/ジェノ・テクスト」...精神分析学的・生成記号論的な主体モデル。

 ジャック・デリダ
 シンタックスの「決定不可能性」の現れる地点から、チョムスキー流の理想化(「理想的な話者-聞き手」モデル)による「記号作用の階層化」を崩そうとする「ディコンストラクション」戦略。

 G.ドゥールズ/F.ガタリ
 「ツリー状」モデルによる言語・記号活動の公理化に対する、「リゾーム状」ネットワーク理論。

 ソシュール「ラングの記号学」の終焉

 ヴァンヴェニストは1969年「ラングの記号学」で、ソシュール「ラングの記号学」の終焉を宣言し、ディスクールを単位とした言語学および記号学への移行を提唱した。

 これは、「記号のシステム」の意味作用=「記号論的レヴェル」と、
 ディスクールの意味実現作用としての「意味論的レヴェル」と、

 ......二つの「意味活動=シニフィアン」の峻別の問題である。

 <ディスクール>とはこの場合、
 言語活動の主体が、個別の<いま、ここ、わたし>において、
 言語記号システムを現働化する出来事であり、
 <文>以上の言語実現単位として、離散的な記号に還元し得ない統合化した全体として成立し、
 世界への参照を伴う<意味>の経験の生成、に他ならない。

 こうして、ヴァンヴェニストのディスクール論的転回にともない、

 フーコーは同じ1969年に『知の考古学』を刊行し、自らの「ディスクール」の概念を明示化する。

 また、後期バルトや、J.デリダ派の<テクスト>論や<エクリチュール>論などが、いっせいに相互関連的に問い直されることになる。

 つまり、潜在的な「記号のシステム」ではなく、

・言語実現の出来事としての<ディスクール>と、その統御のシステム、
・「テクスト」や「エクリチュール」の<痕跡>としての戯れ、
・言語使用の行為・出来事としての<言語行為>の社会的ゲームなど、

 ...が、「ポスト構造主義」やハーバーマスらの批判理論において焦点化されるようになる。


 1969年に起こった以上の言語論的転回は、少し遅れて70年代なかばに本格的に波及してきたわけです。

 以上の歴史的状況を概観程度にでも把握していないと、『討議戦後詩』を充分には理解できないかと思う。

 ディスクールの言語主体は、個別の<いま、ここ、わたし>なのですね。

 けれども前回述べたように、言葉の芸術である<詩>を書いている大多数の我が国の作者は、
 <今はいつ?ここはどこ?わたしは誰?>という、無自覚な状態にある、といってよい。

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このページは、小林由典が2013年5月 7日 00:00に書いた記事です。

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