主体意識の変遷(2) 藤村/順三郎

自我について正面から扱おうとすれば主観と客観という二項対立二・律背反の論議に陥る。私の関心事は言語表現と作者・話者との関係であり、霊魂観をパラメータに自我の有り様をみていく。

 今回は近代的自我の萌芽期における島崎藤村の詩、それに続く時代の西脇順三郎の詩を取り上げてみたい。

 

     草  枕            島崎藤村

     夕波くらく啼く千鳥
     われは千鳥にあらねども
     心の羽をうちふりて
     さみしきかたに飛べるかな

     若き心の一筋に
     なぐさめもなくなげきわび
     胸の氷のむすぼれて
     とけて涙となりにけり

     (中略)
     
     身を朝雲にたとふれば
     ゆふべの雲の雨となり
     身を夕雨にたとふれば
     あしたの雨のかぜとなる

     されば落ち葉と身をなして
     風に吹かれて飄(ひるがえ)り
     朝の黄雲にともなはれ
     夜白河を超えてけり

     (後略)
     

 第一連では、
 第一行で、万葉集に取り上げられている千鳥を物寂しさの象徴として描写する。
 第二行で、「われ」「千鳥」と、主客分離を表白するも、「ども......」という反語的余韻を残し、
 第三行で、心の羽という喩で、現実の描写から、イメージの世界へと場を転換し、
 第四行で、千鳥の行く末と、心の行く末を「さみしきかた」と統合している。

 北川透は『詩的レトリック入門』のⅡ章 「余白論の試み」において、この部分を、......
 第一行は、千鳥の啼く風景の提示(客観)
 第二行は、私は千鳥でないという主観的表現
 第三行は、それを別次元でもう一度否定して、心が千鳥になるという飛躍、
 第四行は、景物としての千鳥と、心の千鳥とを解け合わせている(主観の客観化)

 ......であり、行かえは物語の展開をになっているのではなくて、
  客観 → 主観 → 主観の客観化といった、千鳥をめぐる観点の移動を可能にしているのだ

 ......と述べている。
 いささか、私の解釈とは違うようだ。
 北川透は、「余白論」として論じており、行かえによって観点の移動を可能にしているという結論を導くために、あるいはその例として幾分か牽強付会的にこの詩を引用しているように思う。

 私は最初の一行をみて、演歌的な「自己の感情投影的表現」を思い出しました。例に挙げたのは阿久悠作詞、藤圭子歌の『愛ある別れ』でしたね。

         夜空は暗く こころも暗く
         さみしい手と手重ねて 汽車に乗る

 この歌詞と 夕波くらく啼く千鳥......とを比べてみると、歌謡曲と浪漫主義詩人藤村との違いは明らかだね。

 一見似た表現ですけれど、両者の間には千里の径庭が横たわっている。
 阿久悠の表現はベタな感情投影であり、
 改行は、北川透的にいえば、たんに「物語の展開をになっているだけなのだ。

 それに対して、藤村の「草枕」では、一見客観描写にもみえるけれど、
 「夕波くらく」は、自己の感情投影的表現の手触りがするかと思う。
 この手触りは、本歌である柿本人麻呂の歌がもっている情感が反映されている、のでしょう。

 実は、この部分は、第四行の「さみしきかた」を導くための、縁語・類語として置かれているのだね。

 千鳥というのは河口付近の川や干潟の出来る海岸で多くみられる鳥であり、
 「夕波くらく」と描写すれば、陸側から水面に向かって千鳥を見ており、
 絵画(象)的にみれば、千鳥の背景となっており、
 象徴の意味としてみれば、行く末を暗示している。

 これは北川のいうように単に「風景を描写している」のではなく、
 まさに詩的レトリックとして、
 「さみしきかた」という言葉を導くために置かれていると考えるべきだ。

 そして「啼く千鳥」は、第三行の「心の羽」を導くために置かれているだろう。
 つまり、第一行は、第三行と第四行を導くために、類語・縁語を、
 あたかも囲碁の布石のように置いているのだね。

 そして、第二行目は反語的に、第一行と第三行・第四行を橋渡ししているわけだ......。
 要するに、

         夕波くらく こころもくらく
         さみしき想い いだいて 旅に出る

 ......というような歌謡曲的ベタな表現をすることを詩人の恥として
 高度に構成されたレトリック表現をしていることが、読み取れるはずだ。

 (阿久悠の表現がダメなのではなく、歌謡曲である以上大衆受けを前提とする限界がある、
 ......ということでしょう。大衆意識の内側で書くというのはこういうことだ。
 歌謡曲にするなら、上のように書いた方が、大衆の好む感情移入に訴える表現になるはず)

 この第三行目の喩は、吉本隆明が指摘したように、
 (場面の)転換の仕掛けとして使われているものだね。
 藤村的転換喩の、典型的な使い方だ。

 あらためて確認しておくと、
 (1) 自然物の描写に、内面世界的な表現の〈縁語類語〉を布石として置いて、
 (2) それを見ている私を対置させて行をつなぎ、
 (3) メタファーを場面転換に用いて、
 (4) 内部世界と外部描写を統合して弁証法的な止揚をはかる、
 ......ということになる。

 漢詩の絶句がもつ「起承転結」という古典的な形式であることは言うまでもない。

 この第一連を見ただけで、たいへん緻密で無駄な言葉が一つもない、
 伝統的な七五調の長歌を思わせる詩である、という印象を受ける。

 ついでに、もうひとつ引用したい。

      新  暁

     紅細くたなびける
     雲とならばやあけぼのの
              雲とならばや

     やみを出でては光ある
     空とならばやあけぼのの
              空とならばや

     春の光を彩れる
     水とならばやあけぼのの
              水とならばや

      
     (後略)

 
 前の詩で展開した「身を朝雲にたとふれば」や「されば落ち葉と身をなして」を受けて、
 この「新  暁」という詩は成立している。

 どちらの詩も、各連の内容は、それぞれの小テーマ、
 あるいは視点(観点)をもって独立性を示している。
 それらが、近接したりあるいは反転したりという関係性を保ちながら、
 全体的なテーマを表現しているという形になっている。

 これは吉増剛造の詩にみられるリゾーム型と同類であろうか?
 違うよね。
 形は似ている。
 けれど、意味するものは全然異なる。

 何が、ということを考えてみよう。
 藤村に限らず、萩原朔太郎でも西脇順三郎でも、こういうスタイルの詩は書いている。

        野原の夢          西脇順三郎
     

     われわれ近代人は
     甲州街道の犬のように青ざめていた
     アビシニアの野原へ
     ギリシャ人の桃源のハケを見に
     射たれた豹の腹の波打つ夢を
     走って......
     新しい悲しみを求めて
     アビュルト・アケという

     すっぱい酒を飲みにそれは
     ザクロの実とセリとニラを
     つきまぜた地獄の秋の香りがする
     アベベが曲がったところから
     左へ曲がって
     花や実をつけたニシキギや
     マサキのまがきをめぐって
     われわれは悲しみつづけた

     すべては亡びるために
     できているということは
     永遠の悲しみの悲しみだ

         (以下略)

 この詩の行開け改行は物語の展開からの必要性もなく、観点の移動というほどの意味もない。
 ただ単に、8行で行開け改行をするという機械的な法則性を置いているだけだ。
 それにしても、縦横無尽に詩的想像力が飛翔することに感嘆を禁じ得ないだろう。

 ......にもかかわらず、表現主体=話者は、アプリオリに固定的に措定されていて、
 まなざしだけが、サーチライトのように焦点を移動しているだけだといってよい。

 もう一度、藤村の詩 『新 暁』 に戻ってみよう。

 「雲とならばや」、「空とならばや」、「水とならばや」と、
 身をやつす表現とはなっているけれども、
 近代的な自我である「主観・客観」という、意識による(認識論的)主体
 ......は何も変わらずに保持されている。

 この構造は、前の「草枕」でも、〈われ〉と〈千鳥〉という、主客分離の二元論的認識の有り様は堅持されている。

 はからずも西脇順三郎が「われわれ近代人」といったように、近代的自我つまりデカルト的コギトの世界観である、といえばすべてがあてはまるのだ。
 この自我の有り様は今日でも創られている「古い現代詩」にまで、継続されてきたものだ。

 ただし、藤村的な自然物に対する自己感情移入的な感触が、古代的感性を感じさせるわけです。
 この詩は柿本人麻呂の有名な歌、

 「淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば心も萎ぬに古念ほゆ」
 (おうみのみ ゆうなみちどり ながなけば こころもしぬに いにしえおもほゆ)

 ......から来ているので、古風を帯びてくるのは当然ですけれど。

 詩的表現の時代背景を考えてみると、藤村の詩では、

 「起承転結」の4行一連で一段落をつけ、
 次の行では新たに「起承転結」を持ってくる。

 そうすることで、藤村以前の初期新体詩がもつ<物語性>から脱却するという意図がみえる。

 初期新体詩は、七五調の伝統的音数律によりながら、その短歌的収斂を克服するために、
 物語的展開を対置してみせた。
 けれども、七五調のリズムの繰り返しは、長い物語詩では単調のそしりを免れ得ない。

 そのような状況で、島崎藤村の『草 枕』は書かれている、ということだ。
 これはひとえに藤村の個性であるのではなく、
 「物語から詩的表現」へという時代的な要請が表現として反映されているものだ、といってよい......
...と、構造主義的に締めくくっておこう。

     「主体意識の変遷(3) 」吉増剛造part1 につづく

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このページは、小林由典が2012年6月 8日 23:38に書いた記事です。

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