主体意識の変遷(1) 西行

記紀歌謡から新体詩そして口語自由詩へ、言葉は変化していったが、それは事の端に過ぎない。言語論的には(表現)主体意識の転換がなされたと言うべきだ。西行、藤村、吉増と検討する。

北面の武士として宮仕えした西行は若くして出家するも、どこの寺社にも属さず、諸国遊行僧として漂泊の人生を送っている。そのような背景を考慮しないと、その歌は重みを得られないかもしれないところがある。

 願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ[続古今1527]

 西行の歌のなかでももっとも知られているものだろう。この花は梅なのか桜なのかと弁別するならば、桜狂いの西行ですから、ここでは桜ということになる。古くは中国文化の影響で、花といえば梅を指していたのだけれど、時代が下るにつれて桜がその位置を占めるようになったわけだね。

 それに関して古今集や新古今集で梅の花と桜の歌の数を調べたことがある。
 といっても、数を数えることが目的ではなくて、詠われかたの違いを分類出来ないか?といった興味から、ほとんど斜め読みで、気になった歌だけノートに書き留めたのだ。

 私が興味を惹かれたのは、花を愛であこがれいずる心が、また自分の肉体に戻る、とか戻らないとかいう、沖縄地方で言う「まぶい」のような、霊魂観の表現だった。

 それで、ノートを取りだして見てみると、三首の歌だけ手書きされていた。古いページを剥がして、メモ帳として再利用しようとしたので、他の歌を筆記した頁は捨ててしまったのかと思う。

 吉野山こずゑの花を見し日より心は身にもそはずなりにき
                            (山家集六六)

 あくがるゝこころはさても山桜ちりなむ後やみにかへるべき
                            (山家集六七)

 思へたゞ花の散りなむ木(こ)のもとに何をかげにて我身すみなむ
                            (山家集百十九)

 あらためて確認してみると、いずれも西行の歌だった。

 以前、私はこの(山家集六六)の歌を引き合いに出して、

 〈私〉を手のひらで隠したような、他人事のような表現の現代詩(一言では言えませんが)を、
 「近代的自我の欠落」した表現だと、辛口に批評したことがありました。

 それぞれの歌の意味は、

 ・吉野山で梢の桜を見た日からというもの、私の心はいつも身体から遊離しているような感じになってしまった。

 ・桜の花に心を奪われてこの身から(こころが)抜け出したけれども、いざ花が散った後、すんなりとかえってくるものだろうか

 ・いまひたすら思われることは、花の散った後に、寄る辺ないこの身は何を頼りにして、生きていけばよいのだろうか

 ......というくらいの意味だろう。
 これが、西行の歌だと知らなければ、
 このボケ貴族のふぬけ者!とでも、一喝入れているかもしれないな。  

 西行は桜狂いの歌人と言われていたようだけれど、近代的自我の持ち主からすれば、
 この歌そのものは、ふぬけと言われても仕方のない歌だなと思われかねない。

 けれども、これは、......
 平安時代から鎌倉時代における霊魂観の現れ(の一つ)であり、また
 世俗の人の歌ではなく、世捨て人(出家者)の歌だ、

 ......とすれば、様相は一変するだろう。

 しかも、西行は生臭坊主とは一線を画した修行僧にして歌人なのだね。

 すんなり言ってしまったけれど、実は
 「修行僧」に「歌人」とは、本質的に相容れないものではないか。

 俳句であるならば、両立は可能だ、といえば、意味がわかるだろう。

 事実、西行は出家をするにあたり、

    世を捨つる人はまことに捨つるかは 捨てぬ人をぞ捨つるとはいふ

 という歌を詠んだ。

 この歌は当時の仏門の世俗的な有り様を、図らずも浮き彫りにしていようか。
 歌の意味は、

 「悟りや救いを求める出家者は、真実にこの世を捨てているだろうか?
  出家ではなく、在家の仏教者こそ、じつは自分を捨てているのだ」

 というくらいの意味だね。仏陀の出家の時とは、全然様子が違う。
 なにごともほどほどの我が国の仏教の有り様と、インド的な徹底性と
 ......だいぶ違う、という感じがする。

 それにしても、......出家するに際してこのような歌を詠むという心境は、?という感じだね。
 要するに、出家はするけれど、本当の世捨て人にはなれないものだ、と本音を言っているのだ。

 実際、西行の歌風は出家者らしく率直質実を基調として、当初は実験的な新風歌人であり、
 (内面的な)感情を率直に吐露するものであった。
 だが、心の有り様をストーレートに吐露する歌人というのは、
 とても、五蘊皆空という仏陀の教えとは本来的に馴染みはしないはず。

 けれども、西行という人物を知れば知るほど、
 共感が深まっていくことに私は驚いているのも事実なのだね。

 というのは、これまで私の抱いていた西行像は、晩年に到達した西行の境地、
 芭蕉が憧憬した、隠棲者の研ぎ澄まされた閑寂の境地にある、世捨て人のそれ、......
 ......なのだったから。
 ところが、若い頃の西行は隠棲者などではなく、憂き世を漂泊している出家者という感じだ。

 西行はなぜ出家したのか、という理由についていくつかの契機が取りざたされているけど、
 そのひとつひとつが、分かるなーという感慨を禁じ得ないものがある。

 私も同じ問題について、同じようなことを感じていて、詩に表そうと考えているのですけれど、
 それには猥雑極まりない現実を描写しないとはじまらない。
 俗謡や小唄を好み、世俗に通じながら、気位が高い西行は、そこで葛藤を抱いただろう。
 色好みでハンサムだったので恋愛沙汰も少なくないのだけれど、知性と気品が邪魔をする。

 こういう人は、世俗に係わる精神的な葛藤が絶えず、出家遁世にあこがれるものの、
 その実、世俗的興味から離れることはできにくいものなのだね。

 ひとことで言えば、
 「世捨て人なので社会的野心や関心は希薄だけれど、世俗的興味は失っていない風雅の人」
 ......ということになろうか。
 矛盾のかたまりあるいは人間的というべきか......。

 先にあげた桜の歌三首は、そういった心境の人が詠んだものだと考慮すれば、なるほどなと理解しやすくなるはずだ。

 この歌を詠んだ時期の、西行の心境に想いを寄せてみると、戦前の「四季」派の詩人たちが脳裏に浮かんでこようか......。

 戦乱に向かいつつある時代背景があり ←→ (西行は平清盛と同い年の友だちだったのだ)
 そのような社会情勢に背を向けて自己の内面世界に退避するかのごとき表現のありよう、
 ......が、共通して読み取れる。

 しかし、それは今回のテーマではないね。
 もう一方の、霊魂観あるいは自我意識を考えているわけです。

 西行の例は短歌に詠まれた内容であり、
 当然のことながら話者(詠う人)と、それを筆記している作者という分離が、
 詩ほどではないにせよ存在している。
 詩は推敲を重ねるプロセスが歌に比して長いけれど、
 この歌は感興に即してごく自然に詠われた、という手触りを感じる。

 たとえば萩原朔太郎の短い詩と比較してみよう。

hikigaeru.gif
 朔太郎にしては小品の詩ですけれど、素直な意識の流れはなく、
 自分を蟾蜍に譬え、「お前の思想は白くけぶる。」と、明確に対象化している。

 そして、その「思想」とは、次の連で出てくる「霊魂」ということですね。
 第一連では「ぽうとふくらむ」、第2連では「ぽうと呼吸をすひこむ」と、
 「ぽうと」というのがキーワードとなり両者が像的な喩と意味的な喩であることが示されている。
 (読者に理解してもらおうという努力のあらわれでもあると、私は考えるね)

 さて、「蟾蜍」の場合、霊魂と言っているのは自らの思想的営為を意味している。
 つまり、時間をかけて(消抹され)思惟し格闘して、内的な世界(空間)が拡大される、と。
 でも、それは「夢の中で」という、想像力の世界の話だと、限定をしているものだ。

 それに比べると、西行の「あくがるゝこころ」というのは、
 自分の心でありながら、何かしら実体的(物象化的)な手触りを感じさせるだろう。

 これを琉球弧に伝わる「まぶい」と比べると、興味深いものがある。
 学生時代、アジア学会の友人一行が沖縄調査に行ったとき、ある港で船から上陸する際に、海に落ちた学生がいた。その時、島んちゅの方々から「まぶいを落とした」と言われたという。

 本人はきょとんとして、意味が分からなかったらしい。
 「まぶい」というのは、島んちゅの言葉で、霊魂(生き霊)のことだ。
 突発的なことに遭遇し、茫然自失したような場合に、「まぶいを落とす」という。

 ここで注意しておかなければいけないことは、例の「時-空志向変容」という考え方だ。

 事象を歴史的視点で捉えることと、現在的な空間の視点で捉えることと、
 両者の間にある矛盾の「距離感」、「誤差」というものをはっきりさせること、だったよね。

 西行の「あくがるゝこころ」は、多分に自覚的なものがあろうか、と。
 茫然自失というのではなく、......
 瞑想や禅定のときに、その導入として数息観という意識集中をするだろう。呼吸を数えるやつだ。

 禅や瞑想状態に入ると、手足など身体感覚が(限りなく)なくなり、
 あたかも幽体離脱のごとく自分を見たり、空中に浮遊したりする、......ような経験をするが......
 霊には声帯も口もないからしゃべれない、また眼球もないのだから見ることはできないはずだ
 ......と、考えれば一種の脳の幻覚作用、いや想像的視覚化作用、とでも。

 理屈を言っては味気ない結論しか導けないのだけれど、
 西行は桜の花に注意を集中するあまり、座禅三昧と同様の境地に至ったのだろうと思う。

 それに対して、まぶいを落としたり、抜けるというのは、伝承的知見の適用という手触りで、
 実践的な意味として「心の隙間に魔が入る」のを防ぐために、魂込み(まぶいぐみ)を行う、
 ......ということの方が大切になってくる。

 このマブイは落とした場所に一定程度の期間そこに留まるとされ、なるべく早くその場で、
 「まぶヤー、まぶヤー、うてぃ きみ そーり」
 (まぶいよ、まぶい、私の中に 戻って来て下されや)
 ......という呪文を3度唱える、という。

 まぶいを落としてから期間が空いてしまった場合などには、ユタに対応してもらうのだという。

 以上のことから解るように、両者の起源は中国の伝統医学あるいは、道教の魂魄概念から
来ていることが、推察される。

 前にも取り上げたかと思いますが、
 「魂」は精神領域に係わるものであり、天に昇っていくもの、
 「魄」は肉体に係わるものとされ、地に留まるもの、
 ......という区別がある。

 まぶいはこの区別からいうと、「魄」の方であり、
 「あくがるゝこころ」はどちらかといえば「魂」の方かな、という若干の差異がみとめられようか。
 そして、ついでながら朔太郎の「霊魂」は明瞭に「魂」であるといってよい。

 この霊魂観の微妙な違いは、とりもなおさず自我意識の差異を意味しているだろう。

 西行の自我はどちらかと言えば<自然感性>的自我であり、萩原朔太郎のそれは<近代的>(=非自然的)自我の言語表現である、といってよい。

     「主体意識の変遷」(2) 藤村/順三郎、につづく

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://mediaxross.net/xnt/xzx/mt-tb.cgi/37

コメントする

この記事について

このページは、小林由典が2012年6月 1日 23:21に書いた記事です。

ひとつ前の記事は「庭木を切り倒してシュペルヴィエルを思う」です。

次の記事は「主体意識の変遷(2) 藤村/順三郎」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

カテゴリ別記事一覧

アーカイブ

OpenID対応しています OpenIDについて