弱者犠牲で成り立つ人間社会(2)

身辺雑事のことにしか興味のない人間が激増している。現在の社会状況の反映だ。同様に、今日では自分のことにしか興味がないという四畳半詩を書いている人も少なくない。

 

 朝、起きて電気をつければ、原発による電力供給の問題に連なることになる。
 洗顔をすれば、水問題に連なることになる。八ッ場ダムの問題は首都圏だけの問題ではない。
 石油ストーブや自動車を利用すれば、原油に関わる世界中のもろもろの問題に連なるだろう。
 食事の支度をすれば、誰でも放射能汚染問題を意識するだろう。私は田舎暮らしを求めてこの地に居住しているけれど、庭のタケノコや梅、イチジク、柿や桑の実、タラの芽や山ウド、豊富なセリ、ゲンノショウコやドクダミ、カキドウシ、ヨモギ、キランソウなどの薬草類が、全く無縁なものとなってしまった。

 自らの問題を契機にして他者への想像力を広げていかねば、持続的な関心をもつことは難しいのだろうと思う。

 けれども今日では、わたしたちが「世界」というとき、それは否応なしに地球の隅々とまで連なりを持った「私」の世界のことになるのだ。
 考えなければならない事はいくらでもある。コミットし、アンガージュしていくべきことは限りなくある。

 そのような事実から目をそむけ、いや何の興味も関心もなく、
 自分だけの世界で悩んだり喜んだりしているオタク化現象は、若者ばかりではなく、
 じつに熟年世代にまで広範囲に及んでいるようだ。

 社会的な無関心は、弱者犠牲社会をますます増長させるだろう。
 身勝手な自己中的生活態度は、社会において小さな弱者犠牲を蔓延させるだろう。

 人間性というものは、大昔から少しも向上していないという認識は、ひどく無力感をいだかせる。
 いやむしろ、退歩しているのかもしれない。
 なぜならば、人間性とは遺伝などではなく、幼児期の育ち方にあるからだ。一世、一代のものだと。

 今日のように、
 子育て期に父親は社畜となって働かざるを得ず、
 母親は孤独な子育てで悩み、
 あるいは母親の過剰な干渉によって、その娘たる母親が母親になりきれなかったり、
 ......と、育児環境に問題が多くては、人間性優れた大人になっていくことはあまり期待できないのだろう。

 しかし、人間性を高めることにしか(人間)社会問題の解決の道はないということを認識して、
 三つ子の魂を高めることのできる環境を整えれば、人間の品格というものは必ず高まるものだ。

 IQ高官を偏重する、非民主主義・官僚支配国家日本では、前途は多難だね。

 まあ、悲観せず、先達のアドバイスを心にとどめて、自閉的思考を言語で解体していくべきなのだろう。

ayukawa01.gif 晩年の鮎川信夫は、ずいぶんとモラリストになったのだね。
 論理的に追求しすぎず、かといって安っぽいヒューマニズムではなく、もちろん感情論には堕しない。

 私としては、鈴木志郎康の発言の方が(別の話なのだけど)そうだよなと、共感するものがある。

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このページは、小林由典が2012年3月 1日 00:06に書いた記事です。

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