戦後詩から、その意味(5) 荒地派の出発点

日本の現代詩は第二次大戦をくぐり抜けることによって、詩的想像の世界が、社会的土壌から隔絶するほど強固である詩を持たなかったことが露呈した。この認識は、今日でも表現者を脅かす。

 今回も「戦後詩史論」と「抒情の論理」から、要約を掲載する。

 「それが俺となんの関わりがあろう? 紅の戦旗が」(安西均「新古今集断想」)とうそぶいて、
 個我意識の極限をつきつめようとした一人の詩人をも、もたなかったことをはっきりさせた。

 戦後詩人の出現こそ、
 戦争の体験が日本の現代詩の詩的想像力に何を加えたかを示す、
 新しい指標だった。

 戦後詩人たちは、
 まったき開放感を持ちえなかった点で共通であるにもかかわらず、
 その挫折感は必ずしも同質ではなかった。

 鮎川信夫は「祖国なき精神」のなかでこうかいている。

  日本には中途半端なところから始めてよいものなど一つもないのである。
  すべてのものを徹底的に第一歩から築いてゆかなければならない。
  焼け残ったものは焼き払うべきである。
  すべて灰燼の中から始めるべきだ。
  われわれの詩を書く出発点は、すくなくともそういうものである。
  (中略)

  鎖はたち切らなければならぬ。
  「詩人とはなすべき何事も持たず、なすべき何事かを発見する人間である」
  ...というソローの言葉は、詩人の本性を巧みに言い当てている。

 あたかも、鮎川のこういう敗戦のうけとりかたは、宣言ででもあるかのように荒地派の詩人たちによって、詩的想像の問題に転化された。
 

 鮎川にせよ、田村隆一にせよ、戦前はモダニズム詩の流れを汲む若き詩人であったのだ。
 彼らは、戦争体験を通過した後、
 それぞれの挫折感を根底に、
 それぞれの詩的想像の世界を構築していく

 まず始めに、戦前の詩の潮流が、戦後どのように受け継がれていったのかを見てみよう。

 モダニズム詩 → 「荒地」グループ
 プロレタリア詩 → 「列島」グループ
 四季派の叙情詩 → 「第三期の詩人群」

 戦後詩は、戦争の悲惨な体験を内部の課題としてうけとめた世代の詩人たちによって、
 戦前の現代詩の欠陥を、
 コトバの芸術性と、意味の文学性の両面から克服すべき課題を強いられて、
 出発した
ということができる。

 系譜からみれば、
 「詩と詩論」、「新領土」とひきつがれてかろうじて昭和十年代をくぐったモダニズム詩から、
 戦後の「荒地」は生まれた。 (...詩詩「荒地」は戦前すでに刊行されている、ので。)

 中野重治、小熊秀雄、小野十三郎、岡本潤、坪井繁治などの影響下に戦争をくぐった世代から、
 戦後の「列島」は生まれた。

 1950年(昭和25)、朝鮮戦争後、戦後資本主義が総体的安定期に入り、戦後革命運動が敗北の兆候をはっきろさせた時期を前後して、四季派の叙情詩の影響下に、
 第三期の詩人群が自己形成をとげてあらわれた。

 言うまでもなく、吉本隆明のこの分類は大きなくくりであって、それこそ一人一人みな独自の詩境を形成しているわけだけれど、あくまでも原理的に考えると、上のように大別できるということだ。
 

 「荒地」グループのなかでも、
 鮎川信夫、田村隆一、中桐雅夫、三好豊一郎、木原孝一などの
 倫理的な意想と、極度に内部的な現実批判と、

 北村太郎、黒田三郎などの、 内閉的な詩意識と、

 野口理一などの、特異なレトリックのあいだに差異があるが、

 全体として
 モダニズム詩のコトバの芸術性を転倒して、詩を意味の文学として再生させたところに、
 (荒地派としての)特長をみとめることができる。
 (「意味の文学」の意味とは、単に辞書的な「意味」ということではなく、「思想性」ということだ)

 言いかえれば
 モダニズム詩がかえりみなかった内部世界と現実とのかかわる領域を、
 詩の表現の中に徹底的に導いた
、と。

 このグループによって技術よりも態度を、形式よりも内容を、と主張されたのは、
 詩をコトバの芸術から意味の文学へ移し替えようとする意企のあらわれであった。
 モダニズム詩が陥った
 ・内面性の欠如
 ・無思想性
 ...を克服する血路をここに求めたのであった

 荒地」派の詩
 メタファー(隠喩)を極度に使用して、抽象的な観念の告白に陥ることを防ぎながら、
 即物的な表現でなければ詩ではない、というような従来の詩概念(具体詩)からすれば、
 詩の領域を逸脱するのではないかと思われるほど、表現領域は拡大されている。

 「日本の詩が如何にして思想性をもちうるか」という、
 (蒲原有明、薄田泣菫ら)後期印象派以来の課題は、ここではじめてその一歩を踏み出している。

 たぶん、日本のコトバの非論理性と多義性によるのだが、
 近代詩の表現は、ポエジイを成立させようとすれば、
 具体的な形象にたくして内部世界を参入させてゆくより外なく、
 そこでは、
 詩の創作といえば
 ・外部の形象にたいして感覚をとぎすますとか、
 ・物珍しいレトリックを案出するとか、
 ・視覚をみがくとか
 ...等々の「芸」の特殊な追求の別名に外ならざるをえない。

 そして、詩人が全人格的な意味で、
 内部世界の問題を詩の表現によってつきつめようとすれば、
 観念的な空語に終わらざるを得ない。(有明や泣菫の詩業がその典型である)

 こうした日本近代詩の根本的な空白は、昭和初年に克服されるべき機会をもったのだが、
 モダニズム詩とプロレタリア詩は、
 詩人の主体的な世界の意味を無視することによって、
 詩の持っている「コトバの芸術性」と「意味の文学性」を、
 極端に引き裂いて終わったのである。

 「荒地」グループが、モダニズムを継承しながら、
 もっとも反モダニズム的な態度に傾いたのは、

 一方で
 ・日本の日常語格を避け
 ・コトバを論理的、一義的に使って、
 ...モダニズム詩のコトバの芸術性に内面的な意味を与え、

 他方で
 ・内部世界と外部世界とのかかわりあいを、
 ・現実批判、文明批判として
 ...詩の表現に繰り込もうとしたからであった。

 したがって、モダニズムと対象的な位置を占めていた
 プロレタリア詩が提起した「政治的意味」と「芸術的意味」の二元性の問題は
 「荒地」においては、
 コトバの芸術性と意味の文学性の両面から
 内部世界の現実批判性に一元化
されている、

 ...と、考えることができる。

 1950年以後に、このグループの主動的な詩人鮎川信夫が...
 ・旧態依然とした「主題の積極性」論者や、
 ・俗流政治主義者と論戦を交え、
 また、
 ・戦前派の現代詩人に対して、
 「死の灰」詩集や戦争詩をめぐって批判を加える一方、

 「第三期の詩人」の批判に応酬したのは、
 そういう地点に立脚したものだ、ということができる。

 
 ようやく、「荒地」派の出発点までたどり着いた。
 これは、すなわち私が1969年に田村隆一の詩と出会った、ことの意味であった、と。

 その後、吉増剛造や鈴木志郎康、天沢退二郎、渡辺武信らの60年代詩人たちの方にも惹かれて、
 再びコトバの芸術と意味の文学との綱引きのなかで、ソシュール言語学から影響を受けた音韻詩にも参入していくことになる。

 その経緯については、いずれ触れることにして、次回は「列島」と「第三期の詩人」群についてふれる。

 「戦後詩から、その意味(6)列島、第三期の詩人たち」に続く

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このページは、小林由典が2012年1月 4日 23:49に書いた記事です。

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