戦後詩から、その意味(4) 戦後詩の状況

社会が高度に発展するほど、大衆意識の中に潜んでいる自然的感性は疎外されてゆく。
「癒し」を求めたがる人々の気持ちの根底には、現実逃避と表裏一体の自然回帰願望が潜むのだろう。

 

 中原中也、立原道造、三好達治ら四季派の詩は、そのような大衆に受け入れられる要素を持っている。
 それは単に大衆性というだけでなく、「不易」とみえる詩的要素を含むからだ。

 戦争期の詩人の動向については、本稿の目的ではないので取り上げない。
 戦後詩の出発について、もっとも大きな役割を担った荒地派と、戦前の主要な勢力であった四季派と、
 その対極的な思想と方法論を「戦後詩の体験」(『戦後詩史論』所収)を底本に、みていきたい。

 前回、古代から今の詩にいたるまで優勢遺伝的に継承されている日本的自然感性
 これを吉本隆明は「自然の階調に同化するところの感性」と表現している。
 そのような感性は、戦争によって根こそぎ疑うことを強いられた戦後詩では霧散してしまった、と。

 吉本は田村隆一の「悪い比喩」 を取り上げて、四季派と対照させてみせる。

 蒼白い商業と菫色の重工業は
 朔太郎の叙情詩で終わってしまったが

 戦争から帰ってきた青年たちは
 砂漠と氷河の詩を歌ったっけ

 むろん かれらだって
 砂漠で戦ったこともなければ

 氷河を見てきたわけでもない
 仲間が死んだのは南の海だ

 砂漠も氷河も悪い比喩だ
 比喩は死んで死陰喩になったけれど

 (以下、略)

 
自然の階調とは、『悪い比喩』でいってみれば、
 樹木の枝振りの曲線があれば、その曲線をそのまま美と感じ、
 草花や気象はそのままに美と感じ、
 政治制度や戦乱や日常生活に(ついて)はそのままの在り方、
 つまり自然性を美と感ずる感性が虚構したものを指している。

 それ以外の感性的な世界は、対象の向こう側に無眼に吸収されてしまうことができる。

 たんに景物や事象だけではなく、観念の動きについても、
 初発の自然性にすべてをゆだねてしまうものを、無意識に表現している。

 ここに(「四季」派の大衆性の核があるようにみえる。

 こういった意味からすると、戦後詩のもとにある核心は、逆に現在性ということで、
 現在に生きている人々が感ずるだろう無意識に、
 あるいは理屈はつけられないが漠然と感じている不安とか苦しみとか、
 あるいはある意味での喜びであるとか、
 そういうものを鋭敏な形で象徴している点にあるのかもしれぬ。

 これら「四季」派の詩が愛誦、愛読されている仕方が詩の優れている標識になると考えてみると、
 逆に一つの疑念を生じる。
 これらの詩にはたしかに詩的なものはこういう感性だという通念に働きかける要素は含まれている。
 しかしその中に、詩として現在的なもの、
 現在に生きているものが現在に対して精一杯これを感性的に受け入れ、
 感性的に苦闘し、そして感性的にこれを思い悩み、という要素があるかどうかを突き詰めてゆけば、
 ...希薄な部分でしかそれは存在しないのではないか。

 そうすると、これら(四季派)の詩が何を切り捨て、何を詩的なものとして考えたかは明瞭で、
 自己自身の感性ないしは感受性に、あらかじめ枠組みをこしらえ、それを巧みに書き続ければ、
 ...詩の本質が得られる、と考えた形跡がある。

 しかし、これはたいへんな思い違いに属する。
 人生百年たらずの一時代を生き、呼吸し、そして死んでしまう、
 そういう同時代、つまり現在を精一杯感じ、思い悩み、もがききってゆく生きざまからすれば、

 「四季」派の詩は、最小限度でしかそれを感性の課題としていなかった。
 その意味では、詩(というものが求める)の、ある決定的な要素を欠いていた、と。

 先鋭的な感性を持つ詩人が現在の生を精一杯生きることにおいて、
 当然感じなければならない多くの困難や悩み、様々な問題、
 それはとりもなおさず現在における多くの人々が、無意識で感じているものであり、
 (このような)詩人はそれらを先鋭的な形で呈出していくことになる。

 そういう詩人たちの存在は、同時期の多くの人々に受け入れられるとか、
 それらの詩が多くの人々に流布されるということにはならない。
 これは、問題意識の先鋭さにかかわるとおもう。

 詩において、根強く底に潜んでいる自然的感性は価値あるものの核に外ならないが、
 どんな詩人も大なり小なりそこから逸れ、
 詩において永続的なものを犠牲にして、現在的なものに固執せざるを得ない。

 これが、詩を書く行為の中に当然不可避に起こってくる問題であろう

 そう考えれば大衆性のない戦後詩人とは、詩において大衆性自体を先鋭に実現しようと試みているものを指している。
 

 現在においても、「楽しみで」詩を書いている人たちの詩の大多数は四季派の叙情詩の雛形であり、
 ごく少数がプロレタリア詩系統、そしてモダニズム詩系統が異彩を放っているという状況だといえる。

 歴史的な位置づけをするなら、ほとんど戦前詩の段階で止まっているのだね。
 そして、四季派的抒情は、手を変え品を変え後を絶たなく発生してくる。
 ある意味で「永遠」なのだといってよい。
 あくまでも、徒花(あだばな)という現象において、だけれども。
 
 
 「戦後詩から、その意味(5) 荒地派の出発点」に続く

 

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このページは、小林由典が2012年1月 3日 18:16に書いた記事です。

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