戦後詩、その意味(2)モダニズム&プロレタリア詩

前回の年表はきわめて不完全なものだが、堀口大学や上田敏らによって少しずつ紹介されてきた西洋詩は、昭和初期のモダニズムによって一気に多様な展開をみせた事が分かる。

 さて、詩はコトバの芸術であるべきか、意味や思想性を第一義におくか、という問題ですが...
 吉本隆明はマルキシズムの弁証法的唯物論を基本において、この問題を論じている。

社会的な現実は、

 詩にとって単に素材や風俗感覚の材料であるか(モダニズム詩)、
 内部意識によって再構成されるべき意味であるか(プロレタリア詩)
 ...によって社会的な現実の変化が詩運動に与える影響の仕方はちがってこなければならぬ」として、
 ほぼ同時期に最盛期を迎えたモダニズム詩とプロレタリア詩について、
 その変遷と消滅を、日本資本主義の発展段階と結びつけて分析をした。

 方法論的には南島論と同様、双方の間にある構造的な差異、近似、対応などの関係を解明すること。
 モダニズムと同様、プロレタリア詩も多種多様であったが、ここでは詳しくは取り上げない。
 結論的なことを大ざっぱに述べておく。

 ソ連コミンテルンの影響下にあった日本共産党の政治運動からの下達という形での圧力を受けて、
 詩人が内部世界を未熟なまま脇に置いて、革命という積極的な主題に活路を見いだそうとした、と。
 つまり、文学的な意味性と政治的な意味とが、どのように係わり、どれほど異なるのか?
 解明することは、思想的にも詩作品としてもほとんど何もなされなかった。

もしも、詩人が内部的な主体を確立し、論理化してゆく過程が、
 外部的な現実を論理化してゆく過程と対応するとかんがえうるならば、
 詩の文学的意味と政治的な意味とは、
 内部において統一的につかまえられる可能性があった

 ...とみなければいけない」と、吉本は断じる。

 モダニズムは、詩をコトバの芸術として、
 詩人の内部世界と現実世界とのかかわりあいの意味を捨てる方向に突き進んだ。
 その結果、昭和8、9年の社会情勢の変化により色あせて、
 その詩世界は、当時の都市庶民の生活情緒の意味づけにまで退化することになる。

 社会主義レアリズムは、政治の優位性にひきまわされ、
 文学的意味と政治的意味との末分化な矛盾、同居のまま、
 主題の積極性と政治的情緒とのあいまいな混合物を呈出した。
 プロレタリア詩は下層民の生活意識を情緒的に表現する道が残されただけであった。
 
 -----------------------------------
 参考までに、昭和8、9年の我が国を緊張させた状況を記しておこう。

 1927年(昭和2) 「日本問題に関する決議」がコミンテルンで採択(27年テーゼ)
 1931年(昭和6)  満州事変勃発
 1932年(昭和7)  コミンテルン「日本問題について」のテーゼ発表(32年テーゼ)
 1933年(昭和8)1月   ヒトラー内閣成立(ナチス・ドイツ)
 1934年(昭和9)9月  ソ連が国際連盟に加盟

 (コミンテルン=共産主義の国際組織、当時の日本共産党はコミンテルン日本支部であった)
 「資本主義攻勢反対の一国的及び国際的統一戦線及び人民戦線の徹底的展開、
  共産主義化の攻撃目標を主として日本、ドイツ、ポーランドに選定、
  日本を中心とする共産主義化のために中国を重用すること」
 -----------------------------------

 ソシュール言語学を持ち出すまでもなく、
 詩の言語表現は意味的な領域と、感覚的領域を併せ持つ。
 これは表裏一体のものであり、本来的にどちらかだけを使うというわけにはいかない。
 
 意味だけを追求するならば、定義から始まる哲学的厳密さには及ばないし、芸術性に乏しい痩せた表現となる。
 感覚的側面だけを追求すれば、極楽とんぼの世界となり、精神病理的内閉に突き進むだけだ。

 両極端は詩的実験として、ダダ的破壊(既製の権威破壊)や、ことば遊び的な意義はあるだろう。
 どちらに比重がかかるかは、ひとえに詩人の社会認識あるいは世界観のありようにかかわってくる。

 私たちが見るべきなのは、
 詩人の世界観と社会認識が、言語表現にどのように表れているかであり、
 それが意味的にも芸術的にも優れた表現となりえているか、ということになる。

 レトリックばかり職人技をみせるが、内容空疎でお粗末としか言えない詩は平和ぼけの産物でしかない。
 思想的に追求するあまり味も素っ気もない詩などは、言葉の定義からはじめて論文として書けばいい。

 詩を書く者は、自らの「詩意識の内部的なリアリティ」を、いかに優れた言語表現として定着・表現するか、
 ということに本質的な意味を見いださねばならないのだろう。

 こうしてモダニズム詩と、その対立的路線を歩んだプロレタリア詩が衰退した後に、『四季』が創刊され、四季派の叙情詩といわれる詩が現代詩の主流を占めていくことになる。

 「戦後詩から、その意味(3) 四季派への道」に続く

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://mediaxross.net/xnt/xzx/mt-tb.cgi/129

コメントする

この記事について

このページは、小林由典が2012年1月 1日 13:55に書いた記事です。

ひとつ前の記事は「戦後詩から、その意味(1) 戦前詩の潮流」です。

次の記事は「戦後詩から、その意味(3)四季派への道」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

カテゴリ別記事一覧

アーカイブ

OpenID対応しています OpenIDについて