詩人ロープシン:サヴィンコフ...テロリストの魂

帝政ロシア末期の詩人ロープシン。運命に翻弄され旧約聖書「ヨハネの黙示録」に啓示をうけたテロリスト、サヴィンコフその人であり、己の魂を回復するために書き残した懺悔の言葉...。

ロープシン エセーニンより16歳ほど年長のロープシン(=サヴィンコフ)は、ポーランドの首都ワルシャワで判事の息子として生まれる。
 エセーニンのような貧農の出ではなく、毛色的には対象的なところがある。 (ロープシンはペンネーム)
・一身を革命に捧げる覚悟と、
・頑強な身体と、
・人を引き込む催眠術的なまなざしをもち、
・ねばり強く
・周囲を圧倒する意志の持ち主
 
 ...だと、当時の警察の調書にあるという。
 どこか、プーチン大統領に似ている...

簡単に年譜を追っておきたい。
1879年(明治12)   ポーランド生まれ。 ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」を順次発表。
1897年(明治30) 18歳 ペテルブルグ大学入学 レーニン「ロシアにおける資本主義の発達」
                トルストイ「芸術とは何か」
1898年(明治31) 19歳 社会民主党(後の共産党)第一回大会
1902年(明治35) 23歳 社会民主派グループに関係し、ヴォログダへ追放処分を受ける
                 ゴーリキー『どん底』
1903年(明治36) 24歳 社会革命党エス・エル入党 テロ活動参加 ジュネーヴに脱出。戦闘団
                総指揮者アゼーフに紹介さる。ペテルブルグでプレーヴェ内相暗殺計画
1904年(明治37) 25歳 サヴィンコフ指揮で、プレーヴェ内相暗殺 日露戦争勃発
1905年(明治38) 26歳 セルゲイ大公暗殺 ガポン司祭主導の請願運動で「血の日曜日」事件
                バルチック艦隊対馬沖で惨敗
1906年(明治39) 27歳 モスクワ提督、ペテルブルグ市長、新内相、海軍提督、キエフ総督暗殺
                未遂。アゼーフと対立、海軍大将暗殺未遂。逮捕・投獄、海外脱出
1907年(明治40) 28歳 パリに滞在
1908年(明治41) 29歳 肯定暗殺に加わり失敗。アゼーフが警察とエス・エルの二重スパイ嫌疑
                『テロリストの回想』を雑誌に発表する。
1909年(明治42) 30歳 ロープシンの筆名で『蒼ざめた馬』発表 
                未来派誕生(マヤコフスキー、パステルナーク、エセーニンら)

 ようやく、前回のエセーニンと地続きになったようだ。

ギロチン ロープシンの詩は「ヨハネの黙示録」などと深く結びついているために、いたる箇所で(注)をつけないと、深い意味が理解できない。
 彼はカトリック教国のポーランド生まれで、隣国のリトアニアで育ち、ペテルブルグでロシア正教に触れることになる。
 そのような素養のない日本人には分かりにくいものがあるので、2つほど、短く分かりやすい詩をまず紹介する。

  毎日 ぼくは処刑される
  毎日 ふたりの紳士が
  流行おくれのフロックコートで
  ぼくの客として来る。

 歴史に名を刻むような人たちを暗殺してきた記憶は、サヴィンコフを苛(さいな)む。
 それは昼日中であれ、ことに夜ともなると...。

 ふたりの紳士とは誰のことだろうか?

 少年時代の友だちで、一緒にエス・エルに入った詩人のカリャーエフ?

 彼が爆弾を投げてセルゲイ大公を暗殺したのだけれど、最初の時は大公の他、大公婦人と、甥の子供が乗っているのを見て、投弾をしなかった。無辜の婦女子だったから、と。
 二度目の暗殺実行後、彼は現場から逃げずに逮捕され、後に死刑に処せられた。


 もう一人は、サヴィンコフが信頼していた総指揮者のアゼーフだろうか?
 二重スパイとして、サヴィンコフをも操っていた男であったが、
 サヴィンコフは同志とともにパリで彼を査問したとき、意図的にか彼を見逃している。

 アゼーフもサヴィンコフを警察に密告することはなかった手前、そうしたのだろう。

 サヴィンコフ自身も、二重スパイにでもならなければ帝政ロシアを解体し、
 エスエルを武装蜂起させることは叶わない、と理解を示していたようだ。

 そのような人たちの名前は詩集には出てこないけれど、
 『テロリスト群像』では多くの人々が登場してくるのだ。

 詩ではあたかも彼らの魂が不気味な塊となり、影となり、暗い記憶と共にロープシンを悩ませる。

  ふむ それがどうした
  ぼくはいま 一杯の酒を呑みほそう...
  刑場にしょっ引いてゆくなら行け

 「ぼく」という語感はテロリストにはふさわしくないだろう。
 サヴィンコフは実に剛胆な人間でもあったようだ。

 帝政ロシアが崩壊後、革命のヘゲモニー争いは
 レーニン率いるボルシェヴィキ(赤軍)と
 ケレンスキー首相やコルニーロフ将軍らのメンシェヴィキ(白軍)との争いになる。

 ペテルブルグ臨時総督だったサヴィンコフはケレンスキーとともに赤軍と対峙することになった。

 やがて、主導権を握ったソ連新政権は、サヴィンコフを重要反革命分子として、
 計略をもってロシア国内におびき寄せる。レーニンもこれを容認したという。
 アジトで朝食をとっている時、待ち構えていた赤軍兵士たちに踏み込まれ、包囲された。

 この時、サヴィンコフは少しも動ぜず、
 「ふん、やるじゃないか!        (訳文では「おみごとでした...」)
  で、朝食を続けてもよいかね?」    (訳文は「朝食は続けさせていただけますか?」)
 ...と言ったと記録されている。

 ある程度、覚悟をしていたのだろう。

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 これは通常の幻覚というわけではないだろう。
 体調不良を訴えて、パリにいた頃、ロープシンもまたご多分に漏れず酒浸りだったのだ。
 
 剛胆であったけれど荒くれでなく、繊細さを併せ持つ矛盾だらけのテロリスト・詩人なのだね。
 酔っ払って乱痴気騒ぎや喧嘩などで気を紛らしていても、
 たとえば洗面所で水道の蛇口をひねろうとして、ふと鏡に写る己の顔を見るだろう。

 とたんに自分は引き裂かれて、鏡の向こうの人物は陰鬱で獲物を狙う獣のような目つき。
 ああ、この目つき! やめろ!と、叫びたくなるのだ、と。

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 「ヨハネ黙示録」を知らないと、元の意味が分からない。私も、分からん。
 不届き千万なので、訳者注を一部添えておきたい。

三韻句とは、それぞれが三行詩からなる、ロシア詩の形式。
     ロシア語は自由な語順によるリズム、抑揚、強弱をもち、韻文の形式が多様で複雑。

巻物...「ヨハネ黙示録」に出てくる巻物に対応。
     自分の過去の出来事が刻まれており、鏡を見るように、自分の過去を振り返る。
     黙示録では、神の生け贄になった者(=イエス)だけが封印を解くことができ、
     ひとつずつ解いてゆくと「白い馬、赤い馬、黒い馬、青い馬...」などが現れ出、
     信仰を持たない者たちに災害をもたらす...。

杖で扉をたたく...旧約聖書イザヤ書から。これを用いる側からすれば「正義」の武器だと。

召されずとも...自分の暗殺行為は「ヨハネ黙示録」の確信犯でありそれが過ちであったとしても
 せめて呼ばれはしなかったか?...苛烈なロシア帝政を揺るがす歴史的な使命を果たした、 
          ...とはいえないだろうか?でなければ、自分は何のためにこうして生きている!

宝石...聖書に多い言葉。宝石の指輪を大海に投げ捨てる行為は「新しいエルサレム」を拒否する
     ことであり、同時に自分の肉体をなげうって信念の実行に邁進することでもあった。
負かされ、虜囚となった勝利者...サヴィンコフのテロルの軌跡をたどれば、こうなるのだろう。

 最初に述べたように、ロープシンの詩は文芸的なものではない。生前には発表されなかった。
 詩を十分に学ぶ時間もなければ、推敲する時間もほとんど無かった行為者の、心底からの叫びだといってよい。

1924年 逮捕・投獄され、軍事法廷で死刑を求刑されるも、特赦により禁錮10年の刑に処せられる。
1925年 拘置所の五階から投身自殺をする。
1931年 南フランスのニースで、パリ時代のギッピウスらにより『ロープシン遺稿詩集』出版される。

 今回の詩は、その遺稿集の訳本から選ばせて頂いた。

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このページは、小林由典が2012年1月14日 23:28に書いた記事です。

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