社会的無関心&内向きな詩群(1)

地方文化詩とでもいう詩群に一様にみられる社会的視点の曖昧さ、あるいは思想性の希薄さ、あるいは内面的世界の薄弱さという特長は、歴史的遺制と現代的状況と、両方の要素がある。

 言葉を変えて言ってはみたが、実はみな同じ事の現れ方の違いでしかない。
 これらの詩を読みながら、私がいつも感じるのは、
この作者は、詩を書くに至る根源的なモチベーションを持っているのだろうか?
 ...という疑問だね。
 
 もちろん、どなたも当然ながら、自分なりのモチベーションを持っているのだ!と、声高に応えるだろう。

 けれども、その自分なりの内容を突き詰めていくと、

 たとえば女優さんが立原道造の詩集を持ち歩いてみせるのと、五十歩百歩であったり、
 たとえば金子みすゞの詩を読んで、これくらいなら自分でも書けると勘違いした結果であったり、
 たとえば短歌や俳句に手を染め、そこからはみ出すものを感じて、現代詩に入ってきたり、

 ...というような理由にほぼ納まってしまうのではないだろうか。

 戦後詩が前提としている内面的な世界というのは、ただ単に「対自的」な世界を意味するのではなく、
 その人の内面性が、外的な現実と鋭く対立する、という逆立性を明確に意識した世界を意味している。

 これはある意味で宗教の考え方と同根の部分があるだろう。

 人間社会はけっして共存共栄などではなく、
 必ず貧困であったり、抑圧されたり差別されたり、疎外されたりする、

 ...不公平な現実が存在するのだ。

 そういうものに対して、

 念仏をとなえれば極楽浄土にいける、
 神に帰依すれば天国の門は開かれる、

 ...と宗教は説く。

 吉本隆明は、聖書を読んで、

「現実の世界では、弱者であり、また貧しいものであり、召使いとか抑圧されたものであること、
 ...が、観念の世界で大なるものである」という思想を見いだした、という。

 つまり、そのような抑圧された弱者でも、観念の世界に身を移してゆけば、
 ...そこでは、無限に拡がった可能性があることを示唆している、と。

 私はカギっ子であった保育園の頃に、父親に与えられた辞典的大きさの昔話や童話が網羅された書物の中に、自分の居場所を見いだしていた。
 それは座右の書という以上に、保育園児なのにその本を持って通園し、みんなから離れて読んでいた。

 保育士の先生たちはお遊技の時間なのに、私が加わろうとしないので、何とか加わらせようとする。
 私は大声をあげて、嫌だ!と言う。
 人差し指を両頬に当てて、かかとを前に出してポンと床をつく「かわいいポース」をするお遊戯が、心底から嫌だった。
 父親から虐げられていると感じている自分が、かわいいはずがないと思っていたからね。

 ある先生は個別保育の必要性を感じてか、絵本を持ってきて一緒に見ましょうと懐柔にかかる。
 私は、そんな絵ばかりの本など、見飽きたと言下に拒否するのだ。
 私は、自分の愛読書を持っている。
 すでにこの時分から、他の子たちと違った、強固な内面世界を形成しつつあったのだね。
 幼稚園児でもれっきとした美意識や自意識、えり好みなど、大人と変わらない内面世界を持つのだ。
 私は先生たちが体現しているだろう共同規範性を、自分の内面的論理によって断固拒否したのだね。

 ですから、

 現実の共同規範性と自己の内的な世界が逆立する
 という鋭い意識の持ち主は、
 宗教の世界に行くか、
 自己表現の世界に進み、
 自己の拠って立つ世界を確保しなければならないだろう。

 宗教の世界は、それ自体、
 共同規範の世界である部分と、
 純粋に信仰という個的内面世界の部分と、
 をあわせ持っている。

 社会の共同規範性と逆立するものを、
 別の共同規範性である教会というものに置き換えても、違和感しか残らない。

 キリスト教信者として戦争におもむき、シベリアに抑留され、
 かろうじて生き延びて戦後に帰還した石原吉郎は、
 再び教会に行き救いの道を求めるが、教会には救いを見いだせなかった。
 彼は、詩を書くことでしか、自分の居場所を見いだせなかったといってよい。

 このような詩的モチベーションを持っている人は、
 内的世界と外的現実のせめぎ合いの中で、
 自己の居場所を普段に築き挙げていかねばならない。
 自分の命を削ってでも言葉を生み出していかねばならないのだ

 けれども、花屋の花をキレイと感じ、
 奇跡であってもそうでなくとも、大津波をくぐり屹立する一本松を枝振りがよいと思う、
 そのような伝統的(日本的)で、自然的な感性の人は、
 詩的モチベーションの有り様が、決定的に異なっているのだと思う。

 社会的現実をあたかも自然的な秩序のひとつとして容易に受容し従属できる人は、
 第一義的な詩的モチベーションに突き動かされて詩を書き続ける、ということはできない。
 どんなに平凡に生きていこうと、人間誰でも小説の一篇くらいは書ける経験を持つ、というではないか。
 詩であれば、一冊や二冊の詩集を出すくらいの、すり傷くらいは心のどこかに受けるのだ。
 その程度の、詩業を残すことはできるだろう。月に一篇や二篇の詩を呈出することくらいは。

 けれども、自然的感性の人というのは、
 庶民レベルでの日常生活においては、
 おしゃべりや趣味・道楽などで気を紛らすことのできる、
 けっこう根強い生活者であることが多い、と思える。

 現実世界における多少の違和感は、したたかにやり過ごしたり、受容していけるのだろう。
 命を削るようにしてまで、詩を書き続けるようなモチベーションを持続する必然性がないのだね。
 
 でも、「永年にわたって詩を書き続けてきた」ことを、揚言する手合いの人物は少なくない。
 モチベーションは低くとも、習慣になってしまえば、それほどの苦ではないからだ。

 島崎藤村の詩業と、北村透谷の詩業の差異を考えてみれば、容易に理解できる。

 それにしても、1980年代から増えてきたモチベーションが希薄だけれど書く意欲は旺盛で、言葉の意味性が欠落した詩群と通底している社会的状況がある、ということになるのだろうか。 

     「社会的無関心&内向きな詩群(2) 」につづく

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この記事について

このページは、小林由典が2012年1月10日 23:09に書いた記事です。

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