2012年1月アーカイブ

エクソダスとは日本語から脱出することではなく、既知の日本語が自分を通過すると未知の言語に変わる、という言語表現を追求することだと。デノテーション以外で用いるとは...。

日本語は複数の言語が融合して成立したものであり、更に漢語やサンスクリット語が政治・仏教界で用いられ、アイヌ語や琉球語などの方言が並行して使われていた。日本語の起源を想う。

タイトルは『古典力学』の「広場を横切る三人の影」から。「蒼ざめた馬」はロープシンの著作、「デラシネの旗」は五木寛之の小説からきている。1969年当時、怒れる若者のキーワードであろう。

帝政ロシア末期の詩人ロープシン。運命に翻弄され旧約聖書「ヨハネの黙示録」に啓示をうけたテロリスト、サヴィンコフその人であり、己の魂を回復するために書き残した懺悔の言葉...。

エセーニン詩集から、ロシアの詩人というヤツは!という部分をことさら選んで紹介する。大酒飲みで、たびたび社会規範を踏み外す狼藉をはたらくけれど、どこか純朴で奥深いところがある。

社会的無関心あるいは問題意識の希薄さの構造を考えてみたい。 これは、ただ単に勉強不足だとか知性の問題だとかたづけられない、我が国のシステムに根ざしている深いものがあるようだ。

地方文化詩とでもいう詩群に一様にみられる社会的視点の曖昧さ、あるいは思想性の希薄さ、あるいは内面的世界の薄弱さという特長は、歴史的遺制と現代的状況と、両方の要素がある。

戦後詩を「荒地」派だけ取り上げて終わるのは不親切かなと思う。やはり土俵は三役そろい踏みでないとバランスがとれない...。ということで、「抒情の論理」から他のグループも紹介しておきたい。

日本の現代詩は第二次大戦をくぐり抜けることによって、詩的想像の世界が、社会的土壌から隔絶するほど強固である詩を持たなかったことが露呈した。この認識は、今日でも表現者を脅かす。

社会が高度に発展するほど、大衆意識の中に潜んでいる自然的感性は疎外されてゆく。
「癒し」を求めたがる人々の気持ちの根底には、現実逃避と表裏一体の自然回帰願望が潜むのだろう。

 

伝統的で日本的な感性からみると、「四季」派の詩は最も「詩」らしい芸術性の高い詩であり、今日でも女性を中心に大衆的な人気をもっているのだろう。ある意味では、伝統的正当派なのだけれど、...

前回の年表はきわめて不完全なものだが、堀口大学や上田敏らによって少しずつ紹介されてきた西洋詩は、昭和初期のモダニズムによって一気に多様な展開をみせた事が分かる。

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