戦後詩から、その意味(1) 戦前詩の潮流

戦後詩というのは文字通り戦後に起こった詩精神であり、1970年代から80年代にかけて、終焉を告げられた詩群である。戦後詩とはいったい、何を指しているのだろうか?

 それは「戦争をくぐり抜ける方法を、詩のうえで考えることを強いられた詩のことである、と言えばいくらか当たっている。」と吉本隆明は言う。
べつの言葉でいえば、戦乱によって日常の自然感性を根こそぎ疑うことを強いられた詩だと。
 認識ないし批評をたえず感性や感覚のなかに包括しながら詩が展開されるので、
 日常の自然感性に類するものは、すくなくとも表面から影を払ってしまった。

 それが日常の感性に慣れて、それを詩とみなす人々にとって難解なとっつきにくいものにした。
 詩に安堵感をもたらすよりも、詩に考え込むことを強いるという具合にならざるを得なかった。」

 戦前の詩人たちが一様に戦争に組み込まれていった過程を良しとしないで、そういう過誤を二度くり返してはならないとクリティシズムを構築し得た詩人たちがいる、ということだね。

 この太平洋戦争という契機をはさんで、戦前の詩と戦後の詩の経緯を知っておくことは、詩を書く上での基本となるだろう。
 戦後詩が通過してきたことを全然知らずに、詩を書くことはいくらでもできる。
 しかし、今日において自然的な感性で詩を書いてみたところで、それは無反省な戦後詩=戦前的感性の詩であり、出発時点で「終わった詩人」となる運命であることを、言っておきたいと思う。

 初回は、戦前のモダニズム、
 および四季派の詩と詩人について、取り上げておきたい。


 なぜ、四季派なのかといえば、
 今日でも詩の入り口として誰の詩を読んだらいいかとなると、
 谷川俊太郎以外としては四季派の詩あるいは詩人というものが、
 もっとも詩あるいな詩人らしさを備えている、と大衆から受け止められているのだろう、
 ...と考えるからだ。

 「四季」派の詩人とは、三好達治であり、立原道造であり、伊東静夫であり、丸山薫や津村信夫たちである。


 これまでに私は大岡信や飯島耕一の論を取り上げて、
 蒲原有明や薄田泣菫らによってすすめられてきた後期象徴詩運動を
 今の現代詩の直接の源流だと、評価してきた。
 彼らの詩は、
 ひとことで言えば詩の思想性を言葉の再構築という面から達成しようとした成果なのだ。
 自然主義的な感性と言葉使いにあきたらず、言葉と格闘して表現を獲得する道だ。

 その伏流水的な流れは昭和初期に、
 ダダやシュルレアリスムの影響下にすすめられた現代詩の方法論的な試みに受け継がれ、
 日本のモダニズム運動と呼ばれ、
 詩の表現が一気に拡大されたといえる。
 たとえば、ダダイスト高橋新吉であり、イデオローグ春山行夫であり、
 西脇順三郎や北園克衛、村野四郎、北川冬彦、安斉冬衛などである。

 その一方で、
 詩の表現は人間の内部と外部的世界とのかかわりあいの問題なのだ、として
 詩の内容や意味性を重視した詩人たちがいる。
 たとえば、高村光太郎や石川啄木、萩原朔太郎などであり、
 彼らの詩は散文を読むときのように読み込めば、さしたる困難もなく理解できるものだ。
 (朔太郎の場合は、後期象徴派の影響を受けている点で、前2者とは若干異なる)

 春山行夫によれば、
 「韻文詩は芸術として、音楽や絵画などと共に発達してきた。
 言葉の芸術であって、意味の文学ではない。
 ポエジイを芸術として扱う場合と、文学として扱う場合とはほとんど対象的に観るべき部分が異なる。
 ポエジイの研究は、前提として芸術と文学との境界を明瞭に定めねばならない

 春山行夫は、芸術と文学というのを区別して発言しているようで、
 芸術を第一義的なものとして上位に置き、
 文学を散文的な意味でとらえて、芸術の下位においていた、と考えられる。

 以下、吉本隆明の『戦後詩史論』を底本に、要約・引用を行いながら、纏めていきたい。


 言葉は意味を持つこと以前に韻律という芸術の条件をもっていて、
 音楽や絵画などと同列にある芸術なのだ
、と考えるのか、

 詩の言葉は、詩人の内部的世界が、外部的な現実や環境、自然、生活と相わたる時に生まれる
 (衝突や擦過、違和や祖語、親和や調和といった)思想や感情の有り様を表出するものだ
、とみるか?

 この問いは、今日でもラディカルな意味を持っているといえよう。

 両者の対立は、春山行夫と萩原朔太郎との激しい論争を巻き起こしたわけであるが、
 事の起こりは我が国の近代詩に根を張って象徴詩運動を抹殺した「自然主義的な抒情」に対する、
 徹底的な反逆としてなされたという経緯があるのだ。


 このような対立というのは、思想のダイナミズムであり、
 極端から極端に振れることによってその限界性を可能な限り拡張し、
 やがて弁証法的にアウフヘーベンされていく運命にある。

 それぞれの主張の問題点を検討していこう。

 「 詩から意味、思想というような内容をきり棄てることは、
 創作過程で詩人の内部世界と社会、生活、政治、環境というような外部の現実との
 (内面的な)かかわりあいをきり棄てるということを意味している

 ...と吉本はいう。(『抒情の論理』所収「現代詩批評の問題」)

 これは、詩の言葉の吉本的定義をそのまま、終わりから読めば当然の結論ということだ。
 この主張はまさにその通りという他ないのだけれど、春山行夫の論点から少しずれている。
 問題は、コトバの芸術を上位におくか、意味性の文学をこそ第一義だと考えるか、ということだ。

 吉本はさらに、
 「シュル・レアリスムが主張した精神のオートマチズムというようなものも、
 無意識を、たえず現実体験の内部的パターンとしての現実意識によって確かめながら、
 表現するのでなければ意味を構成しない。

 だから、詩をコトバの芸術だとする考えをおしすすめてゆけば、
 現実体験の意味は詩の表現からきり捨てられ、
 現実はただ素材とか風俗感覚としてしか詩の中にはいりこみえなくなる」と。
 
 アンドレ・ブルトンのオートマチズム(自動筆記)をどうとらえるか?
 吉本は意味を構成するには現実意識による裏打ちが必要だという。

 だが、もともと自動筆記というのは決して無意識そのものの表出ではありえない。

 たとえば夢というものは、かなり「無意識」世界をかいま見させてくれるものだけれども、
 それでさえ脳の海馬あるいは左脳のどこかの働きで、かなり整理された意識なのだ。
 脳は外界からの情報を、ある種の交通整理のように大まかに仕分けをしながら、受容していく。
 その整理のメカニズムもまだ完全に解明されたわけではなく、
 顕在意識あるいは現実的意識のコントロールを多少なりとも受けつつ、成立しているかと思う。

 自動筆記の場合はなおさら、手を使う分だけ、現実的意識のコントロールを受けていると考えられる。
 主観的にしか把握できない「意識でない領域」を、客観的に記述できるかはかなり疑わしい。
 問題は、それをどう解釈し、表現していくのかというところにかかってこよう。

 ブルトンのオートマチズムは、フロイトが切り開いた無意識の世界を、フロイト的解釈を排した形で詩の表現として定着させようとした試みだったと言えよう。

 これに対して、ユングは顕在意識よりも潜在意識の世界の広大さ・多様さを開示させることで、吉本のいう「現実意識による裏打ち」を可能な限り拡大してみせたと言えるだろう。谷川俊太郎と河合隼雄とのコラボレーションなどは、ユング心理学を現代詩に取り込む意欲的な試みとして、評価される。
 荒地派の田村隆一なども、無意識の世界は言葉の沃野であるという認識をもっていて、荒地以降の時代を歩んでいったといえる。

 ところで詩の現在的な課題としてみれば、ブルトンのオートマチズムよりも重要性をもつソシュール言語学を「詩をコトバの芸術だとする考える」主要な立場として捉えるべきではないかと私は考えている。

 我が国の詩は欧米の詩の影響を受けながら成立・発展してきた経緯があるので、年表を作ろう。
 ただし、ソシュール言語学が日本に知られるようになるには半世紀のタイムラグがあることを忘れてはならない。


ソシュール 1857-1913
        1906年(明治39)-1907年、一般言語学講義
        1908年(明治41)-1909年、一般言語学講義
        1910年(明治43)-1911年、一般言語学講義
       1928年(昭和3)  『言語學原論』...邦訳
        1972年(昭和47) 『一般言語学講義』と改題出版...邦訳

蒲原有明 1875年(明治8年) - 1952年(昭和27年)
       1908年(明治41) 『有明集』

薄田 泣菫 1877年(明治10年) - 1945年(昭和20年)
       1906年(明治39) 『白羊宮』

T・ツァラ  1896年(明治29) - 1963年(昭和38)
                 象徴主義の影響のもと、実験的な詩を創作
       1916年(大正5)にダダイスム運動を創設。

A・ブルトン 1896年(明治29)- 1966年(昭和41)
                 フロイトの心理学に触れ、終戦後ルイ・アラゴンらとダダに参加する
                 20年代(大正9)に入りトリスタン・ツァラと対立。ダダと決別
       1924年(大正13) 「シュルレアリスム宣言」

       1928年(昭和3) 『詩と詩論』~1933年(昭和8)

                 同人「春山行夫、北川冬彦、近藤東、安西冬衛、三好達治、ら」
                 同人外「西脇順三郎、吉田一穂、横光利一、北園克衛、梶井基次郎、
                       丸山薫、堀辰雄、滝口修造、村野四郎など」
                 20年代の既成詩壇にあきたらない超現実主義などの欧米の新しい前衛
                 文芸思潮の影響を受けた詩人達の集合体的同人誌としてスタート。
                 やがて、←→プロレタリア文学に対抗

       1930年(昭和5)春山らの「現実遊離の傾向」に不満を持った北川らが『詩と詩論』脱退
                 第二次『時間』創刊。社会性を重視する新散文詩運動を展開
    
       1934年(昭和9)『詩法』(春山行夫)1号~13号(1935年9月)
                 都市モダニズム詩の系統
       1937年(昭和12)『新領土』(春山、近藤東)

 『詩と詩論』は、戦前のモダニズム詩人たちの大所帯的な集まりで、内部的には西脇順三郎や北園克衛vs村野四郎や近藤東、あるいは北川冬彦や安斉冬衛との間に詩論的なあるいは方法論における差異や対立が見られる。

 にもかかわらず、基本的には「詩は言葉の芸術性を主体とする」という春山行夫の路線に沿ったかたちで進んでいった、といえる。

 「戦後詩から、その意味(2)  モダニズム詩 vs プロレタリア詩」に続く

 2011/12/28 - 12/31
 

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このページは、小林由典が2011年12月31日 15:14に書いた記事です。

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