自閉詩を越えて:エピステーメー・シフト(4)

歴史主義に対する非連続的構造(空間的認識)について、省略してきましたが、これについて吉本隆明が分かりやすい説明をしているなと思うので、取り上げておきます。

 吉本は「南島論」(『敗北の構造』所収)の中で、
 時-空性の志向変容という考え方を提示している。(「日本の<南島>をどうとらえるか」)

 「民俗学者や文化人類学者のように、<南島>はさまざまな古い遺習が残っている宝庫であるというふうにとらえることは、いわば偶発的にのこされた、ある歴史的な段階の遺物の集積としてとらえる以外にはありません。
  逆に、ひとつの歴史的把握の一貫性で<南島>をとらえれば、その把握の外に出てしまう事がらについては、まったく偶然に残されたある<事実>、あるいは風俗、習慣として捕捉することになってしまいます。

 つまり、世界における地域性、場所性、あるいは空間性と、われわれが歴史を把握する場合のある歴史的段階、あるいは時間性とをそれぞれどうとらえて、統一させるかという方法的な矛盾のようなものがあらわれ、この矛盾をどう解いていったらいいかが、理論的な大前提としてのこされます。」


 このエピステーメーのシフトの文脈に即して考えるなら、要するに...、
 サルトルが提示した歴史主義的認識を、
 人類学者レヴィ・ストロースが現代に残っている未開種族という地理的分布の事実によって批判した
 ...ということを踏まえて、(文化人類学=構造主義的視点)それ(=歴史主義的認識と構造的知)を弁証法的に統一する、一つの方法論を提示してみせたといえよう。

 吉本は
主観的に一貫した視点を貫徹しながら、なおかつ歴史的にも、現在的にも捉えられる対象とは何か?
 ...と問いをたてる。

 そこで浮かび上がってくるのは「われわれの身近なことについてならば可能だ」として、
「たとえばわれわれが現在そのもとに生活している日本の国家、社会というもの、あるいは日本の種族

 ...ということになるだろう、と。


 仏陀がなぜ中心化的ドグマに陥らなかったのか、という私の考えと同じですね。

 ただ、私ならば日本の国家、社会、あるいは日本の種族」という分類でも大きすぎるので、
 さらに限定しますけれど、
 吉本は南島論のなかで言っていますので、
 とうぜん日本の中の<南島>という細分化した視点を持っていることは言うまでもない。

 (この『敗北の構造』は講演集なので、表現が簡潔にまとまっているとは言えない箇所もあるし、細かいことは煩瑣になって講演趣旨が分かりにくくなる、という簡略化も見られるので、以下要約を提示することにしたい。)

 さてそれで、身近でない地域や歴史的段階で起こったことは、
 それぞれ歴史把握の一貫性を貫くことはできないし、
 構造主義人類学では、まったく偶発的な個々の<事実>というふうにみえてしまうことを、われわれは免れない。
 われわれは、ある視点を切り捨て、
 一つの視点から単純化しようとする傾向に知らず知らずのうちにおちいっている、と。

 事象を歴史的パースペクティブでとらえることと、現在的な空間のパースペクティブでとらえることと、
 両者の間にある矛盾の
 「距離感」、「誤差」というものをはっきりさせるのが「時-空志向変容」という概念であり、
 そして、この「誤差」とは、おそらくわれわれが「関係」といっているものの「構造」なのだ、と。

 つまり単純に言えば、
 双方の認識・把握の差異、あるいは引き算した答えが「関係」というものの「構造」だといってよい。

 この部分を把握することの中で、
 あらゆる歴史的段階(時間性)というものは、あらゆる地域的空間に、
 あらゆる地域的展開(空間性)というののは、あらゆる歴史的段階に、
 あらゆる世界的な共時性というものは、あらゆる世界的な特殊性に、
 ...相互転換することができる。

 以上のことは、南島論ばかりでなく今日的世界観の基本的な前提になるだろうと、私は考えている。

 弁証法的に考えるならば、ごく自然な帰結ではないかと、いってよい。

 それで、吉本隆明は、
 われわれが日本の国家の現在性、地域性、歴史性を扱う場合でもしばしばやっていることで、
 どちらかに偏して一方を切り捨てればコスモポリタニズムになるか、
 あるいはナショナリズム、もっと極端に言えばウルトラ・ナショナリズムになるか、
 ...どちらかであると断じている。


 確かにそうだな、とあえて言及しなければいけないことが、いくつか目につく。
 
 たとえば奥村真の詩に出てくる「神の庭」(カムイ・ミ)について...
 この「神」というのは、詩の中に出てくる嶽神(ヌプリ・コロ・カムイ)、つまりヒグマのことだ。

 古代人の自然観では「草や木や岩石、青い水の泡までも物を言ったという伝承が、
 日本のいろいろの古い文献には記載されている」という。(菱沼勇『日本の自然神』)

 人間よりも力が強く、早く走り、木に登り、水を泳ぐヒグマは、アイヌの人々にとって、自然神の一つであったのだろう。

 『日本の自然神』によれば、『古事記』上巻では二六七柱の神が登載されているそうだが、
 動物神の代表格が蛇であり、それ以外の動物を祀る式内社はその種類も数も少ない、という。
 馬や白鳥、羊、隼など限られており、熊はない。

 [ とは延喜式をさす。その巻九・十を特に延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)という ]

 本居宣長の『古事記伝』によると、
「カミには貴きもあり、賤しきもあり、善きもあり、悪しきもあり、さまざまであるが、
 尋常ならず優れたるもの、世にすぐれて畏るべきものをカミという」とある。

 要するに、良い悪いではなく、並外れて圧倒的な存在を、カミと呼んだというわけである。

 アイヌ語のカムイもまた、自然神であり、内地では例のないヒグマをカミに列挙して、
 その生息地(テリトリー)をカミの庭(カムイ・ミ)と呼び習わしたわけである。

 カムイをこのように規定すれば、
 今日われわれが口にする神というものと、だいぶ違うなという感じがするはずだ。

 日本人は宗教無関心の無宗教者が多いので、神といってもキリスト教の神や日本神道の神、
 あるいは出雲系の神など神話上の神とか、最近ではイスラム教なども増加しているようだ。

 けれども、国家的なレベルでみるならば、日本の国の神といえば王権神授説に基づく現人神に繋がる日本神道の神とするのが妥当であろう。

 このように語彙の定義をはっきりさせてみれば、
 東京郊外である「福生で神の庭」を見いだした、などという発言が荒唐無稽なものではないか、と
 高校生程度の常識があれば思うのではないだろうか。

 自然神と、国家神道の神あるいは超越的神とは、決してイコールではない。
 神という言葉をきっちりと定義せずに、多義的に使っているために、こういう妄言が生まれるのだ。

 蝦夷地でのみ成立するヒグマのカミを、
 日本神道によって統一されたヤマトの地に横滑りさせることはできないのだ。

 自然神である嶽神(ヌプリ・コロ・カムイ)は、
 パワーにおいては圧倒的な存在であるけれども、聖なる存在ではないかもしれない。

 神の庭(カムイ・ミ)もまた、
 主(あるじ)がそうであるなら、聖なる場所ではないかもしれない。
 むしろ、怖ろしい・怖い場所であるから、近づくなという場所なのだ、本来は。

 であるから、逆に
 ヤマトの地における「神=聖なる存在」という概念を、アイヌの神であるカムイに当てはめることも誤りなのだ。
 カムイを大和言葉で「神」と翻訳したのを、大和的カミと同一視するという初歩的な誤解であろう。

 この点、本居宣長は「神」の字を用いず、「迦微」という字をあてている。
 これは、漢字の「神」の原義が、大和言葉のカミの意味と必ずしも一致しないということを考慮して、
 「神」という字を多義的に使わず、混同を招かないよう配慮したからなのだね。
 間違っても、学者としての基本を踏み外したりはしていないところが、さすがに本居宣長なのだ。
 

 さて、カムイと神の混同を、いささか図式的にまとめておく。

 蝦夷地のカミの庭(カムイ・ミ)という概念を、
 ヤマトの中心地である東京に適用するという無反省的妄言が通るなら、
 逆に、
 蝦夷の地に、ヤマトのカミによる天孫降臨の論理を適用しても良い、
 つまり蝦夷の地を奪い支配することも当然許容されてしかるべきはず、
 ...ということになる。

 事実、蝦夷の地(現在の北関東の一部から東北、北海道)は、
 王権を天授されたとする朝廷が任命した征夷大将軍によって居住地を奪われた、
 ...という不都合な過去の事実(歴史)があったはず。

 この場合は、歴史的認識を欠いた地域認識という片手落ちによって、
 容易にナショナリズムに転化しうる危険性を示していよう。

 「神の庭」の作者は、70年安保や大学闘争、そして三里塚で戦ってきた人間だけれど、
 何に対して反対を運動をやって来たのか!

 その彼が、妻の郷里である北海道を訪れ、蝦夷地を舞台にした詩を書いたのだ
 当然のことだが、アイヌの生活や文化に半ば同化する視線で、書いているのだね。
 少なくとも、大和王権に譲り渡して良い場所として「神の庭」を書いていないことくらい理解せねば...


 私は、アイヌ文化やその歴史にさほど詳しくないので、南島を題材に話をつないでいきたい。
 飽浦敏『ユネンティダ』において、「時-空志向変容」と通じる分析を試みているな、と思う。

 琉球王朝における「おぼつかぐら」という権力構造の成立過程が、
 初期・中期・後期の「おもろ」に反映されている。

 その成立過程を歴史的に検証することは、
 旧琉球王朝というミニ国家の権力基盤を「擬似的に解体する」ことにつながり、
 それはすなわち、日本という国家の成立問題を論じる場合にも当てはまることになろう。

 『ユネンティダ』の作者は、詩の言葉を通じて、そのとば口に立ってはいるのだけれど、
 その中に踏み込むという意識は持っていないということが、物足りない観がするのはやむを得ない。

 たとえば、クバ笠のクバはヤマトのビロウ樹の葉のことで最も高貴な植物とされ、皇室でも天皇即位という限られた時にだけ、斎戒沐浴の場の仕切りあるいは衝立の材料として用いられるものだ。

 このクバ笠を祭祀や踊りにのみ使うのではなく、畑仕事の日よけ帽子として使う、
 ...これは、かなり微妙な問題を孕む可能性があるはずだ、と指摘しておきたい。
 意図的に使うならば、この笠でズボンの尻のゴミを払う、というような一行があっても良さそうだね。

 私ならば、ンコを拭く、ぐらいのことは書くかもしれない。というのも......
 子どもの頃、母の実家である青森の田舎では、紙の代わりに稲わらでお尻を拭いていたのにカルチャーショックを受けたという思い出があるからだ。
 石垣島の片田舎なら、さしずめクバの葉でお尻を拭く、とでも...、
 事情に疎いヤマトンチュには裏の意味は読めないはずだ。おもろいよね。

 あるいはニライカナイの概念だけれども......
 ユネンテダ、の中を帰る農夫と私の描写は映画のワンシーンのように印象的だ。
 けれど、その道は伝統的なニライカナイの世界に繋がっていく、という危惧を抱かせる。

 クバ笠にせよ、ニライカナイにせよ、ヤマト王権に繋がっていくものがあるだろう。
 そういうものを解体していく視点があると、もっとすばらしいな、と私は思う。

 わが畏友である奥村真の 『分別の盛り場』のような、通俗性を卑しきものと指弾するところからは、
 共同幻想を解体する思想も詩も生まれないだろう。


 社会は「仲良きこと」を基盤として成り立っている。その基盤をごっそり剥がした、のだって?
 まったくの寝言に過ぎない。
 社会とはどういう意味で言っているのだろう?
 「仲良きこと」を基盤として、どのような構造をもって成立しているのだろう?

 前提そのものがいい加減だから、前提の前提が必要で、その前提もまた前置きが求められる
 論理的な話にならない。
 こういう輩たちには、毒(ぶす)を効かせたアイロニーをかましておけばそれで十分だ。

 社会は「ヤツは敵だ、敵は殺せ」という論理を基盤として成り立っている、とね。
 なにもレヴィ・ストロースに訊かなくとも、
 未開部族社会は、必ず殺し合いあるいは殺し合いの儀式を、半ば必然的に保持しているのだ。
 「和を以て貴しとなす」という憲法は、「和を以て貴しとしない」自然発生的社会を、
 成立期の国家権力が統一を進めるために行った美しい擬制なのだよ。

 話がだいぶ逸れてしまった。
 
 「時-空の志向変容」という方法論は、両極端に偏らない弁証法的な方法論という見方もできる。
 これは、仏陀の縁起の法の現代版だと私には思えるけれど、
 志向変容どころか、構造主義より、現象学的実存哲学より、
 はるか以前のデカルト的コギトあるいは紀元前4~5世紀の仏陀以前
 ...の考え方にとどまっているのが、大衆というものの実態だ。

 特に、詩を書いているという人たちが、じつに言葉をいい加減で曖昧に使うなと、気になる。
 庶民が語る言葉は生活の中の言葉であり、実感がこもっていよう。

 ところが、「神の庭を見いだした」...あら、あなたって詩人ねェ!!!という感じなのだね。
 短歌では俗謡という言葉があるのだから、
 詩においても俗詩というジャンルを設定したら、ブックオフの詩歌のコーナーも、雑詩集の山積みが消えて、読むに値するものだけが一冊、二冊数えられるほどすっきりするのではないかなァー。

 2011/12/26 - 12/27

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この記事について

このページは、小林由典が2011年12月26日 10:45に書いた記事です。

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