自閉詩を越えて:エピステーメー・シフト(1)

生活に立脚して書かれている女性たちの詩には内省的で自己完結的に閉ざされがちな傾向がみられる。何故かといえば、批評的な視点が欠落しているか、薄弱であるからではないだろうか。

 批評性というのは、自己を相対化してゆく視線によって獲得されるものですね。

 自己を相対化してゆく視線とは、デカルト的コギトを脱構築してゆくプロセスをたどるということに他ならないでしょう。つまり、今日の現代詩と、過去の(歴史的)現代詩とを分かつターニングポイントを検証し通過していく、ということになるはずです。

 たとえば、「ユタ」の皆さんの詩を読んで、デカルト的コギトの行き詰まりみたいなものを、感じずにはいられないのですね。必然的に、詩の終わりは「日本的な無常観」の中に収斂していく形になってしまう。

 出口なしの虚無感に昇華してしまうか、あるいは無常観の元で判断停止をしたまま日常生活という現実に眼差しを転じてみせるか......。

 日本的なものの考え方の根底には、それに通底する文化的な土壌があるわけです。
 それは何か、といえば仏教思想、なかんずく禅的な考え方です。
 座禅をして、自己を見つめ直す...無念・夢想、無我そして無私の境地にある...

 ただし、ここでいう仏教思想や禅的なものは、庶民に流布した通俗的な解釈、ということになる。

 そのようなデカルト的コギトの行き詰まりを脱する路はあるのか?
 その方向性を見いだそうとする1970年前後の知的営為こそ、構造主義的な考え方なのですね。

 「構造主義」という言い方は訳語として適当ではなく、いわゆる「イズム」としてイデオロギー的に捉えられる知の流行ではない。

 巨視的に見ればプラトン以降のロゴス中心主義の西欧思想、
 なかんずくデカルトからヘーゲルにいたる認識論哲学、
 そしてより直接的には実存哲学や人間学的マルキシズム
 ...を批判して成立したいくつかの思想あるいは知の総称ですね。

 具体的に挙げてみれば、
 先駆者
 ☆ ジークムント・フロイト(1856~1939)...無意識研究、精神分析の創始
   フェルディナン・ド・ソシュール(1857~1913)の言語学
   ガストン・バシュラール(1884~1962)...「非デカルト的認識論」
         └ →ルイ・アルチュセールを指導(ヘーゲル研究)
              └ →ミシェル・フーコーやジャック・デリダを指導

 ・ レヴィ・ストロース(1908~2009)の人類学
 ・ ミシェル・フーコー(1926~1984)の思想史
 ・ ロラン・バルト(1915~1980)の文学論
 ・ ジャック・ラカン(1901~1981)の精神分析
 ・ ルイ・アルチュセール(1918~1990)の構造主義的マルクス主義


 彼らによって批判されている実存哲学および人間学的マルキシズムの中心人物こそはサルトルであり、そのサルトルと直接的に対峙したのがミシェル・フーコーでした。

 私の学生時代はまさのその過渡期にあったわけですね。

 1970年代中頃、レヴィ・ストロースやロラン・バルト、ミシェル・フーコーらの本を買い求めながら積ん読状態で、郷里に帰る前に古書店に売り払ってしまったということは、当時の私の思想的傾向を示していたかと思います。
 つまり実存哲学の退潮とともに、フッサール現象学まで後退していったといってよい。

 私が現代詩を書いた短い時期(1969~1975)、私は荒地派の影響と60年代詩人への共感との板挟み、アンビバレントな思いを抱いていたことは何度か述べました。
 この板挟みを思想的に考えてみると、デカルト的コギトと反デカルト的コギトとの対峙の中に投げ込まれていたからに他ならないわけです。

 けれども、このような精神的状況は、実は当時の時代的な状況の影響だったのだ、ということなのだろう。堀川正美が「時代は感受性に運命を与える」と洞察したごとく......。


 先日、キッド・アイラック・アート・ホールに絵を見に行った時、電車の中で『道元とヴィトゲンシュタイン』(春日佑芳:著/ぺりかん社)を読み、鼓舞されるものがありましたが、まさに現在の私の問題意識に連なる内容だったからです。
 
 ヴィトゲンシュタインは当初デカルト的なコギトを基礎において、「語りえないもの」を追求していた。
 「語りえないもの」とは、例えば音楽や絵を鑑賞したときに得られる感動のような、心のありようなどで、言葉がもどかしいという以上に「語りえない」ことなのだと。
 デカルト的意識においては、究極的にフッサール現象学でいう「純粋意識」にたどり着くわけですが、デカルト的コギトは瞑想によって得られる「無我の心」に類似しており、やはりそれでも反省以前的なコギトだと。

 ヴィトゲンシュタインは後になって、デカルト的コギトのパラダイムを脱却するために「独我論的誤謬」として批判を加えることになります。

 この経緯は、道元が本覚思想を否定して、『正法眼蔵』(しょうぼうげんぞう)を著した経緯と同質の問題意識だと春日佑芳は着目する。

 しかし、仏教の思想は仏陀その人の起源まで遡って検証してみると、深般若波羅蜜多という高次の瞑想(禅定)レベルにおける(哲学的)直観を至高の思惟としていることは間違いない。

 我が国における本格的な近代哲学の基を築いた西田幾多郎の哲学もまた、純粋経験に見いだされる純粋意識的なものを理想としています。簡単に言ってしまえば、心の主観的な曇りをぬぐい去った果てに真実の、実在の世界が見えてくる、という考え方ですね。

 ここで問題となってくるのは、純粋経験あるいは直接経験によって「批判的に疑おうにも疑いようがない」明証性であっても、あくまでも自己の内的な意識に直接感じられている感覚であり、自己にしか了解されない極私的なものだ、ということですね。

 じつに紀元前4~5世紀も昔の話である仏陀の孤独を、私は思い浮かべずにはいられない。

 菩提樹(ニグローダ樹)の下で深い瞑想のはてに、仏陀は大いなる悟りを得るわけですが、思想家百出の天下にあっても「自分(釈尊)のような考えに至った者は他に見あたらない!」ことに気づくわけですね。
 ここでいう思想家というのは、沙門(婆羅門階級以外の出家修行者)、婆羅門(最高カーストで、祭祀を司る僧侶・学者)のこと。

 原始経典である阿含部の三経典梵天相応の、第二番にある『恭敬(くぎょう)』の記述では、釈尊は悟りを開いた後でも、誰か師資相承の(師たる)人はいないか、と謙虚に求めたけれども、そういう人は誰もいなかった、ということを知り孤独を感じたということです。

 増谷文雄先生はこれを「正覚者の孤独」なのだと。
 そこで釈尊はしばらく思索を続け、たどり着いたのが...
 <我れはむしろ我が悟りし法、この法を敬い、尊び、近づきて住すべき(ウパニッサーヤ)>

 ...もはや、師という「人」を敬い、近づいて学ぶのではなく、むしろ「法そのもの」に敬意をはらい、近づいて住すべきなのだ、と。しかし、その「法」は、ひとり釈尊のみが悟ったことであり、知る人は他にいない。

 ここから、しばらくは釈尊の自問自答的な記述が続くのですが、要約すると...
 「安楽不死にいたる道を悟り得たとするなら、汝ひとり行け。この法は、世の流れに逆らい、湛深、微妙、精細にして知りがたく、無明に覆われていたり貪りと怒りに身を焦がす人々にはとても悟りがたい。」
 

 ...という躊躇が湧いてくる。

 宗教体験というのはインスピレーションにうたれたような、その人だけの経験ですから、とても言葉ですべてを語りえないものですが、法としてつまり思想として打ち出していかねば誰にも伝わらない、というジレンマがあるわけです。

 釈尊の自問自答の中に小乗的な思いと大乗的な思いが、悪魔相応と梵天相応というかたちで、記述されているわけですが、最後に梵天の声に促されて説法を決意するシーンがあります。

 世尊は悟った人の眼によって世の中を見そなわれた。
 見終わってから梵天に呼びかけられた。
 耳ある者どもに甘露の門はひらかれたり。
 古き信を去れ。


 広い世の中には、分かる人間もいるのだ...話し言葉(パロール)の時代ですから「耳ある者は聞け」という表現になるし、書き言葉の場合なら「眼あるものは見よ」と。

 これは仏陀の話ですけれど、電車の中で読んでいて現代詩の場合でも同じだなという深い共感を覚えました。

 さて、例によって、長くなりすぎましたので、エピステーメー・シフト(2) で後半を述べさせていただきます。

 (初稿11/27  公開12/2)

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このページは、小林由典が2011年11月27日 21:10に書いた記事です。

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