飯島耕一「日は過ぎ去って」...anti 詩的黙説法

默説法というレトリックは、何やら意味ありげな語彙を使い、さもその裏に深い意味でもあるかのごとく思わせる技法だといえば、アイロニカルに過ぎるだろうか?大鉈を振るう観は否めないが...。

 小説の「序」文の冒頭には萩原朔太郎の「詩と散文」というアフォリズムの一節と、ミシェル・ビュトールの小説論(「時間割」の解説訳書)の一部が引用されている。


 要約をして、少しばかり引用してみたい。

 「人生は二つの時間から成立している。夜と昼と。夢と現実と。無意識の生活と、意識する生活と。詩は夜の夢に浮ぶイメージであり、散文は昼の現実に意識するヴィジョンである。それ故に詩は、常識の方式する文法や悟性を無視して、ドリームライクな仕方により、意識の幽冥に出現する自我の主体を表現する。これに加えて、意識する自我の生活と、両面から表現することによって、はじめて自我を完全に表現しうる
 ...萩原朔太郎 アフォリズム集『港にて』所収「詩と散文」(昭和15年)


ぼくたちの生は二種類の瞬間の連続と言える。輝かしい昂揚の時間と、沈滞した空しく流れる瞬間。詩は前者の瞬間にのみ関心を寄せ、それを結晶させようとする。それでは、そうではない空しく流れ去る瞬間をどう救い出せばよいか。日常生活の一見まったく無意味な些事と、思想や直観や夢想など一見日常言語からおよそかけはなれたものとを、小説はきわめて精密に結びつけることができる。小説を書くことは<自分の生の中にひとつの統一を与える手段>となる
 ...ミシェル・ビュトール(ヌーヴォー・ロマン作家)、
  『時間割』1956年 (清水徹訳、中央公論社 『世界の文学49 サルトル・ビュトール』所収、
 1964年/中公文庫、1975年/河出文庫、2006年)


 飯島耕一は、この二人の文章に、「自分の考え方の非常に明晰な代弁者を見つけた」ように思ったのだという。

 現代の詩は一方ではますます純粋に「夜の夢に浮かぶイメージ」となっていくかたわら、他方では小説的要素を大胆に取り入れた詩も急増しているのではないだろうか。アポリネールを持ち出すまでもなく、岩田宏らの詩を想い出せば足りる。
 
 だが、岩田宏の詩はそれによって自由になり、飯島耕一の詩は否定しがたく不自由になっていった、と自覚するようになった。

 当時、ほとんど詩が書けなくなっていた飯島は、「日は過ぎ去って」を書いて後、詩をあまり考えることなしに記述するようになった、という。シュルレアリスムを研究しそれらの詩を読んでいた彼は、自動記述法(オートマチズム)にかなり近い方法で書けるようになったことで、それまでの停滞を脱したのである。


 それで、彼は何を目指して「反默説法」的小説を書いたのか、ということになるが......
 飯島はビュトールの「詩は内面の混乱を露呈する」という考えとは相反する自分の傾向を感じとり、「小説こそ内面の混乱を露呈する」ものと考えた。そして、長大な散文詩とも言える一個の装置を仮に小説と呼び、アラゴンの『パリの田舎者』のような詩的小説を試みたかったのだという。

 飯島は、翻訳者である佐藤朔の解説「ここには超現実、夢想と論理、無秩序と秩序が混淆していて、シュルレアリスムの<反小説>(アンチ・ロマン)といった趣がある」を引用し、これを詩的「默説法」への反抗であると見る、と書いている。

 再び要約しながら、引用したい。


 「詩的默説法...ぼくも久しくその方法にたよってきた。默説法とは修辞学でいう「故意の言い落とし」であり、少ない言葉数にたより、行間でこそ語る、飛躍を重んじる書き方である。
 小説を書き出したすべての詩人には、多かれ少なかれ、このあまりに自由で無限定な詩の方法への反感があるのではないか。
 ぼくもまた自分の詩の行間を、ことごとく言葉でうずめつくしてしまいたいという欲求をもった。沈黙の部分、空白の部分で語るという、詩的默説法のもついわば自由から、反默説法的小説というもう一つの苦しい自由を選んだとも言える。

 飯島は自分の変化を、もっとも默説法的な詩を書いていた、自由な精神、ポール・エリュアールから、ドストエフスキーの言語の猛烈な回転、酔っぱらいのとめどないおしゃべりのほうに眼を転じたのである。そこには、詩的默説法に対する絶対的信頼の破産があった、と述べている。


 上の文章は1967年、出版に向けて書き加えられたものだ。
 私はその二年後にロシア文学科に入り、ドストエフスキーからスタートして、その後ヌーヴォー・ロマンやアンチ・ロマンに関心が移っていったので、逆過程からこの「反默説法」的小説を検証していくことになるだろう。

 ともあれ、1960年代半ばには、飯島耕一のみならず「詩的默説法に対する絶対的信頼の破産」が表面化していたかと思われる。60年代詩人たちの饒舌詩は根底的に、そのような詩の現実を踏まえて成立していたということだね。

 これ「を単なる流行だ」としか見ない人は、60年代以前の詩を書いている人だと、言いかえてもよい。若い連中の辛辣な言葉を借りれば、「終わっている人」ということになろう。

 70年の初頭に現代詩に触れた私は最初から、默説法の前提となっている行間を読ませるという言語観をとらない先達の見解を受け継いでおり、飯島のように絶対的信頼どころか、その恣意的な濫用にはむしろ「うさんくささ」を感じる。
 簡単な例をあげておこう。

 東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる   石川啄木

 これは短歌ですから、短歌的抒情の表現として詠めばいいわけですね。
 けれども、現代詩とくに默説法を使った短詩形において、短歌的抒情表現を濫用したらどうなのだろう?
 二人の詩人の言葉を想い出していただきたい。(現代詩人の言葉

 安東次男
 「句にしかなりえぬもの、歌にしかなりえぬもの、詩にしかなりえぬものがあるだけなのだ。

 谷川俊太郎
 「詩というのは削ぎ落とし削ぎ落とした言葉の結晶みたいなものが力を持つんだと思っていたが、今はそういう言葉は成立しないだろうと思う。現実のより不安定な流れに沿ってゆく言葉の方がまだ力がある

 現代詩に、たとえば「一握の砂」のような短歌表現を持ち込んだとするなら、たちまち読み手から「どのような現実と対峙しているのか?」という疑問を提出されるのは避けられないだろう。

 なぜなら、詩は作者の内面世界と外部世界とが相交わる臨界において成立するものだからだ、と。
 そこに詩の言葉が発生するのだ。
 この詩の発生現場をいっさい表現(あるいは表示)することなく、その結果である自己の感情を吐露するだけの表現に本質的なポエジーというものが存在するのだろうか?

 ありえないよねぇ...。

 われ泣きぬれて猫とたわむる
 われ泣きぬれてポチとたわむる
 われ泣きぬれて海を眺むる
 われ泣きぬれてタマネギきざむ

 変な例文も混じっていますけど...
 こういう詩がじつに多いのだけど、なぜなのか、どういう現実と向かい合っているのかいっさい省略されている。
 默説法のつもりなのだろう。
 これは飯島がいう自由すぎるなどというものではなく、恣意的で誤った方法だといってよい。

 どうしようもない憂鬱、などの大げさな表現を用いながら、それがどこからどのように起こったのかいっさい触れることなく、内面だけを凝視している詩であったならば、共感どころか理解さえ得られることはない。

 それが、サークル的小集団のそのまた中にある小グループにおいては、「言わなくても分かるでしょう」という人間関係の中でのみ、意味が流通しているのだね。
 言わなくても分かる関係ではない私はもとより、外部の人にはいっさい意味が通じない、というよりわけが分からない詩なのだ、と。

 それで、書いているほうは「贅肉を削ぎ落とした、簡潔で、表象性ゆたかな表現だ」と自負していたりする。

 本当のことを言ってしまえば、「内容空疎というお寒い現実」しかないから、言わぬが華だと默説法を装っているだけなのかと、...辛辣すぎるかな。このような詩と、現在書かれている意味を拒否する詩とは、現実認識においてまったく異なるものだと思う。


 さてと、本題に戻ろう。私が本当に問題としたいのは、默説法そのものではない。
 内部世界と外部世界が相わたる場で成立する詩で、内部世界だけを描くという自閉的表現自体にはどのような意味があるのだろうか?

 批判するのは簡単だけれど、じつはこの退行的現象にはエピステーメーの変化が係わっているように思う。
 それこそ大げさな言い方になってしまうのだけれども、世界認識の変化に戸惑っているということなのだ、と考えられる。

 長くなりすぎるので、次回に回したい。

 (初稿 2011/11/23   公開 2011/11/25)

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このページは、小林由典が2011年11月25日 23:03に書いた記事です。

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