2011年6月アーカイブ

ポラニーの出発点は、「我々は語ることができるより多くのことを知ることができる」という事実である。
 多分に西洋的なこの命題に私は多少なりとも違和感を感じますが、まずその辺から取り上げていきたい

我が国では、科学的といえばきわめて客観的な方法であるということと同義語のように扱われている。けれども、認識論的にみればデカルト的コギト、反省以前的なコギトですね。

自然主義文学という名の日本的私小説の流行について、安藤次男を引用したい。 自然主義は本来自然科学的な精神と方法とによって人生を客観的に見ていこうというものであった、が...、

日常的な言葉使いが言葉の意味性や伝達性をめざして使用されるのに対して、詩のことばは非指示性や非伝達的な側面(感覚的な側面=シニフィアン)に向かって追求されるものだ。

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