2011年5月アーカイブ

サティシュ・クマールの『君あり、故に我あり』-依存の宣言-と、マイケル・ポラニー『暗黙知の次元』-言語から非言語へ-と、 二冊の本を読みはじめ、そうだよ!という共鳴を禁じ得ない。

前回は変な切り分けをしてしまいました。過去に読んだものの出典を探すのは、本探しになるため手間がかかります。今回は(6) (8) [ 谷川俊太郎 ]と、(7) [ 鈴木志郎康をとりあげたい。

前回の「現代詩人のことば」はググっても載っていない書籍からの出題でしたので、一応出典を解説しておくべきかと思います。」

自らの日常生活と詩との関係をどう見るのかによって、詩は二つの分かれ道にさしかかる。大衆意識の内側にとどまるのか、大衆意識の外側で言語表現の可能性を追求するか...。

ふと手にした吉本隆明『読書の方法』から、芋づる式に『戦後詩史論』、とりわけ第三章の「修辞的な現在」について、思想論と詩とを媒介する言語の問題について、偏りのない筋道を辿ってみたい。

「新体詩運動の発生以後、近代詩から現代詩さらに戦後詩へと詩の質的転換をうながして来たものは、詩的精神の自由と深化を求め、無限の可能性に挑みつづけてきた詩的情熱にほかならない。」

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