堀川正美 『秋』のパロディー顛末記

ひとくちに感動といっても、五感から受け取る感覚に依拠するものから、知る歓びみたいな形而上学的な感動もある。おもしろみとかポエジーの有り様も、様々な階調があるだろう。

 詩は現実生活の様々な局面で感じるポエジーのrepresentation(言葉による言い表し)である、というのが発生的にみた伝統的詩歌観だとすれば、現代詩というのは言葉自体がつくり出す非現実世界そのものだ、という対極的な位置にあるといってよい。

 この両極の階調のなかに、それぞれ個性的な作者群がポジショニングを占めているわけです。
 けれども、このポジショニングというのは必ずしも固定的なものではない。

 長谷川龍生の言葉を借りれば、「十年一日のごとく、同じ調子の作品を飽きもせず作っている人がいる。 才能というのは、一つのところにとどまっているものではない」と。
 たとえば谷川俊太郎のようにさまざまなポジショニングの詩を書くのは才能のなせる技なのだ。

 そして長谷川龍生は「メジャーはマイナーを含むが、マイナーはメジャーを含まない」と断じる。

 たとえば、短歌や俳句の世界では連という考え方があり、何派であるかが重要になってくる。その祖師の作風から外れた作品は評価以前に、「馴染まない」としてはじかれてしまうことになる。

 自由詩であるべき現代詩においても、サークルなどでは、先生が生活詩派ならば、メンバーもいわゆる生活実感をうたう具体詩の人がほとんどになる。


 私は、そういう詩も書きますし、内容によっては現実と非現実がシームレスで行き来する詩も書きます。現在と過去、東洋と西洋、意識と無意識などデジタル的二分法ではなく、シームレスに自由な往還をする詩を書きます。伝統的詩歌観を否定して出発した現代詩ですから、当たり前の話かと思うのだけれど、どうもそうではないのだね。

 私のような詩は、他の人たちには理解されないわけですが、どうも自由な物の見方ができない人たちだなという気がしていました。
 いわく、さっぱり意味が分からない、知性優位すぎて冷たい感じとか、はっきりと言わないまでも遠回しに言われます。

 けれども私は先端的な現代詩も読むし、サークル詩というものも読みますが、理解できないという詩はありません。
 けれども習作の過程で触れてきたような詩は、批判的に乗り越えてきたようなものもありますので、もはや捨てて顧みないという感情を懐くことは多々あります。たとえば四季派的抒情だとか、田山花袋的私小説につらなる自然主義だとか、社会主義リアリズム系の生活詩だとか、マチネポエティックのような非日本語的試みだとか...。

 思うに、頭が固くなったりしていたのでは、詩人として失格だろうなといわざるを得ないでしょう。

 そこで、最近見つけた堀川正美の詩を素材に、あるいたずらを試みてみました。
 初めに、原詩を掲げておきます。


                            堀川正美 (一九七一年)

     一瞬の水銀の光はちらばりさって
     残り残りの紫から
     沈黙がひろがりはじめる
     いまこそ太陽の やさしい恩寵があり
     空気のふるえる愛撫
     なめらかであたたかい水の循環もあるが
     空間の精霊
     花ばなのささやきは静まろうとしている
     樹 石 金属の壊された痕跡
     やわらかいものから離れた 人間の
     手の旅が 都市となって
     墓所は各地にきらめくけれども
     出発の記憶はブナの樹たちの
     音なくゆれうごく梢の
     こまやかな透けるばかりの歌にとけて
     みいだせることはない
     そうして 感受性の旅は──
     海のひびきに帰るだろうか
     なぎさはいつも いたるところにあるが
     人の声 顔 かずかずの言葉も
     永遠の泡となってただようのだろうか
     あるいは鳥や魚の死骸 貝殻 木片 油
     さまざまなちりあくたのように
     うちあげられて遍歴の海岸をふちどるのか
     ──生は そこに ありつづける
     いまはここ 森のはずれで
     ほろびたわれわれの国ヘの
     かなしい侮蔑に ひたされることなく
     眼は見 耳はきく
     輪廻する死者たちの霊が
     花ばなや樹々としてまだ息づいているのを
     そして 世界の終りの おおきな翳は
     アウシユヴィッツと ヒロシマから
     かじかんだ魂の地球に ゆるやかにひろがる
     さようなら 羊水の大空と海
     降りしきる金属箔のひびきにみたされて
     この秋はまもなく終る


 この詩を読んだ時、なんという言葉使いの名手なのだろうかと舌を巻く思いでした。たいへん知的な感動をおぼえた、ということです。

 前回述べましたように、このような詩は意味をたどろうなどとせず、作者が繰り出してくる言葉に添ってゆっくりと歩いてみればよいのだと思います。現実のrepresentationという考え方では、出だしからつまずいて、先に進むこともできないでしょう。

 一度くらい読んだだけでは理解不能のように思われますが、じっくりと読んでいけば、昭和という現代社会の文明批評が、一切の説明語を用いずに象徴的に表されているなと感じられてくるのではないだろうか?

 この詩の中で、
「アウシユヴィッツと ヒロシマから」という2つの固有名詞は私が生きた時代以前のものですから、
 コンテンポラリーな言葉として...、

 ・ヒトラー・ドイツのアウシュビッツは、米軍による捕虜収容所である「グァンタナモ」に、
 ・ヒロシマへの原爆投下は、「チェルノブィリ原発事故」へ、と差し替え、
 タイトルを『秋・九分九厘その終わりに』とし、
 「パロディー詩です」と断って、合評会で読ませて頂きました。

 どこがパロディー詩なの?という質問がありましたので、
 タイトルにその仕掛けがセットしてありますとだけ答えました。
 九分九厘は堀川正美の「秋」という詩ですが、
 その終わりのあたりに書き替え=パロディーがある、くらいの意味ですね。

 ...であるにも係わらず...

 例によって、(私の?)詩は言葉が多く、饒舌だと批判的な批評が出てきます。
 別な人は、まったく意味が通じないと、感想すら出てこない様子でしたので、
 種明かしをして、解説をすることにしました。


 アウシユヴィッツと ヒロシマからを書き替えてあるので、
 ...元のイメジが解らなくなるかもしれないと。

 出だしの、水銀の光というのは、水銀灯という意味ではなく、水銀が散らばった時のような光り輝く微細な球体という言葉の世界の「光のイメージ」というだけでいいのではないか。

 残り残りの紫とは、多分原爆の光を目にした人の網膜に残る丹光にも似た光の色をイメジしているかと思う。

 そのような状況では、人々は皆倒れ伏し、一瞬の叫喚の後に沈黙がひろがり始めるだろう...

 ...このようにしてあえて読み替えることで、この詩は最後まで読み解いていけるレベルの難解さを示してはいるけれど、そういう読み方は堀川正美にとっては迷惑か少なくとも不本意な読まれ方なのだと思えます。

  樹 石 金属の壊された痕跡        原爆の後の光景         
  やわらかいものから離れた 人間の    木と紙の家から鉄筋コンクリートとサッシの家など
  手の旅が 都市となって           手道具から機械へ、テクノロジーの発展

 要するに、現代の物質文明を硬いものと感じ、昔の世界はやわらかいもの、という感覚を懐いているのでしょう。

 このような読み替えは可能だと話をしたところ、
「そういう説明がなければ、やわらかいものから離れた 人間の手の旅なんて、意味が分からない
...と言われました。
 (私の詩ではありません。作者に言って欲しい! のだ)

  あるいは鳥や魚の死骸 貝殻 木片 油
  さまざまなちりあくたのように
  うちあげられて遍歴の海岸をふちどるのか


 この辺の情景は、前回の私の詩『貝紫の時間』に似たものがあります。
 実は、このパロディー詩を作る前に、堀川正美の代表作である『太平洋』の中から「へんなひと」を素材にパロディー詩を作ったのですが、現代詩手帖に載っていたこの詩の方が、印象的により私の今の詩に近いと感じ、こちらを使ったわけですね。

  感受性の旅は──
  
  ──生は そこに ありつづける

 までは、詩人の苦闘と孤独を感じさせます。
 前回の私の詩『貝紫の時間』と地続きだと感じ、
 自分と同じような感受性の詩人がいると、心強く思いました。
 このへんは情緒的な感動をおぼえた、ということになるのかもしれない。

   眼は見 耳はきく 

 この部分ですけれど、
 どうも田村隆一の『虹色の渚から』前後の詩群と対照的な印象を強く感じます。

 「 ぼくらの時代が感覚的な時代なら
  ぼくらは耳を手でふさいで聴かねばならぬ
  ぼくらは目をとじて見なければならぬ」

『空耳』
 「 わたしの耳は海の音をきかない
  わたしの眼は水平線を見ない」

 堀川正美は谷川俊太郎や大岡信らと同じ「感性の祝祭」と称される詩人の一人で、
 荒地派の詩人が持つ過剰な倫理的態度や思想性を排して、
 言葉の自律的な働きや言語芸術という考え方を強く持っていました。

 堀川のこの詩は現代詩手帖1971年3月号に、
 田村隆一の詩の後に並んで掲載されています。
 少なからぬ因縁が、見えない糸のごとくからんでいるように思えるのですが...。

  さようなら 羊水の大空と海

 この行について、世界が大きすぎる、という感想がありました。(堀川正美の詩なのですが...)
 私詩を書いている詩作者からすれば大きすぎるということなのでしょう。
 男性性の考え方は社会とか世界というものを常に意識していますので、当然スケールが大きくなります。「羊水」という胎内の現象と、自然界の「大空と海」とが結びあわされる、そういう言語感覚について行けない、ということなのでしょう。

 この詩は昭和という時代の文明批評の総括みたいなものですから、
 時代的世界的パースペクティブの広がりがあるのは当然でしょうね。

 それよりも、スケールが大きいことが悪いことであるような生活実感詩の論理の方が「スケールが小さすぎる、矮小だ」と問われてしかるべきだろう、
 ...と考えます。現代詩は生活綴り方の延長にはないのだから。


   降りしきる金属箔のひびきにみたされて
   この秋はまもなく終る

 私はこのエンディングの二行に、雷に撃たれたような感動を覚えました。

   降りしきる金属箔のひびき

 ...とは、どういうものなのでしょうか?

 それが分からなければ、感動のしようもありません。

 この詩の出だしを思い出してみて下さい。

  一瞬の水銀の光

 ...水素爆弾のイメジです。
 液体金属である水銀のたとえは、実に不思議な感覚を詩全体に与えているように感じます。
 ひとつ言えることは、あくまでも無機質な質感を持っている、と。

 やわらかいものからはなれた人間がつくり出した現代文明は硬いものというイメジに満ちている。
 その現代物質文明は、自然的な人間の前に圧倒的なものとして立ちふさがっているのだけれども、実は精神的には非常に薄っぺらなものでしかない、と詩人は見透かしている。
 金属箔のメタファーは、薄っぺらであくまでも無機質な文明の有り様を象徴して余すところがない。

 さらにいえば、放射性物質が空から降ってくるわけですが、
 セシウムやストロンチウム、プルトニウムなどは元素の周期律表で分かるとおり金属元素です。
 つまり、放射性の金属元素が空か降ってくる。それは目に見えないものですけれど、
 堀川正美は降りしきる金属箔のひびき」とイメジ化してみせたのだろう。
 ...ほとんど絶句するほど見事な比喩だといってよい。「秋」とは autumn ではなく fall なのだね。

 感受性の旅という詩の趣きの裏に痛烈な文明批評が込められており、
 生半可な文明批評などとても及ばないような強い思いを、私は見いだす。


 いわゆる「難しくて分からない」詩の代表格であるこの詩も、
 方法論がわかれば作者の統覚は確実にたどれるものだし、
 そうでなくとも綱渡りのような言葉の選択の連続を虚心になって味わえば、
 ...深い感動をえられるものですね。

 感動できない、と情緒的に否定する人は、実に他者の詩を読み込む能力に欠けていると言わざるを得ないでしょう。

 自分の感覚尺度がすべてという人に、方法の異なる他者の詩は読めないというだけのことです。
 

 堀川正美は魂から言葉を削り出すように、一語一語積み上げていく人だったという。
 詩作は推敲に次ぐ推敲の連続で、
「ずうっといつまでもやっていて、何時が完成なのかわからない」という感じなのだそうだ。
 たいへんな遅筆の詩作者だと。

 三木卓は「それは精神の階段をのぼりつめていくようなものだ。
 言葉が負っているものに耐えながらさらに深みへ足をはこんでいく行為が、
 逆にかれの特徴であるあのことばのかがやきをもたらすのだろう。」
 ...と述べている。

 そういう堀川正美の詩を饒舌だと評した人を私は他に知りません。
 けれども、
 私が転記した「秋・九分九厘その終わりに」は「相変わらず饒舌だ」という人がおられる。
 私が書いた詩だと誤解しているのでしょう。

 そういう人の鑑識眼が本物なのか偽物なのか、この詩で試してみたのだ。人が悪いね...
 この詩が、堀川正美の代表的な詩だとわかると口をつぐむ他ないでしょうね。 (背後の笑い)
 (一転、「珠玉の言葉だ」ということになるのかもしれません。)

 フッサール現象学の先入見を持ち出すまでもなく、
 仏教の唯識論にあるように「人は自分に都合のいいようにねじ曲げてものを解釈しているのだ」
 ...ということになるのかな。

 詩を書く分には何を言っても人それぞれですけれど、
 批評とか鑑賞となると恣意的な解釈は慎まねばならない。
 作者と同じような共通感覚をもつことが大切であり、
 広い見識や多様な物の見方を身につけていなければ、
 単なる個人的趣味の吐露に堕するだろうと思う。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://mediaxross.net/xnt/xzx/mt-tb.cgi/93

コメントする

この記事について

このページは、小林由典が2011年2月19日 19:18に書いた記事です。

ひとつ前の記事は「秋山公哉「交河故城」、私の魂が還っていく場所とは」です。

次の記事は「田村隆一 ぼくの鎌倉百景 「野原の中には」」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

カテゴリ別記事一覧

アーカイブ

OpenID対応しています OpenIDについて