「ざこキャラ」とは...(3) 言葉のふるまい

 最後は、言葉そのものの性格と、発語者の意識の問題の関連へと掘り下げています。
 「意識の下で/未だ音声にならない発語のすさみに/ハッとする」自己を対象化することだ。

 同音異義語が多い日本語でひらがな表記をすると複数候補のどれなのか確定しにくいことがある。
 漢字で記してあっても、読みの連想から別の意匠を引き寄せることもできるだろう。

 欧米の言語の場合は表音文字なので、頭韻や脚韻をジャパナイズして、懸詞(掛詞)や類語・縁語という日本語的シニフィアンとして、ことば遊び的に表現することもあるだろう。 

 懸詞(かけことば)の例として、『※しろ示す』に収録した「ノンシャラン」後半にある......、
      生沼に
      秋のきぬ晒し

 これは、「老いぬ間に 飽きの来ぬ」という意味を掛けている、伝統的な懸詞の例ですね。

 ことばには辞書的な意味を持つ表の意味(デノテーション)と、
 それから派生している裏の意味(コノテーション)とがあります。
 裏の意味は、個人的な経験に基づくものから、伝統的短歌の世界で多用されている懸詞や類語・縁語といった文化に根ざしたものまで、多様にあります。

 このようなことばの性質から、本人が意図しないあるいは意識していないことばのコノテーションが一人歩きする、という事も起きてきます。

 我が家のざこ君は学校の工作(陶芸)の時間に、アンコウを制作した。
 その歪み方がシュールで面白く、ずっと廊下に飾っておいたせいか、類似感を覚えたのかと思う。

 けれども焼き物のアンコウが、「アンコウ」ということばに変わってしまうと、
 そこにコノテーションの一人歩きが立ち現れてくるのだった。

 自分もまた、浅薄なことばを口にして日常生活をおくっているのかもしれない、
 ...と心する必要がある。

 最後の「キャッチ&リリース」というのは、表現の宿命的な構造だね。
 谷川俊太郎の「メランコリーの川下り」と通底する問題だろう。

 それにしても、洪水のように押し寄せてくる表層語のかずかず。
 われ関せずと自意識の円環の中で、詩的レトリックに終始している詩人たち。

 詩の世界に身を置いているのだろうか?と考え始めると、たいへん心許ないものがある。

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このページは、小林由典が2010年8月13日 22:15に書いた記事です。

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