『ユネンティダ』(飽浦 敏)の価値(4) ニライカナイ

この詩の背景となっている<オボツカグラ>と、<ニライカナイ>......それは垂直の権力構造と水平の楽土。それを見る視線こそ、詩の意味性を左右するのではないか。

 「ユネンティダ」に内包されているいろいろな要素が錯綜していることが次第に見えてきました。
 この詩は『おもろさうし』に視られる<オボツカグラ>の垂直な形成過程をひっくり返して成立している。
 では、按司時代に末分化であった<ニライカナイ>の水平的形成に対しては、どうなのか?

 それを検証するために地図を掲載したわけです。

 なぜ真栄里村という実名なのか、といえば、
 ひとつにはふるさとへの郷愁、というものがモチベーションのひとつとしてあるからなのでしょう。

 そしてもう一つが、リアリズムの意識なのでしょうか。記述と地図がピッタリ一致する。

 「おもろさうし」で詠われる太陽はほとんどが東天の太陽(東方=あがるい)の大主であり、
  中天で照りつける太陽ではない」

 ......作者は「おもろさうし」を離れて、自ら体験した真昼時の陽炎の、過酷な労働の風景を描写し、それを「戦い」と表現した。

 そして、「日は茜に空を染め野を染めて」...「解放されたかのように」と続く。

 皆さんはこの夕焼けの光景をどのように想像されるでしょうか?

 夕日に向かって歩いている、という印象を受けるかと思います。
 私は以前に、夕焼けの風景を書いたことがあり、夕日に向かえば建物や山波はシルエットになってしまうということをイメジしました。

 ですから、地図を参照したわけですが、この帰り道は南西から北東に向かって歩くことになります。
 つまり、左後ろ45度くらいの角度から夕日が差して、北東に向かって歩いて行くわけです。

 それを大きな地図で見れば、まっすぐ本土あるいは首都方面に向かっているわけですね。
 ニライカナイというのは太陽が昇ってくる方角を漠然と指し示しているということで、<ニライカナイ>の彼方にはヤマトがあるという図式になってしまいます。

 『出発はついに訪れず』のミホは、島尾敏雄隊長をヤマトの荒ぶる神として受け入れる。
 ...この構図とイメジが重なってしまうのですね。

 『ユネンティダ』の対照関係の諸々が、最終連で一本の道に収斂していく。
 その道が<ニライカナイ>を暗示し、さらにはヤマトの荒ぶる神の国をも表象してしまう。

 少しばかり不都合な真実ではないのだろうか、と。
 吉本隆明は戦後詩とは何かで、「戦後詩とは戦争を通過しうる(思想と倫理性をもった)詩を意味する」と、独特の言い方をしています。

 そういう基準から見ると、この詩のリアリズムは不都合な真実を内包しているな、と余計な心配をしてしまうわけです。

 真栄里村ではなく、ただの村とすれば、このような不都合は起こらないはずですが、真栄里村と記述する作者の意識が、どれほどこういう不都合を見据えて確執しているかといえば、多分そういうことは想定外のことなのかもしれない。

 先に述べたクバ笠も、オボツカグラに対するアンチテーゼとして意図的に表現されておらず、風俗として表現されているのかな、という気もしないではない。

 まあ、そこまで深読みする人はほとんどいないでしょうから、単なる私の深読みに基づく杞憂でしかないのでしょう。

 この詩の表現的な面だけを見ていくと、

   私の側すり抜け先へ行く 蹄の音が
   俯きがちな背を こつこつと叩く。
   ふと背筋を伸ばす 目の前に
   茜に染る道が 一筋
   すーっと延びていた。

 ...というあたりが、動的なリズムと像的な展開が調和していて印象的だな、と感じます。

 けれども、表現としてさほど高度なものはどこにも見られません。
 にもかかわらず、この詩を取り上げた理由は、伝統的価値観あるいは神権から王権へという道筋を切り開いた『おもろさうし』に対峙して、現代詩として再構築した作者の世界の総体的な重みを感じるからです。

 たとえば、引用されているトゥバラーマの一節...

 歓世の訪れは何時のこと?
 世の波風荒いなか
 お達しはきびしくなるばかり

 これを戦争初期の情景だと受け取る方もおられるかもしれない。
 実際、この詩全体が戦争の影を表象し、庶民のしなやかでしたたかな生命力を表現しているという見方も成り立つと思う。

 元の琉歌の意味は、「次第に按司様の統制がきつくなるが、何時になったら離島苦から逃れられるやら」ということになる。

 島人と按司と琉球王権との関係は、古代になるほど緩く、按司と王権の関係は相補的なものであったようだ。
 それが、琉球王権が確立していく過程で、その<オボツカグラ>の縦の従属関係に再編されていくわけです。

 島ちゃび=離島苦というのは、ただ単に気候風土的厳しさだけでなく、王権による過酷な人頭税の取り立てと人減らし地獄が加わって成り立っていた。

 そして、琉球王権はさらにヤマトの島津藩による圧政によって、さらに人頭税の取り立てを厳しくすることを余儀なくされるという二重圧政構造となっていた。

 すなわち、庶民は二重三重に搾り取られる存在であった。

 その構造は、現在でもさほど変わりはないといってよい。

 按司に代わって米軍が駐留し、日本政府による棄民にも等しい過重な負担......

 南方的で素朴な風景を描いているようですが、その背景は大変重い歴史的現在を内包している。
 一篇の詩としてだけでは評価しきれない、大変良い仕事をしていると思う。

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このページは、小林由典が2010年8月 8日 12:11に書いた記事です。

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