『ユネンティダ』(飽浦 敏)の価値(1) 言語環境

『日本現代詩選』第34号 (日本詩人クラブ)所収、「ユネンティダ」(飽浦(あくら)敏)。この詩人が背負っている豊かなカオスに、たいへん興味をひかれるものがある。

 この詩は、この詩だけを取り上げてその芸術性を云々するよりも、詩人論と不可分にある言葉の発生あるいは表現の出所に、同じ表現者として興味を抱かずにはいられない。

 そしてまた、この詩は単独での評価以上に、詩集単位あるいはこの詩人の全仕事で視ていくときに、県民栄誉賞のような価値を持つのであろう。

 飽浦という名前が読めず、調べてみると備前国(岡山県)児島湾を臨む瀬戸内海側の少し内陸部にある飽浦というちいさな村落にたどり着く。

 飽浦氏はもともと、南北朝時代に北朝方の武家である佐々木氏の流れをくみ、飽浦周辺を所領とした時期に飽浦姓を名乗っている。
 飽浦信胤 (あくらのぶたね/生没年不詳)は本名を佐々木信胤、佐々木三郎左衛門、佐々木三郎左衛門尉信胤とも。

 信胤は、お才の局との私情から高師秋(こうのもろあき)と対立し南朝方に寝返り、児島地方の伝承では北朝方との戦にやぶれ討ち死にしたとされる。
 その際のお才の局との恋物語はよく知られており、地元の踊りや農村歌舞伎の演目として現在も伝えられている。

 その後はまた、北朝方細川師氏の家臣となり小豆島肥土荘を領した。

(以下は単なる推測です)
 一族の一部は海路を九州南部方面に逃れ、トカラ列島を伝って交易のあった沖縄に移り、琉球王府の施策(外来者を強制的に石垣島に移住させた)により石垣島に移住したのではないか。

 さて、次の詩から分かるのは、飽浦敏さんは石垣市真栄里村の出身らしく、
・島言葉(ウチナー口)と島の文化で育ち、
・母語として内地の言葉(いわゆる標準語)を身につけ
・祖先の地である小豆島を圏内に持つ大阪に出て関西弁の世界で、標準語の詩を書き、
・故郷であるヤイマ(八重山)への望郷にあふれた世界を再構築している...

 ...ということになるでしょうか。

 飽浦さんの詩の世界は、言語的文化的に様々な要素が混じり合っており、それらがきわどいバランスでうまくいっている、ということが特徴のように思います。

 私は、この一篇しか読んでおりませんので、あまり敷衍したことまで言うべきではないのですが、この中には多くの要素が含まれており、それらの総体が醸し出す背景それ自体が、詩の意義を形成しているという気がします。

 yunenteda.gif

 (注)・ユネンティダ ...夕日
    ・トゥバラーマ ...愛しい人におくるうた
    ・クバ笠     ...クバの葉で編んだ笠
    (以上、八重山地方方言)  

 ユネンティダは夕なるテダ(読みはティダ)ということで、八重山方言のウチナーぐちで書き表されています。

 「スッタフリダーヤ」でも記してありますが、私は島尾敏雄のいうヤポネシアを放浪していた時期があります。

 沖縄は那覇の国際通りから入った裏通りの飲み屋さんで、そこのママさんから、
 「お客さん、ヤイマでしょう」
 ......と言われたことがあります。

 ヤイマとは八重山諸島のことで、本島の人間ではないということですね。
 「よく分かりますね。どこだと思います?」と、とぼけると、
 「石垣ね。分かるのよ」...と。

 ヤイマと言っても、本島に近い宮古島と台湾に近い与那国では、かなり違います。
 与那国のことを地元の人は「どなん」と呼んでいるように、ネシア系南方語の色彩が強くなる。

 ただ一つ、石垣島だけは長年島民が定住できず、島の伝承では本島系の2家族が根の人として最初に定住したとされます。

 琉球では「根」の観念が極めて強く、村落の草分けの家を「根所」と呼び、その戸主が「根人」、根人の娘は聖なる「根神」役を世襲する。
 島そのものを「土根」(どに)と呼び、耕した水田の水面から出ている土塊も「どに」と見なす。

 その後、琉球王府の施策により、内地から本島に流入した島外人を、この不毛の地であった石垣島に強制移住させたという歴史的経緯があります。

 ですから、石垣島では島民が亡くなるとほとんどが本土からの移住ですので、遺骨を本島に還すのだという。今日、DNAの鑑定が為されていますが、石垣島の住人の大半は九州南部を中心とした本土の人たちの系統であり、琉球人とは異なっているのだという。

 私は東京生まれの宇都宮育ちで、父方の姓は磯といい、栃木県北部に本家がある。
 この大陸浪人の父から読み書きを保育園児の頃から情け容赦なく躾けられたせいか、いわゆる栃木弁はまったくしゃべらなかったのですが、「い」と「え」の区別を曖昧に発音する栃木弁のクセは受け継いだようであった。

 沖縄地方では、ごぞんじのように「あ い う え お」を「あ い うぃ う」と発音します。
 「え」を「い」と発音するときは、短母音に変化する。あいまいな「い」です。この発音も、島によって特徴がありますが、アカデミックな言語学に深入りしてしまうので触れません。

 那覇の飲み屋では、当然のことながらウチナーぐちが出るはずもなかったのに、石垣出身だと誤解されたのは、ぼそぼそとしゃべる「い」「え」あいまい発音が誤解されたのかな?という気がします。
 眉が濃く、口ひげを蓄えていたので、顔つきだけはウチナンチュ然としていたのでしょう。

 トカラ列島の諏訪之瀬島に数週間滞在していたときに、島の老女と話をしていて「大変古風な日本語を使うな」ということに気づきました。

 そして、島尾敏雄の『出発はついに訪れず』の舞台となった奄美大島の加計呂間島に滞在したときも、おばさんの言葉が古い日本語をしゃべることに気づきました。

 加計呂間の島言葉は島尾ミホ夫人の昔話の語り口を聞いていましたけれど、島の人同士の会話はまったく聞き取れませんでした。母の田舎の津軽弁同様、全くの異言語の世界。
 加計呂間言葉は、奄美でも独特なのだという。

 こうして、鹿児島から与那国まで放浪しながら、島ごとの言葉の違いということに気づかされたわけです。

 これを文献学的に少し詳しく調べようとして、出会ったのが琉球王府が編纂した『おもろざうし』です。
 「おもろ」は「うむる」と発音しますが、ウムルはウムイ(思い)のことで、なんかオモロい俗謡だなんて誤解の無いように。島人たちの様々な「思い」が詠われた、古い詩歌群を纏めた物です。

 前口上だけで、「ユネンティダ」に触れることができませんでしたので、次回もつづけていきたいと思います。

      「ユネンティダの価値(2)」に続く

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このページは、小林由典が2010年8月 7日 11:14に書いた記事です。

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