アルベルト・ジャコメッティの視線(4) 絶対的距離

見えるように描き制作するというジャコメッティの特異な作品。他方、リアリズムの描写は無数の視点移動によって成立しているのであり、そのの方が非現実的な視覚だといえる。

 いろいろ述べてきたなかで、ジャコメッティの視覚表現はフォト・リーディングである、ということはよく知られていることだと思うのでそれを前提として、詳しくは記述をしてきませんでした。

 私はヤマメ釣りやタナゴ釣りの経験から、宮本武蔵が『五輪の書』で説く「見の目弱く、観の目強く」という見方に納得し、周辺視という視覚を身につけました。
 剣の立ち会いでは、相手の目を見ながら、なおかつ相手のわずかな動きをも見逃さないためには、相手の目を見る見方を弱くして、動きを捉える見方により多く注意を注げ、ということです。

 けれども、周辺視という言い方は、釣りの目印を視ながら同時に周辺にもまんべんなく注意を注ぐ、というケースではぴったりなのですが、対象を捉える視覚表現としては適切ではないかなと反省しています。
 というのは、周辺視の部分は、正確に言いますと動体視力を動員しているからなのですね。目印を視ながら、目印周辺の魚の動きに由来する視覚刺激を捉えるという、二つの視覚を同時に使うのが周辺視の特質です。

 これと似たような対象の見方に、速読でいうフォトリーディングというのがあります。これは、文書の文字情報を写真映像のようにとらえる見方で、後から残像を想い出して文字として意味認識を追加するという方法です。

 こちらの方がジャコメッティの見方に近いのですが、それでも異なる部分があります。
 フォトリーディングの場合は、全体をまんべんなく画像情報として捉えるわけですが、ジャコメッティは鼻の頭あるいは目と眼の間から額にかけての第三の目というものが想定されるあたりに視点を固定して、静的周辺視を行うのですね。

 これは、たとえば子供の絵と比較してみるとわかりやすいでしょう。
 子供の絵は樹木を描こうとすると無数の葉を描き込みます。
 手前の枝の葉を描く視点、木の上の方の枝の葉を描く視点...と細部をジロジロ見る無数の視点で成り立っているわけです。

 けれども私たちが一本の樹木を見る場合、そんな風に一度に無数の視点で見ることなど不可能です。
 一枚の葉っぱをジーっと注視すれば、他の部分はぼやけてしか見えていないはず。

 モデルのデッサンであれば、対象を見るジャコメッティの眼はけっしてキョロキョロ見回すようなことはなかったと思う。
 モデルの目と目の間の、少し手前あたりの空間を見つめて、かつ頭部全体を見ることができる最短距離をおいて頭部全体を眺め、その残像(印象の記憶)を見ながら、制作をしているはずだ。

小像         (小像の制作過程 1960年)
 ジャコメッティの妥協なき終わりのない制作の日々が刻まれていく

 このようにして見られて、その残像をもとに制作された彫刻は、その絶対的距離感をもつ明確な細部を持たない形態となる。
 だから、見るものが彫刻に近づいて行き、間近で見たとしても、制作時の距離感を内包した像としての形態をしか見せない。つまり、細部が良く見えるようになることは決してないわけです。

 これがリアリズムの彫刻とかであると、近くに行けば髪の毛一本も識別できそうに細部が見えてくるのだけれども、ジャコメッティの彫刻では1メートルに接近したとしても、制作時の3メートルとかの距離を絶対性として保持し続けているから、離れて彫刻を見たのと変わらない、ということになる。

 ジャコメッティの彫刻は、絶対的な距離を内包しているといわれるのは、この事をいっているわけです。

 つまり、リアリズムの彫刻というのは、実は上下左右360度の視点から見られた、現実にはあり得ない視覚像なのだということになる。端的に言ってしまえば、非レアリズムなのだと。

 ジャコメッティこそ、正当派のリアリズムだということになろうか。
 いや、かれの言葉を援用すれば「レアリテイスム」という混合語になるかな。

 けれども、平面に描く絵画では、ちょっと事情が違ってきます。それについては、次回取り上げてみたい。

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このページは、小林由典が2010年1月16日 22:27に書いた記事です。

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