作品(28)で、自分の視覚体験を表現しようとしていますが、未完のまま終了ということになりそうです。
その経緯を述べることはすなわち、藤林叡三の絵とジャコメッティの彫刻を比較することにつながりますので、さらにジャコメッティについて話を続けてみたい。
その経緯を述べることはすなわち、藤林叡三の絵とジャコメッティの彫刻を比較することにつながりますので、さらにジャコメッティについて話を続けてみたい。
つながりからいきますと、作品(28)を公開状態にしないと意味が解りにくいのですが、それは後の課題とさせて下さい。(昨日、2010/01/04 とりあえず、公開状態にしました)
メルセデス・マッターの『試論』から、ジャコメッティの言葉を引用します。
「ひとは生きている人物を彫刻したいという欲望を抱いているが、しかし彼らのなかにある生命に関するかぎり、彼らを生きたものにしているのは"まなざし" であることに、疑いはない。それは非常に重要なことである。そしてもしもまなざし(すなわち生命)がいちばん主たる関心事になれば、まずなによりも重要な のは頭部なのである」
しかし、このまなざしをとらえることがジャコメッティにはほとんど不可能におもわれた...
「頭 部をうんと離れたところから見ると、ある球体という印象をうける。うんと近づいてみると、球体であることをやめ、深みを持った極度に複雑なものになる。す べてが透明になり、なかの骨格がすけて見える。何がいちばん困難かといえば、全体を、そして諸処の細部と呼ぶことのできるものをとらえることである。
だから、私は眼のことだけを(中略)、眼だけを考える。もしも、たとえおおよそでもいいから、片方の眼だけでも、ほんのわずかだけでも模写することに達しうるならば、そのあと頭全体をもとらえうるだろう、と感ずる。
だがしかし、それは全く不可能らしいのである。すぐに外見のことを考えるわけではなくて、むしろ形態(中略)、形態の外観の方のことを考える。もし眼の形態をとらえることができたら、それが外見に似てくるだろう」
この「生命」とはその人の形態の中にありながら、その人の存在を越えるものなのだ。
私が突き当たったのも、これと同じ問題だったようだと思う。
ジャコメッティはエジプトやギリシャの彫刻からセザンヌにいたるまでを、徹底的に鉛筆の先(模写)で検証するという膨大な営為を経ていますので、
「すべてのものは球か、円錐か円筒形である...それは事実だ。その観察を最初に(自分が)したのではないのは、なんともうまくない(残念だ)。セザンヌは正しかった」と、述懐している。
ただし、セザンヌのこの認識からキュービズムが生まれたにしても、それはセザンヌの絵の本質的な部分だとは言えない。
ジャコメッティがエジプトの胸像ややパドーヴァの路上で、目の前を歩いている二、三人の女の子に感じたのと同じものをセザンヌの絵に見いだす、というのは生命あるいは自然の表現そのものにあるのだろう。
「セザンヌは、頭部を物体のように描くことによって、ジオットー以来有効だった外界の再現ということに一種の爆弾を投げ込んだ。
左耳と右耳の関係よりも、左耳と背景との間の関係をよりはっきりつくり出すことによって、
頭髪の色と頭蓋の形の関係よりも、頭髪の色とセーターの色との関係をよりはっきりつくり出すことによって、
頭部のまとまりということに関して、彼以前に存在していた概念を、彼は打破した」
...とジャコメッティは指摘している。
この問題について、セザンヌ自身は、次のように述べている。
「自然は深みの中にある。画家と、彼が主題にした対象との間には、ひとつの面、空間が介在している。この空間が不変の基盤を形成し、そのスクリーン上であらゆる異なった色彩、光のあらゆる変容が、分解されるにいたる」
上のそれぞれの発言に、セザンヌもジャコメッティも同じ結論を付け加えています。
「それは、総合と全体の調和に貢献するなかで、絵の外側の殻を作り上げる」(セザンヌ)
「私は内側のことであれこれ考えることはなく、外側だけで問題は山積みだった」(ジャコメッティ)
メルロ・ポンティはセザンヌについて「奥行きを追求しているとき、セザンヌは<存在の燃え拡がり>をこそ求めているのだ」と述べている。
フランス文学・哲学者の小林康夫は『無の透視法』の中で、セザンヌの本質的な探求はジャコメッティのような画家が出現するまでは、誰にも継承されていないのだ、という意味のことを書いている。
いまの私にはある程度了解済みのことではあるけれども、20歳の頃にはなぜ自画像すら描けないのかということについて、自覚的ではなかったのだ。けれども、ジャコメッティが言っていることに合点がいく視覚体験をしていたのだと、あとから了解できるものがある。
硬い話ばかりで面白くもないかと思うので、ロマンチックに記述してみよう。
学生時代、文学部のスロープで、あるいは大隈通りのあたりで、私はよく彼女と行き会った。
遠くからでも、目の良い私は長身の彼女をすぐに見つけてしまう。卵形の頭部に大きな目がひときわ印象的で目立つのだった。
けれども、まっすぐ私を見つめながら近づいてくる彼女が接近すると、パドーヴァの少女ほどではないにしても彼女の生の躍動に圧倒されるのを感じる。
そして目の前に立った彼女を見ると、額は硬い殻のようなもので覆われ張りつめており、下まぶたから下部の部分は何かマスクのようなもので覆われていて、眼は...
大いなる誤解のまなざし、とでも。
とにかく、逃げ出したくなったとだけ書いておきたい。
自分の妻が亡くなったとき、その姿を必死で描いていたり、息子の死の床を思わず描いていてはっと自分の絵描き根性に絶望する画家、そういう根性を持っていたなら、私は曲がりなりにも画家としてやっていたのかもしれません。
けれども私は詩を書いていましたので、「女は毒婦で、男は泥棒だった」というハイネの詩をまねたような辛辣なものを書いて、絵の道を捨てていった。
彼女は「互いを見つめ合うのではなく、互いに同じものを見ていく関係」がいい、と望んでいましたけれど、私が見すえているものを彼女は理解できないし、彼女が見るものは私には興味がない。
私は彼女の姿を遠くから認めると、さっと横道に逃げ込んで姿をくらますようになったのだった。
けれども、視力が良かったのはこちらだけではなかったのだね。
(私が)文学部にいないと、どこかの通りをふらふら歩いている私を捜してやってきていたようで、彼女も私をめざとく見つけてしまう。
不毛な恋愛沙汰の末に、彼女はプーシュキンの詩の一節を記した手紙を送ってきて、二人は別れた。
C型肝炎で、鬱病で、アルコール依存症で妻が亡くなったとき、誰もいない病室で私は用意していた酒の小瓶を取り出して末期の水ではなく「別れの祝杯」を挙げ、妻の唇をぬらした。
社会常識のある人間のやることではない。
絵描き根性で知らずにやってしまうスケッチでもない。
ひとつの物語の終わりを、表現したのだといってよい。
なので、いま、ここは意地でも強行突破していかねば、自分の表現が生まれてこない気がする。
そうしなければ生きている価値のない「悪いオトコ」のままなのだろう。
メルセデス・マッターの『試論』から、ジャコメッティの言葉を引用します。
「ひとは生きている人物を彫刻したいという欲望を抱いているが、しかし彼らのなかにある生命に関するかぎり、彼らを生きたものにしているのは"まなざし" であることに、疑いはない。それは非常に重要なことである。そしてもしもまなざし(すなわち生命)がいちばん主たる関心事になれば、まずなによりも重要な のは頭部なのである」
しかし、このまなざしをとらえることがジャコメッティにはほとんど不可能におもわれた...
「頭 部をうんと離れたところから見ると、ある球体という印象をうける。うんと近づいてみると、球体であることをやめ、深みを持った極度に複雑なものになる。す べてが透明になり、なかの骨格がすけて見える。何がいちばん困難かといえば、全体を、そして諸処の細部と呼ぶことのできるものをとらえることである。
だから、私は眼のことだけを(中略)、眼だけを考える。もしも、たとえおおよそでもいいから、片方の眼だけでも、ほんのわずかだけでも模写することに達しうるならば、そのあと頭全体をもとらえうるだろう、と感ずる。
だがしかし、それは全く不可能らしいのである。すぐに外見のことを考えるわけではなくて、むしろ形態(中略)、形態の外観の方のことを考える。もし眼の形態をとらえることができたら、それが外見に似てくるだろう」
この「生命」とはその人の形態の中にありながら、その人の存在を越えるものなのだ。
私が突き当たったのも、これと同じ問題だったようだと思う。
ジャコメッティはエジプトやギリシャの彫刻からセザンヌにいたるまでを、徹底的に鉛筆の先(模写)で検証するという膨大な営為を経ていますので、
「すべてのものは球か、円錐か円筒形である...それは事実だ。その観察を最初に(自分が)したのではないのは、なんともうまくない(残念だ)。セザンヌは正しかった」と、述懐している。
ただし、セザンヌのこの認識からキュービズムが生まれたにしても、それはセザンヌの絵の本質的な部分だとは言えない。
ジャコメッティがエジプトの胸像ややパドーヴァの路上で、目の前を歩いている二、三人の女の子に感じたのと同じものをセザンヌの絵に見いだす、というのは生命あるいは自然の表現そのものにあるのだろう。
「セザンヌは、頭部を物体のように描くことによって、ジオットー以来有効だった外界の再現ということに一種の爆弾を投げ込んだ。
左耳と右耳の関係よりも、左耳と背景との間の関係をよりはっきりつくり出すことによって、
頭髪の色と頭蓋の形の関係よりも、頭髪の色とセーターの色との関係をよりはっきりつくり出すことによって、
頭部のまとまりということに関して、彼以前に存在していた概念を、彼は打破した」
...とジャコメッティは指摘している。
この問題について、セザンヌ自身は、次のように述べている。
「自然は深みの中にある。画家と、彼が主題にした対象との間には、ひとつの面、空間が介在している。この空間が不変の基盤を形成し、そのスクリーン上であらゆる異なった色彩、光のあらゆる変容が、分解されるにいたる」
上のそれぞれの発言に、セザンヌもジャコメッティも同じ結論を付け加えています。
「それは、総合と全体の調和に貢献するなかで、絵の外側の殻を作り上げる」(セザンヌ)
「私は内側のことであれこれ考えることはなく、外側だけで問題は山積みだった」(ジャコメッティ)
メルロ・ポンティはセザンヌについて「奥行きを追求しているとき、セザンヌは<存在の燃え拡がり>をこそ求めているのだ」と述べている。
フランス文学・哲学者の小林康夫は『無の透視法』の中で、セザンヌの本質的な探求はジャコメッティのような画家が出現するまでは、誰にも継承されていないのだ、という意味のことを書いている。
いまの私にはある程度了解済みのことではあるけれども、20歳の頃にはなぜ自画像すら描けないのかということについて、自覚的ではなかったのだ。けれども、ジャコメッティが言っていることに合点がいく視覚体験をしていたのだと、あとから了解できるものがある。
硬い話ばかりで面白くもないかと思うので、ロマンチックに記述してみよう。
学生時代、文学部のスロープで、あるいは大隈通りのあたりで、私はよく彼女と行き会った。
遠くからでも、目の良い私は長身の彼女をすぐに見つけてしまう。卵形の頭部に大きな目がひときわ印象的で目立つのだった。
けれども、まっすぐ私を見つめながら近づいてくる彼女が接近すると、パドーヴァの少女ほどではないにしても彼女の生の躍動に圧倒されるのを感じる。
そして目の前に立った彼女を見ると、額は硬い殻のようなもので覆われ張りつめており、下まぶたから下部の部分は何かマスクのようなもので覆われていて、眼は...
大いなる誤解のまなざし、とでも。
とにかく、逃げ出したくなったとだけ書いておきたい。
自分の妻が亡くなったとき、その姿を必死で描いていたり、息子の死の床を思わず描いていてはっと自分の絵描き根性に絶望する画家、そういう根性を持っていたなら、私は曲がりなりにも画家としてやっていたのかもしれません。
けれども私は詩を書いていましたので、「女は毒婦で、男は泥棒だった」というハイネの詩をまねたような辛辣なものを書いて、絵の道を捨てていった。
彼女は「互いを見つめ合うのではなく、互いに同じものを見ていく関係」がいい、と望んでいましたけれど、私が見すえているものを彼女は理解できないし、彼女が見るものは私には興味がない。
私は彼女の姿を遠くから認めると、さっと横道に逃げ込んで姿をくらますようになったのだった。
けれども、視力が良かったのはこちらだけではなかったのだね。
(私が)文学部にいないと、どこかの通りをふらふら歩いている私を捜してやってきていたようで、彼女も私をめざとく見つけてしまう。
不毛な恋愛沙汰の末に、彼女はプーシュキンの詩の一節を記した手紙を送ってきて、二人は別れた。
C型肝炎で、鬱病で、アルコール依存症で妻が亡くなったとき、誰もいない病室で私は用意していた酒の小瓶を取り出して末期の水ではなく「別れの祝杯」を挙げ、妻の唇をぬらした。
社会常識のある人間のやることではない。
絵描き根性で知らずにやってしまうスケッチでもない。
ひとつの物語の終わりを、表現したのだといってよい。
なので、いま、ここは意地でも強行突破していかねば、自分の表現が生まれてこない気がする。
そうしなければ生きている価値のない「悪いオトコ」のままなのだろう。
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