この絵は色分けをせずにモノトーンであるならば、全然別のイメージを感じる。この絵を元の縦位置(左90度回転)にして、モノトーンにすると...
女性器になってしまうだろう。エロスがあって、エグイね!
こんな感じになる。
墨と筆で書いたエロい絵だと。
偶然の造形なのですが、そんな風に見えてしまう。
あえて即物的にいわせてもらえば、「悪の花=女性器」とでも。
田村隆一が必ず敵前逃亡してしまう世界だね。
伊藤画伯は女性に美しいイマージュを増殖してしまう方ですから、こういう印象を持つ私の方が、即物的でエロく、フェティシズムの持ち主なのだと。
伊藤さんは走っているバスからアフガニスタンの砂漠風景を見ていて、"神"と呼んでもいいほどの「大いなるもの」を、身震いするほどの実感をもって感じたのだと...
私は北インド、バラナシで、路上に枯れたように死んでいくハリジャン(神の子=不可蝕賤民)をみて、人は死んでしまえばやっかいなゴミでしかない、という感慨に襲われた。
「いっさいが夢であり、いっさいが夢ではないのだ」という、『背教者ユリアヌス』の言葉を想い出していたのだろう。
今回はエロスではなく、タナトスのイメージを展開していきたい。
そのように思った原因は、これだ。 ↓ A.Giacometti 「喉を掻き切られた女」

左下の先端にあるのが女の頭であり、長く伸びた首の中程に切れ目が入っている。
彼女の左足は、生きている人間にはあり得ない曲がり方をしていて、屍体なのだなとものすごくリアリティーを感じる。ジャコメッティ、シュルレアリスム時代の作品です。
生と死を分かつ表現というのは、じつにこのようなさりげないものでできてしまうのだな、と。
私は、子供の時に左肘を脱臼して肘から先があり得ない方向に折れ曲がったり、右肩が外れてぶらぶらになったり、手首を骨折したままバレーボールをやってレシーブをしたときの悲鳴を上げるほどの激痛とか経験しましたので、身体感覚としてそれを如実に感じるわけですけども。
偶然の造形なのですが、そんな風に見えてしまう。
あえて即物的にいわせてもらえば、「悪の花=女性器」とでも。
田村隆一が必ず敵前逃亡してしまう世界だね。
伊藤画伯は女性に美しいイマージュを増殖してしまう方ですから、こういう印象を持つ私の方が、即物的でエロく、フェティシズムの持ち主なのだと。
伊藤さんは走っているバスからアフガニスタンの砂漠風景を見ていて、"神"と呼んでもいいほどの「大いなるもの」を、身震いするほどの実感をもって感じたのだと...
私は北インド、バラナシで、路上に枯れたように死んでいくハリジャン(神の子=不可蝕賤民)をみて、人は死んでしまえばやっかいなゴミでしかない、という感慨に襲われた。
「いっさいが夢であり、いっさいが夢ではないのだ」という、『背教者ユリアヌス』の言葉を想い出していたのだろう。
今回はエロスではなく、タナトスのイメージを展開していきたい。
そのように思った原因は、これだ。 ↓ A.Giacometti 「喉を掻き切られた女」
左下の先端にあるのが女の頭であり、長く伸びた首の中程に切れ目が入っている。
彼女の左足は、生きている人間にはあり得ない曲がり方をしていて、屍体なのだなとものすごくリアリティーを感じる。ジャコメッティ、シュルレアリスム時代の作品です。
生と死を分かつ表現というのは、じつにこのようなさりげないものでできてしまうのだな、と。
私は、子供の時に左肘を脱臼して肘から先があり得ない方向に折れ曲がったり、右肩が外れてぶらぶらになったり、手首を骨折したままバレーボールをやってレシーブをしたときの悲鳴を上げるほどの激痛とか経験しましたので、身体感覚としてそれを如実に感じるわけですけども。
自分の体をモノとして感じた経験があるからこそ、この女性の左足を見るとゾッとする。死んでいるからこそ、悲鳴を上げないのだ。
伊藤画伯の絵に戻ると、右側の青い色で描かれているのは、斬首された女だと。
一人の男は、彼女の体に取りすがっている。
もう一人の男は、彼女の衣装をかき抱いている。
人間の精神と知性が宿るといわれる頭を抱きしめてはいない。
切り落とされた首をかき抱くのは怖ろしいのだろうか?
切り落とされた瞬間からしばらくは、自分という意識を首だけで持続して生きているのだろうか?
その体の部分や衣装に取りすがる男の愛情の深さの程度が見えてしまうな、というイメージをもつ。
私は、母が亡くなったとき、病院から抱いてタクシーに乗り、家に戻った。
甲状腺のガンで、手術ミスで命を落としたのだった。喉に傷跡だけを残して。
妻が亡くなったとき、岳父は娘の額に自分の額を合わせて嘆き悲しんだ。
葬儀の後、遺骨を長男に託して私は車を運転しながら、道ばたに咲き誇るヒマワリに感動していた。
気持ちが晴れ晴れとしていて、微笑みながらヒマワリたちにありがとうとつぶやき続けていたようだった。
そしてある日、深夜の金縛りのさなかに妻が現れ私の手をつかみ布団の下の世界に引きずり込もうという幻覚におそわれた。
手を引っ張られた私は、暗黒の世界に猛然と飛び込んで、亡霊であろうと悪霊であろうと取り押さえてケリをつけようと後を追った。それが地獄であろうとも飛び込もうとしたが、異次元の世界に押し入ることは叶わなかった。

伊藤画伯の絵に戻ると、右側の青い色で描かれているのは、斬首された女だと。
一人の男は、彼女の体に取りすがっている。
もう一人の男は、彼女の衣装をかき抱いている。
人間の精神と知性が宿るといわれる頭を抱きしめてはいない。
切り落とされた首をかき抱くのは怖ろしいのだろうか?
切り落とされた瞬間からしばらくは、自分という意識を首だけで持続して生きているのだろうか?
その体の部分や衣装に取りすがる男の愛情の深さの程度が見えてしまうな、というイメージをもつ。
私は、母が亡くなったとき、病院から抱いてタクシーに乗り、家に戻った。
甲状腺のガンで、手術ミスで命を落としたのだった。喉に傷跡だけを残して。
妻が亡くなったとき、岳父は娘の額に自分の額を合わせて嘆き悲しんだ。
葬儀の後、遺骨を長男に託して私は車を運転しながら、道ばたに咲き誇るヒマワリに感動していた。
気持ちが晴れ晴れとしていて、微笑みながらヒマワリたちにありがとうとつぶやき続けていたようだった。
そしてある日、深夜の金縛りのさなかに妻が現れ私の手をつかみ布団の下の世界に引きずり込もうという幻覚におそわれた。
手を引っ張られた私は、暗黒の世界に猛然と飛び込んで、亡霊であろうと悪霊であろうと取り押さえてケリをつけようと後を追った。それが地獄であろうとも飛び込もうとしたが、異次元の世界に押し入ることは叶わなかった。
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