アルベルト・ジャコメッティの視線(1)

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 ジャコメッティがどのように対象を見ているのか、ということは学生の頃『ジャコメッティとともに』(矢内原伊作著)や『迷路の奥』(宇佐見英治)などを読んで多少は知っているつもりであったけれども、やはり本当のところはわかるはずがないと感じる。
 今回、ジャコメッティの画集を買い、メルセデス・マッターの「試論」を読んでみて、ますます分からなくなったというのが本音ですね。

 ただ一つだけ、ひらめいたのは、ジャコメッティが生まれ育ったスイスのスタンパという寒村の自然環境を抜きにしては彼の想像力的視覚は語れないだろうな、ということです。

 人の視覚というのは決してみんな同じではないようだ。
 とくに子供の頃に身につけた感覚的なものは、その人の基本的な感受性として成り立っているのだろう。

karamatu.jpg ジャコメッティが生まれ育ったスイスのエンガディン地方、スタンパ村は急峻な渓谷の底を流れる急流の川岸にある寒村。その風景には、水平に広がる要素はほとんどなく、左の林のように垂直に伸びる要素ばかりだという。

 確かに、カラマツを見ると、盛夏の頃の葉はすべて落ち尽くし幹と枝だけになり、贅肉をそぎ落とした彼の彫刻のイメージを彷彿させる。

 岩肌の間に広がる草原に立てば、目もくらむような深い谷底。見上げれば、圧倒的な迫力で迫ってくる岩峰群。
 空は切り取ったかのように狭く感じ、冬には陽光も届かない。

 確かに、このように雄大な山岳渓谷の風景は、デフォルメされた遠近感のような独特の視覚を強化するのではないかと思う。
 たとえばヒマラヤの渓谷では、
足下にある小石と、
めまいがするほど深い谷底に落ちている家ほどの大きさがある巨岩と、
 ...が同じ大きさで同時に見える。

 両方を同時に見ようとするなら、どちらに焦点を合わせてもいけない。ぼんやりと周辺視の要領で見るためには、瞑想をしているときのようなアルファー波優位の脳波状態にならないといけない。

 ジャコメッティの絵には、この周辺視の視線のあり方が見て取れます。


 これとは逆に、モンゴルの大草原だとか水平線要素ばかりの自然環境で育った場合、全く異なる視覚センスを身につけるのではないかと想像されます。

 新体道の青木宏之師範はアルゼンチンのパンパの大平原を見て感動し、自ら編み出した心身解放の技をイメージ的に完成させたという。

  また、チベット人やエスキモーの人たちはワイドレンズで見ているような大平原に暮らしているので、視力が6.0とか望遠レンズのような視力を持っていま す。彼らの子供は風景画を描くとき、まず水平線を一本引いて、天と地とを区分するところから始めるのではないかと想像してしまうね。

 ご存じの方がおられましたら、是非ご教示いただければと思います。

 このような、独特の風景の中で育ち、独特の高さの観念、錯綜する距離感、物の大小がデフォルメされた遠近法とバンドルされた情報として受け止める習い性など、ジャコメッティの彫刻を見る上で知っておかねばいけないことなのだろうと思う。

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このページは、小林由典が2009年12月11日 03:16に書いたブログ記事です。

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