個的な問題から普遍的課題への迷い道(1)

詩でも絵画でも、強いモチベーションを感じるものと、それが感じないものとがある。モチベーションが薄れ、ほとんど惰性でかいているのではないかと思えるものが少なくない。

 要するに絵でも詩であっても、書き(描き)続けるモチベーションがどこから来るかということがまず出発点ではないだろうか。「継続は力なり」というけれども、惰性で書かれたものなどとうてい作品とは呼べず、垂れ流しという他はない。いくら継続しても、技巧的に悪擦れするばかりで、汚物以外の何物でもないと言いたいね。

 先日、国立現代美術館の本展の方を、ぐるりと見て回ったのですが、
   この人はなぜ絵を描き続けているのだろう、と感じる方が少なくないし、
   この人はなぜこのような描き方をするのかが少しも伝わってこない方も多い、

 ...という印象を毎度感じる。

 いってみれば、内発的動機がたいへん希薄な絵が多く、
           外発的動機に促されて絵を描き続けているのではないか、というものばかり...

 絵を楽しみとして描いている人は、そもそも先進的な理念を標榜するこのような会に所属しないとは思うのだけれど、それでもハッピーな作者だね...と感じる絵がたくさん見られる。

 本展に出品して、多くの人に見てもらいたいという純粋な気持ちから描いているのでしょうけど。

 そういうのを見て回った後に、隣の公募展で伊藤画伯の絵を見ると強いモチベーションを感じさせるのだ。
 モチベーションそのものが、フォルムとなり色となりマチエールとして存在しているという印象だ。
 私は「情動」だと形容していますが、情動なので混沌としている。というより、混沌そのもの。

 絵の題は「Asyura」(阿修羅?)ということでしたが、仏教的な阿修羅とはせず、Ashura としたところに意味があるかと思う。

 阿修羅とは私の理解では「何ものか(正義など)のために戦う」というイメージを持つ存在です。
 それが、サンスクリット語の「asura」でもなく、英語でAshura と。
 それは私の印象では「何ものか(外的なもの)に抗して戦う」というイメージになろうか。

 かつて私は、70年安保後の空虚な時代に、「古典力学」というささやかな詩集を出して、
「僕らの時代は 苛立ちを組織する!」と宣言したのだけれど、どこかオーバーラップする気がしている。

 60年代の詩人たちが、連帯という幻想を解体してその時代状況を「6月のオブセッション」と表現したのだけれど、これは言い換えれば阿修羅の時代状況だったと。

 そういう強固なものが霧散した70年の宴の後、昨日までの騒動が何もなかったかのような正常化された大学や社会、そして身辺雑事に至るまで、私はひたすら苛立っていた。

 その虚構に満ちた正常化やうそ寒い平和な光景をただおぞましく感じ、そこに横たわって安住することはおろか、そこに足場を置くことさえも拒否したかった。

 朝、目が覚めると、何かに追い立てられるように部屋を飛び出して、意味もなく街の中を歩き回った日々。
 やがては根無し草となってヤポネシアを放浪し、ついにはインド・ネパールをひとり旅をして回った。

 そして、現在もその姿勢は解けないでいる。
 家族は誰ひとりとして、私が家でごろ寝してテレビなど見ている姿を見たことはない。
 その平穏な日常に、内面的な部分では足場を置いていないのだから、ごろんと横になることなど、私にはあり得ないことだと。
 
 自分の苛立ちを深く解体して、一つ一つ明らかにしていく、それが私の毒舌となって表れる。
 なぜ毒を内包しているかと言えば、言葉を媒介にして考えている対象がこの苛立ちだからであり、それを憎んで詩という形式に定着させようとしているからに他ならない。

 伊藤画伯の「Ashura」もまた、否応なしに絡め取られる社会状況に抗している、苛立ちみたいなものがあるのではないかな。抑圧にたいして、思想ではなく、生命の奔騰するエネルギーで対峙しているという趣だ。

 あらゆる表現のモチベーションは個的な問題から始まるといってよいだろう。個人を離れた表現というものはあり得ないのだけれど、その個的な問題がある種の普遍的な共通項を持たなければ、誰にも通じないし理解もされない、ということになる。

 そういうものを獲得していくには、私たちはどうあるべきかということを話していて、時間を忘れてしまったのだなァー。帰りの終電車の発車時刻をとうに過ぎていたのだった。

 物書きという人種は、言葉を媒介にして思考していますので、その思考された世界は際限のないほど広がっていたり、迷路のように枝道があったりと、語り出せば尽きないものです。

 ところが、絵を描く人は言葉のように明快に分析するわけではないので、毎度一見同じような絵を描き連ねることとなり、マンネリ感がつきまとってくる。言葉で語るべきものはそう多くない、ということがあるかと思う。

 新橋のホテルで、さらに私は語り続けたけれど、画伯は酔いすぎていたようでしたので、早々に自分の部屋に退散したのですけれど。いつものように、思考回路が活動していて、眠っていても何かについて考え続けていて、眠ってもいないし目覚めてもいない時間を過ごしたのだった。

 久しぶりに、喫茶店で飲む早朝のコーヒーは旨かった。

     「迷い道(2) 」に続く)

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このページは、小林由典が2009年10月18日 19:56に書いた記事です。

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