01 言語・日本語・ことばの最近の記事

現象学的還元とは認識過程における<対象>と<現象>の関係を、自然主義的に「原因」と「結果」とせず、<現象>から<対象>の存在を認受する条件を検討する手続きだ。

言表の意味は「状況コンテクスト」と「言表コンテクスト」によって導かれ示される。パロールとエクリチュールの本質的差異はない。記号としてみると、解釈の無限性という誤謬が生まれよう。

言語の「意味」とその「了解」を過不足なく理解するためには、辞書的意味しか取り扱えない記号学ではなく、<発語者の意味付加>と<受語者の了解確信成立>の構造を把握する必要がある。

デリダの記号論的言語論は「意味付与」=「意識」と「表現」との関係に言語の本質をみる伝統的言語観を逆転させ、記号がいかにして一定の意味を読み手に喚起するのか、を問題とする。

前回に引き続き、フッサール言語哲学とジャック・デリダの脱構築論議を、例文をめぐって検討していきたい。意味付与を重視するフッサールと、作者の不在・死を本質とするデリダの記号論...

言語の意味性は言表者の意識に由来するものなのか、記号としての言語自体がはらまざるを得な差異の体系にあるのか。パロールとエクリチュールとの違いは本質的なものなのか、検討する。

デリダによるフッサール現象学およびソシュール言語学批判は、デリダ的解釈による論点の位相変位とでもいうべき誤読をもとに展開されているが、彼の言語観と同根にあるといえよう。

ポストモダニズムによる哲学・言語学の革命は、問題の本質を離れて、現実のレアリテではなく論理上のレアリテを説いているのではないだろうか。現象学の提起した精神は曲解されてきた。

 吉本隆明「言葉からの触手」は16章からなる正味115ページの文庫本だけれど、1980年代後半の日本における精神・社会状況を言葉という切り口で、吉本思想のエッセンスを展開している。

二〇世紀の言語革命は、五世紀ころのバルトリハリ言語哲学と出会って、それを換骨奪胎する形で遂行されたようだ。古典ギリシャ語研究からサンスクリット語との比較言語学へと...

バルトリハリ『古典インドの言語哲学』(文と単語についての書)に衝撃を受けた。古代インド、五世紀グプタ朝の文法学者・言語哲学者が二〇世紀の西洋言語学に革命をもたらしたという。

続いてブランショはサルトルの「想像的なもの」を足がかりにして、レヴィナスの「想像的破壊」という考え方に至る。ヘーゲルからサルトル、レヴィナスに至る経緯を簡単に追ってみたい。

この詩集で谷川俊太郎が向き合っているのは、モーリス・ブランショが提起した言語論の問題であろう。言葉は存在自体の属性を剥奪する。その失われるものを回復するのが文学だ、という...

言葉による表現が言語の構造や働きに立脚している以上、言語観の大きな変化は表現にも相応の変化をもたらす。詩作者はこの変化をどう受けとめ、詩を成立させようとしているのか?

「大井町」を意味的な喩から像的な喩への移行の妙だと評しましたけれど、荒川洋治の詩は基本的に<日常性の仮構>の上に、<非日常的言語空間>を創出する試みだといってよいだろう。

言語学的転回について、問題の存在とその転換という社会現象だけを前回記述しましたが、いまひとつ了解が不十分かもしれないので歴史的な経緯をここで概観しておきたい。

日常的な言葉使いが言葉の意味性や伝達性をめざして使用されるのに対して、詩のことばは非指示性や非伝達的な側面(感覚的な側面=シニフィアン)に向かって追求されるものだ。

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